6-2
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高鳥が座っている場所から距離を置いて、向かい合うように座る。
メガネ男には油断も隙もない。ロゴスを呼んだとしても、制圧躯体が姿を現す前に殺されてしまうだろう。
「あのさ」
「なんだ」
「ダメもとで聞くけど、ナナセを連れて帰ってもいい?」
「ああ、ダメだ。天使アレフはここで完全に消滅させる」
「……だからって、あんなにしなくてもいいだろ。可哀そうじゃんか」
椅子に括り付けられ、ぐったりとした様子のナナセを見る。
「ああなったのは、天使アレフの抵抗が予測以上に激しかったからだ。天界との接続を断ちながら、俺に匹敵する奇蹟を行使していたからな。消すのが惜しい高性能な天使だよ」
「なら今からでもやめればいいのに」
メガネの奥の緋色の瞳が、こちらの一挙手一投足を油断なく監視している。不審な動きを見せようものなら即座に殺すとその目が語っていた。
だとしても、どうにかしてナナセを連れて帰らなきゃいけない。背筋を冷たい汗が伝っていくのを感じながら、高鳥の返答を待った。
「お前は説明が聞きたいと言っていたな」
「……そうだけど」
「では、教えてやろう。何が聞きたい?」
高鳥を説得するのは無理そうだ。会話の中でナナセを助けるヒントを聞き出して、この場を脱する方法を考えるしかない。タイムリミットまで、あと十数分。
「じゃあ聞くけど、なんでそうまでしてナナセを殺したいんだ。虚像天使も、高鳥も」
「虚像天使の発生は天界の自浄作用のようなものだ。やつらに意志はない。現状、管理外天使の人類種への干渉行為は修正対象であり、天使アレフはそれに該当している」
「高鳥は?」
「俺が顕現したのは、虚像天使が修正エラーを起こし続けたためだ。言っただろう、天使アレフの受命した処理を調査、修復、もしくは破棄することが俺に与えられた天命だと」
「それで、高鳥はなんでナナセを殺そうとしてるわけ?」
「ふむ」
メガネ男がおもむろに説明を始めた。
「天使には必ず使命が……役割が、ある。主に仕え、天の意思を代行する天使。裁定者として善悪を量る天使。人の心を導く守護天使。では、これの役割はなんだ?」
ぴくりとも動かないナナセを横目に、説明は続く。
「可能な限り隅々まで中身を調べたが、これの役割はわからずじまいだった。手の施しようがないくらいに内部構造が破損していたのだ」
「役割……」
閏間さんからも同じような話を聞いたばかりだ。
高鳥の説明も合わせて考えると、どうやらナナセは目的や役割のない天使らしい。
「役割を持たない天使など不要だ。それどころか、天使アレフはこの世界にとっての害ですらある。あらゆる災厄の根源となりうる特異点……お前にも理解はできるはずだ」
「いいや、全く理解できないね」
「遺失技術管理機構。テクハール交廠。調律教院。これからもっと増えるだろう。人間たちの組織が、こぞって天使アレフを求めてこの街にやってくる」
「……」
「今はまだ駅前のビルが破壊される程度で済んでいるが、規模が拡大したらどうなる? この目的も役割もない天使のせいで、街そのものが消える可能性すらあるだろう」
「それは言いすぎだ」
「事実として、遺失技術管理機構は、お前たちの言う『埒外存在』に対処するために街を壊滅させたことがあるようだぞ」
「でも、閏間さんがそんなことするとは思えない」
「組織の一員でしかない閏間莉明の意志と、組織の決定は全く無関係だ。遺失技術管理機構は隠しごとが得意なようだし、その気になれば国一つをなかったことにすらできるんじゃないか」
「……それはナナセと関係ないじゃんか」
「天使アレフのせいで、意味もなく戦場が生まれ、人間が死ぬという話だ。それは天界の意向に反する。だから天使アレフはここで消滅しなければならない」
「そんなの――」
みんな自分勝手すぎる。
ナナセを利用したい。ナナセの力が欲しい。ナナセを消滅させたい。誰も、彼女自身がどう思っているかなんて考えてくれない。酷い話だ。心底、腹が立つ。
「もう諦めろ。お前ではどうすることもできない」
「イヤだ」
「天使アレフの消滅は確定事項だ。あの拘束具がある限り、奇蹟の剥奪が止まることはない。そして、あれは人間の力では外せない」
「やってみなきゃわかんないだろ」
「この領域全体が俺の支配下にある。拘束具を外せたとしても、ここにいる限り天使アレフは徐々に消滅へと向かっていく」
「だったら外に出れば……」
「無駄だ。お前はここから出られない。お前がこの領域に入れたのは、天使アレフの小細工のせいだ。だが、それもお前がここに入った時点で無効になった。俺がこの世界から消えない限り、お前はこの領域から出られない」
知らず、汗ばむ手を握りしめる。
高鳥の言うことが本当なら、ナナセを助け出すのは不可能に近い。解決しなければならない問題が多すぎる。気を抜けば一瞬で殺されるこの状況下で、ナナセを解放する方法なんてあるのだろうか。
そんな僕の様子を見てか、高鳥が再び口を開く。
「そろそろ諦めはついたか? どう生きようがお前の勝手だが、あまり天使に入れ込みすぎるな。天使はヒトの形をしているが、似ているだけでお前たちとは本質が異なる。ヒトに似た思考、情動で対話を行うのも、天使としての役割を全うするための副次的な機能で――」
その時だった。
ポケットに入れたスマホから、軽快なメロディが流れ出した。
「何? この領域には電波も届かないはずだが……」
高鳥が怪訝な表情を浮かべる。ほぼ同タイミングで、ぶん、という重低音が鳴り、目の前に出現した銀色の物体が床へと叩きつけられた。
それは見覚えのあるジュラルミンケースだ。
閏間さんが回収し損ね、ヒナノが持ち去った――
「――クロノゾール!」
勢いよく開いたそれは、瞬く間に変形して膨れ上がっていく。ダークグレイとネオンイエローの構造体は、金属が擦れてぶつかる音を立てながら変形し、やがて隻腕の巨大なロボットへと変形した。
『やった、上手くいきましたよ、リアせんぱい!』
ヒナノの声だ。
『いいから、集中して……!』
閏間さんの声も小さく聞こえてくる。多分、ヒナノと一緒にいるんだろう。
『ヨミせんぱいは相変わらずアホですねー。しょーがないので助けてあげます。できる後輩ヒナノちゃんに感謝してくださいね!』
「ヨミ、貴様……!」
『くらえっ!』
半壊状態のクロノゾールが、高鳥を思いっきり蹴飛ばした。高鳥の身体が壁をぶち破り、破片を撒き散らしながら廊下へと吹っ飛んでいく。
『それじゃーヨミせんぱい、あとは自力でがんばってくださいねっ』
高鳥を追い、クロノゾールが壁を粉砕しながら廊下へと突っ込んでいく。きっと、閏間さんとヒナノが協力して助けに来てくれたんだ。
「……ありがとう!」
できるだけ大きな声で叫びながら、ナナセの元へ向かう。
もう猶予はない。ナナセが消えるまであと何分だろうか? 逸る気持ちを抑えながら、天使を拘束するロープ状の物体を観察した。
「まじでなんなんだ、これ」
結び目らしいものはなく、千切るしかなさそうだ。試しに引っ張ってみるものの――
「……ぁ」
痛いのか苦しいのか、ナナセが小さく喘いだ。少しでも引っ張ると彼女の細い身体をさらに締め上げることになってしまう。ロゴスの光剣で斬れるかと思ったけど、切断するための隙間を作ることがそもそも難しい。
「やばいやばい、どうする……!」
このロープがナナセから奇蹟を奪っているらしいから、放っておくわけにはいかない。
遠くで大きな音がして、教室が断続的に揺れる。クロノゾールとアルコーンが戦っているんだろう。ヒナノは操縦が上手いけど、半壊した機体でどこまでやれるかはわからなかった。
「ナナセ、起きて! ナナセ!」
揺すっても反応はない。ナナセが起きてくれれば、こんなロープくらい奇蹟でどうにでもしてくれるのに――
「……いや、待てよ」
ふと、いつか聞いたナナセの言葉を思い出す。
『ちなみにヨミも使えるよ、奇蹟。しかも、天界にもわたしにも繋がっていない独立したリソース確保をしてあるの。これはすっごく困ったとき用ね』
もう二週間も前の夜の公園で、そんなことを説明された記憶がある。
そして今がまさに『すっごく困ったとき』だ。ナナセが周到で助かった……!
「よし、やるぞ」
ロゴスやシェキナーを呼び出す感覚を思い出す。あれも奇蹟には違いないから、多分やり方は同じだ。
天使のお腹を拘束するロープに触れ、深呼吸をしなから、これから起こす『奇蹟』のイメージを膨らませる。
「《解けろ》」
ぶつりと音をたてて、緋色のロープがちぎれた。お腹を締め上げていたロープがなくなって、ナナセの口から小さな吐息が漏れる。
「いける!」
今度は太ももに巻きついたロープに手を伸ばす。白い肌に指が触れ、滑らかで冷たい、死体のような感触にぞっとする。冷や汗をかきながらも、同じように他の拘束を解いていった。
「ナナセ、起きて……ダメか」
全部の拘束を解いたものの、彼女が起きる様子はない。
けど、奇蹟を使ったことでナナセの言う『独立したリソース』を知覚できた。ロゴスを運用できるだけの強大なパワーリソース、天使を構成する光界源素だ。
これを逆流させれば、ナナセが消えないように聖霊を補強することができるのも、なんとなく理解できる。
けど、それにも限界はあるから、リソースが尽きる前にここから脱出しなければならない。
「来い、《ロゴス》!」
椅子でぐったりしているナナセの横に、漆黒の巨人が現れる。メティンに破壊された部位――左腕と両脚が綺麗に修復されていることを確認しながら、その背中に飛び込んだ。
〈同期完了〉
〈躯体制御譲渡:深度17〉
〈掌底光起動〉
ロゴスの左腕が展開し、変形する。掌底光アクティノヴォロー。短射程の射撃武器だ。
天井に左腕を向けると、掌から光弾が発射された。ストロボのような光が弾けたかと思えば、一撃で天井が爆砕される。瓦礫がばらばらと落ち、青空へと続く穴が開いた。
「……行くか」
意識が戻らないナナセを抱え上げる。プリズムキューブを通して、光界源素が彼女に送り込まれているのを感じた。きっと、ナナセが目を覚ますのも時間の問題のはずだ。
次回は6/28(水)に投稿します!