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その数秒後、ようやく閏間さんの元に辿り着くことができた。
「ヨミくんも、大丈夫?」
「多分。ナナセは?」
「血は止まっているけれど、治療は必要。迎えを呼んだ」
「……だよね。ありがとう」
ナナセを抱き上げた状態の閏間さんがこっちを向く。
「私はやることがある。しばらくナナちゃんを預かってほしい。見たところ、ヨミくんも相応に具合が悪そうだけど……できる?」
「大丈夫、めっちゃ頭が痛いだけだから」
「わかった、可及的速やかに終わらせる。かがんで」
「……こう?」
「もっと近く。そう、そこでいい。はい」
すぐにナナセを渡され、僕は慌てて彼女の身体を抱きかかえた。
腕の中で丸まったナナセは、浅い呼吸を不規則に繰り返している。右脚はべっとりと血に濡れていて、パーカーの右側は血を吸って赤黒く変色していた。その口からは小さな呻き声が漏れ、無事な左腕や左脚をもぞもぞと動かして痛みに耐えているみたいだった。
「ごめん……」
その姿があんまりにも痛々しくて、思わず謝ってしまう。
「別に、ヨミのせい、じゃ……っ」
ナナセの返事は、途中から痛みをこらえるような呻きに変わってしまった。なんて声をかけたらいいのか迷っているうちに、別の声が聞こえてきた。
「あーあ。だから言ったじゃないですかー」
いつの間にか制服姿の少女が瓦礫の中に立っている。彼女はツインテールを揺らして、呆れた顔をこっちに向けた。
「ヒナノ……? なんでここに」
「こんにちは、ヨミせんぱい。なんとか助かったみたいでよかったですね?」
そんなことを言いながら、ヒナノはメティンの身体が落ちている方に歩いていく。それと同時くらいに、ちゃき、という音が聞こえた。閏間さんがヒナノにハンドガンを向けた音だ。
「近付かないで」
「ちょっとー。怖いですよ、閏間せんぱい。いえ、シェルフ第十五蒐集室のリア・エヴァンスさんでしたっけ?」
「……あなたは何者?」
「調律教院のヒナノです!」
笑顔のヒナノに、少しだけ目を細める閏間さん。一触即発という雰囲気だった。
「何をしに来たの?」
「それは、まあ……後始末的な? 一応律徒のはしくれなので」
ヒナノがちらとメティンの身体に目線をやると、スーツの男の身体が青白く炎上し始める。
「……!? 何を――」
「あれってメティン律師のラジコン人形なんですよ。本人はもっと遠くで別のことをしてまして……だから、あの壊れた人形は廃棄になったんです」
「……あなたを拘束する。動かないで」
「えー、イヤです、よ!」
スカートを翻し、ヒナノが駆け出す。閏間さんが弾かれたように動くけど、それよりも速く地面を滑ったヒナノが落ちていたジュラルミンケースを回収した。
「では、ってうわ!?」
閏間さんがハンドガンを連射する。乾いた炸裂音がフロアに響き渡った。
「いたい、いたい! ……なーんちゃって」
そう言ったヒナノが手を開くと、ばらばらと銃弾が地面に落ちる。どうやら、素手で弾丸を掴み取っていたらしい。
「これ、一回やってみたかったんですよね」
「そのケースは私達が回収する。今のはあくまで警告。渡してもらえないのならあなたを排除する」
「え。今のってけーこくなんですか? こわー……まあ、できるならやってみたらどーですか? 調律教院とシェルフって、敵同士みたいだし」
ヒナノが悪戯っぽく笑う。
すると、閏間さんがふっと低姿勢に沈み込んだ。
「わ、わ、わ!?」
銃弾が炸裂し、ヒナノの両足を的確に狙う。ヒナノは逃げそこねて、あっという間に閏間さんが接近した。赤いジャージが翻り、ジュラルミンケースで防御したヒナノをハイキックで蹴り飛ばす。
「いっ――!?」
姿勢を崩したヒナノのみぞおちに、閏間さんが鋭い膝蹴りを叩き込む。苦しげに嗚咽を漏らしたヒナノは防御を固めようとするものの、それを最小限の動きではね除けた閏間さんは彼女の喉元にハンドガンを突きつけて――
「待って閏間さん! ヒナノは敵じゃない……多分!」
僕はようやく我に返って、できるかぎりの声で叫んだ。
ぴたりと閏間さんが停止する。ヒナノはツインテールを揺らして即座に距離をとった。
「ヨミくん、どういうこと? この律徒とどんな関係?」
「それは……」
「あ、あっぶなー! リアせんぱい、本当に人間ですか? まじで死ぬって思いました! げっほ、うえ、喉はひどくないですか~?」
涙目になったヒナノが、首を押さえてぜえぜえと肩で息をしている。
「でも、ヨミせんぱいのおかげで助かりました!」
「動かないで」
「ひ~」
閏間さんが銃を向けると、ツインテールの少女は負けましたとばかりに両手をあげた。
ヒナノは顔だけをこっちに向けて言う。
「せんぱいのそーいうところ、あたしは好きですよ! でも、もー少し自分自身のことも考えた方がいいと思います。今日だって、何回も死にかけたんじゃないですか?」
その台詞に、閏間さんも思わずと言った様子でこっちを見た。
「それじゃーばいばい。ヨミせんぱいも、リアせんぱいも!」
「待って!」
さっきの制止を受けてか、閏間さんは銃を向けても発砲できないまま、とんでもないスピードで走り去るヒナノを見送ることしかできない。ツインテールの少女は最後にぺろりと舌を見せてから、屋上の縁から身を躍らせて消える。
「……ヨミ、わたしはもう、平気だから」
「うわ、ナナセ」
ヒナノが消えるや否や、今度はナナセが痛みをこらえながら立ち上がって、そのままよろよろと歩き出そうとしていた。
「そのケガじゃ無理だって」
「大丈夫……っ、ヨミは休んでて、いいから……」
「そんな状態で言われても――」
喋っている途中で、ぐらりと視界が揺れる。
突然だった。猛烈な眠気を感じて、抗うことができない。さっきの戦いで『目』の力を使った反動らしかった。前まではこんなんじゃなかったのに、今日はもうダメみたいだ。
『えっ……!?』
『ヨミくん!』
大きな音がする。
自分の身体が倒れた音だ――そう気付く前に、僕の意識は途切れてしまった。
*****
目を開けると、見たことのない壁や天井がそこにあった。
「気分はどう?」
「閏間さん……ここは?」
黒髪黒目の少女は無表情で僕の顔を覗き込んでいた。彼女が着た赤ジャージを見て、唐突にさっきの出来事を思い出す。
「ってかナナセは!? どこ?」
「落ち着いて。ナナちゃんならさっき家に送り届けた。今も実務班の人達が警護している」
起き上がったはいいものの、まだふらつく身体を閏間さんが支えてくれる。
「ナナセの怪我は?」
「治療は完了している。驚くべき回復力。衣服も綺麗になっていた」
「え?」
「私も信じられなかったけれど、奇蹟を行使したなら納得がいく。これがその写真。ヨミくんも気になるだろうと思って撮っておいた」
「まじか」
閏間さんが見せてくれたいかつい端末の画面には、腕を組んでぷいとそっぽを向いたナナセが写っている。撮影場所は多分ここ。確かに、今朝待ち合わせしたときと同じくらい全部が元通りになっている。
「もう家に帰ったってことだよね?」
「そう」
「……あのさ、今からナナセのとこに行けたりする?」
「ナナちゃんは休眠状態に入っている。しばらく安静にさせてあげたい」
「そっか。うん、別に。無事ならいいんだ」
「問題ない。彼女のことはシェルフに任せて」
こっちを見た閏間さんの目が、信頼してほしいと訴えかけるようにじっと見つめてくる。
「うん。わかってるよ」
「それに、ヨミくんと話したいこともあるから――」
そう言われて、ようやくこの不可解な状況を思い出した。
「待って、ここってどこなの?」
「第十五蒐集室が保有するトレーラーのコンテナ内。現在、市内を移動中」
「え……」
今まで気付かなかったけど、奥の暗がりには膝をついた二脚兵装が固定されており、その周囲には巨大な重火器や用途不明の装備が整然と並んでいる。道路を走行しているのも本当のようで、たった今細長いコンテナが左折したらしい感覚があった。
やばい。僕は一体どこに拉致されるんだろう。
「移動中って、どこに……?」
恐る恐る聞いてみる。
閏間さんは真っ黒の瞳をこっちに向けて、教えてくれた。
「私の家」