5-6
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地面を蹴る。
びゅうと唸る風を切って、一息で五十メートルは飛び上がった。
見下ろすと、駅前に広がるモノクロの風景が小さく見えた。その中で、糸の切れた人形のようにクロノゾールが宙を舞っている。
瞬間移動が発動するまで、コンマ数秒。それだけあれば十分だ。
上下逆さまの状態でシェキナーを引く。右手から発生した光の矢がバレルに装填され、ぎりぎりと音を立てた弓が爆発的なエネルギーをチャージした。
発射。
落雷のように、すさまじい熱量の光軸が地面に落ちる。
それはクロノゾールを擦過しながら屋上の中央に突き刺さり、そのまま床面をぶち抜いてビル全体を大きく揺らした。大音響が炸裂して、屋上ががらがらと崩壊しはじめる。
「やば――!」
やりすぎた。
空中でシェキナーを撃った姿勢のままナナセを探す……いた。屋上の隅、驚いたような顔で室外機にしがみついている。あの場所なら大丈夫だろう。安心して、ほっと胸を撫でおろす。
――これが間違いだった。
「え?」
気付けば、シェキナーが宙を舞っていた。よく見ると、ロゴスの左肘から先がない。
すぐには理解できなかった。
視線を屋上中央に戻すと、右上半身を失ったクロノゾールが、空中で何かを投擲した姿勢をとっている。そして、視界の端をきらめく何かが落下していく。クロノゾールの光子ビームサーベルだ。
「やられた……!」
仕留め切れていなかったんだ。メティンはあの状況からクロノゾールを回避させたどころか、光子ビームサーベルを投擲して反撃までしてきていた。
片腕ではシェキナーを使うことができない。
僕はメインウェポンを失ったまま、崩壊した屋上へと落下していった。
*****
『カーテンコールにはまだ早かったか』
メティンの声が聞こえた。
その声を聞きながら、瓦礫の山に叩きつけられる。シェキナーを失い、右腕しかないロゴスが、薄暗いフロアに衝撃音を反響させた。
クロノゾールはシェキナーによる攻撃を受け、半壊状態だった。右上半身がごっそりと破壊され、空っぽの操縦席が見えている有様だ。
だというのに、僕はいまだに近接戦闘を『怖い』と感じているらしく、うまく戦えていなかった。
盾があるうちはまだよかった。硬い盾に隠れていれば、守られていると思えたからだ。でも、今は何もない。ロゴスという鎧があっても、武器を持っていなければ生身と同じ感覚だった。
「まずい、まずい……」
無我夢中で立ち上がるものの、再びクロノゾールに蹴飛ばされて地面に倒れ伏す。眩暈が酷く、吐き気が止まらなかった。
崩壊した天井から、灰色の曇り空が覗く。
設備の残骸やコンクリートの瓦礫がばら撒かれたフロアは、曖昧な光に照らされてまさしく廃墟といった様子だった。
鈍い衝撃を受けて悲鳴が漏れる。倒れたロゴスがクロノゾールに踏みつけにされた。鎧からはびきりと嫌な音が聞こえ、躯体が激しく軋んだ。意識を手放してしまいそうになるのをこらえ、クロノゾールの攻撃から逃げ出そうと顔を上げる。
「――!」
ちょうどその時、視界の端で銀色の何かがきらめいた気がした。
あれはナナセだ。
彼女が銀髪をたなびかせて走っていくその先に、瓦礫に腰かけたメティンの姿を見つける。ポニーテールが揺れ、割れた天井からの光を受けてきらめいていた。
足音に気付いたスーツの男が勢いよく振り返るものの、ナナセの右手が上がるほうが早い。きっと、奇蹟を使ってメティンを直接攻撃するつもりなんだろう。二人の距離は八メートルほどだ。天使の口が開き、キーワードを声に出して――
『――え』
次の瞬間には、メティンはナナセの目の前にたどり着いていた。普通の人間の動きじゃない。面食らったナナセが言葉を発する前に、男は彼女の細い首を絞め上げる。
そのまま軽々と持ち上げられたナナセが、苦しそうに喘いでいた。細い素脚はばたばたと虚しく宙を切り、その両手はスーツの腕を弱々しく掴んでいる。
「ナナセ……っ!」
メティンの意識が逸れたからか、クロノゾールの動きが鈍った。すかさず立ち上がって走り出そうとするも、横合いから敵機が組みついてきて、そのまま引きずり倒される。「邪魔だっ」と叫びながらそれを押しのけようとする間にも、メティンはナナセを無造作に放り投げていた。
天使の身体が宙を舞って、べしゃりと床に落ちる。
激しくせき込みながらも立ち上がろうとするナナセのもとへ、メティンはずかずかと歩いていく。男はスーツの内ポケットから折り畳みナイフを取り出すと、それをナナセの右の太ももに思い切り突き刺した。
『―――!』
絶叫が響いた。ナナセの真っ白な太ももから、真っ赤な液体があふれ出ている。メティンはそれを見下ろしながら、彼女のみぞおちに容赦なく革靴の踵を叩き込んだ。ナナセは悲鳴をあげて、男の革靴をどけようと虚しくもがいている。
「この――!」
やっとの思いでクロノゾールを引き剥がして、遠くへと投げ飛ばした。脳みそがずきずきと痛んで、視界の半分がぼやけて使い物になっていなかったけど、お構いなしに走り出す。
ナナセが苦痛に歪んだ顔をこっちに向けると、何かを言おうと口を開いたのが見えた。すかさずメティンが彼女の二の腕をナイフで突き刺す。弱々しい悲鳴と嗚咽がフロアに反響した。
メティンはナナセの力を欲しているから、彼女を殺すことはないだろう。だとしても、死ななければなんでもいいと思っているに違いない。天使が奇蹟を使おうとするたび、男は死なない程度に彼女を傷つける。
ずたずたで血まみれのナナセは、見るに堪えない痛々しさだった。
でも、もう届く。あと一秒もあれば、ロゴスの右腕でスーツの男を弾き飛ばせる。あと一秒――!
「……え!?」
そこで、ぐらりと躯体が傾いだ。
地面にぐしゃりと倒れ伏す。立ち上がろうとして、ようやくロゴスの両脚がないことに気付いた。ハッとして背中を振り返ると、光子ビームサーベルを振り上げたクロノゾールの姿が目に入る。
「――あ」
もう絶対に間に合わない。
避けるのは無理だ。振り下ろされた光子ビームの長剣は、確実に僕の身体を灼き尽くす。そうなったら、ナナセはどうなる? きっと、あの男に連れていかれて、実験材料としてめちゃくちゃにされてしまう。
言いしれようのない絶望感が全身を満たしていた。
光の刀身が振り下ろされるのを呆然と見つめ――
『――!』
唐突にメティンが跳んだ。
クロノゾールも、弾かれたように振り返って走り出す。
視界の端を赤いジャージ姿の人影が飛ぶように通り過ぎた。それはアサルトライフルを構え、黒髪を翻す少女だった。
『不覚、こんな形の閉幕とは――』
言いかけたメティンの声を遮って、唸るような銃撃音がフロアに響き渡る。アサルトライフルによるフルオート射撃だ。メティンの身体は派手に吹っ飛び、不自然に全身を痙攣させた後、しばらくして動かなくなっていた。
その少女の背後には、光の剣を振り上げたクロノゾールが走り迫っている。しかし、メティンが動かなくなった途端、つんのめるように動作を停止し、がちゃがちゃと金属音を立てて収縮していった。ついにはジュラルミンケースへと姿を変えて、地面に落下する。
〈制圧行動停止〉
〈躯体保護:概念変換開始〉
それを追うようにロゴスも消滅し、僕自身の身体は瓦礫の地面に放り出される。頭痛が酷く、視界もぼやけていたけれど、まだ歩くことくらいはできた。
顔を上げると、学校指定の赤ジャージを袖まくりした体操服姿の少女が、その恰好に不釣り合いなアサルトライフルを抱えてナナセの元へ走っていくのが見えた。
当然、それは閏間さんだ。
彼女は地面に銃を置くと、倒れていたナナセを抱き起こした。
「大丈夫、じゃなさそうだね」
「リア……やっと来たんだ……おそいよ」
「もっと早く呼んでほしかった」
ナナセは閏間さんに抗議の目線を向けたものの、全身が痛むのか、すぐに身体を丸めて呻きだす。閏間さんは「しゃべらなくていい」と口にしながら、ナナセを抱え直していた。
次回は6/20(火)に投稿します!