5-4
ここは数年前に閉店した百貨店だ。
駅前という立地でありながら閉店後も無人のまま放置されており、巨大廃墟なんて呼ばれている。当時話題になったので存在は知っていたものの、入ったのは初めてだった。立ち入り禁止だから当然だけど。
「これからどうする?」
「えっ考えてなかったの? いやナナセが考えてるわけないか――ぐえっ」
「ヨミだってなんも考えてないでしょ」
「ごめんって。うーん、まあここにいても仕方ないし、とりあえず上に行こうか」
店内は明かりがないので真っ暗だった。
商品が並んでいたはずの空間には何もなく、大きな柱が等間隔で生えているだけのがらんどうの空間になっていた。そんなフロアを横目に、僕とナナセはゆっくりと動かないエスカレーターを徒歩で上がっていく。
かつん、かつんと足音だけが際限なく反響する。
二人の息遣いと足音以外、全てのものが死に絶えている。正直言ってめちゃくちゃ不気味だ。だからなのか、隣でぴょこぴょこと揺れているナナセのアホ毛には妙な安心感を覚えていた。
どのくらい経ったかわからないくらいエスカレーターを登り続けて、最上階にたどり着く。
「わたし、もう歩けない……」
「ここまでくれば大丈夫かな? 一旦ここで、様子を見よう……」
ナナセの言う通り、二階から歩いて十四階まで上がるのはかなりしんどかった。
途中、奇蹟でなんとかできないか聞いてみたところ、『そんなに無駄遣いできないよ』とのことで。だから、ナナセの『疲れたからおぶって欲しい』なんていうお願いは当然却下させてもらった。
「ね、どこに隠れよっか?」
ナナセが聞いてきた。がらんどうのフロアは元々レストランゾーンとして使われていたようで、点々と存在する窓からの弱々しい光がフロアを曖昧に照らしている。
「ちょっと待ってて」
屋上へと続く非常階段を見つけ、扉を半分開いておく。薄暗い室内に外の空気が流れ込んだのを確認していると、ナナセが声をかけてきた。
「ねえヨミ。こことかいいんじゃない? 一番暗いし」
「確かに。いいかも」
ナナセのもとに戻ると、彼女は既に柱の影に座り込んでいた。細い脚を折りたたんでちょこんと体育座りしたナナセの横に、僕も並んで座ろうとして――
「うわ、ごめん……あーやばい。起きれない」
座った瞬間、急に力が抜けてナナセの肩に倒れ込んでしまった。
「え、ちょっと待って、もしかして眠いの?」
「なんか……落ち着いたら、急に眠気が……」
そんな場合じゃないのに、視界がぼやけて意識が朦朧としてきた。
「……いいよ、そのままで。おやすみ、ヨミ」
「ごめん……」
されるがままにナナセの肩に身体を預けると、すぐに僕の意識は深淵へと落ちていった。
*****
『舞羽ナナセです。天界から来た天使です。よろしくお願いいたします』
黒板の前で銀髪の少女が自己紹介をしている。
『遅かったじゃん。早く行こうよ』
ナナセに手を引かれるものの、ふいにその力が失われる。握っていたナナセの腕から先がない。
「あ……」
足元に血だまりが広がり、バラバラになったナナセの死体が落ちていた。夏服のセーラー服が赤く染まって、腕や脚は奇怪なオブジェのようにあらぬ方向に曲がっている。
『舞羽ナナセです。天界から来た天使です。よろしくお願いいたします』
黒板の前で銀髪の少女が自己紹介をしている。
『ねえヨミ――』
ナナセが笑いかけてくる。答える間もなく彼女の右半身と左脚が千切れた。血だまりに倒れた天使の残骸が苦しそうにもがく。銀髪が赤黒く染まって、金色の瞳が光を失っていった。
『舞羽ナナセです。天界から来た天使です。よろしくお願いいたします』
『舞羽ナナセです。天界から来た天使です。よろしくお願いいたします』
『舞羽ナナセです。天界から――』
*****
「――ミ、ヨミ、起きてっ」
世界が小さく揺れていた。
身体の右側が温かくて柔らかいものに支えられている感覚。目を開けると、薄暗い百貨店の最上階フロアが視界に飛び込んできた。
「ちょっと、ねえ、ヨミっ」
ナナセのささやき声が聞こえる。温かいのは彼女の体温らしい。なんだ、ナナセはちゃんと生きてるじゃないか。そう安心し、再び眠りに落ちかけ……
かつん。
硬質な音が反響するのを聞いて、意識が急速に覚醒するのを感じた。
「ナナセ――」
「しーっ!」
ナナセが『静かにしろ』のジェスチャーをしている。時計を確認すると、午後三時五十二分だった。どうやら三十分は寝ていたらしい。
再び硬質な足音が響く。
階段の方だ。下の階から誰かがゆっくりと上がってきている。
「来ちゃったか……じゃあ行こう」
「えっ、どこに?」
静かに立ち上がる。別に、無策でここに来たわけじゃない。もし階段やエスカレーターから黄色ネクタイが上がってきたのなら、非常階段から屋上へと逃げるつもりだった。
硬質な足音は容赦なく近付いてくる。
ナナセの手を引いて足早にフロアを横切り非常階段に向かう。扉を半分開けていたので、物音を立てずに外に出ることができた。
午後の曇り空はモノクロで、気温は少し肌寒いくらいだ。ナナセはパーカーを着てはいるけど、素脚を擦りあわせて少し寒そうにしていた。
「こっち。屋上に」
これは最終手段として考えていた方法だけど、屋上でロゴスを出し、ナナセを抱えて全力で跳ぶつもりだ。騒ぎになるかもしれないけど、手段は選んでいられない。せめて、なるべく人の少ない方角に跳ぼう。
錆付いた金属製の非常階段を上ると、カン、カン、と乾いた音が曇り空に響いた。その音が不安をあおってくる。黄色ネクタイはもう最上階を調べ終わっただろうか。開けっ放しの扉に気付いてしまっただろうか。
非常階段を上りきって屋上に出る。開放的な空間には、巨大な看板、沢山の大仰な室外機、何かの配管、円筒状の設備などなど……がまばらに並んでいた。そういった障害物はあるものの、床面自体はかなりの広さで、七十メートル四方くらいはあるだろう。
「もう少し先まで行こう」
「ヨミ、待って。その後はどうするつもり?」
「とりあえず来て」
この百貨店は駅前の建造物の中では三番目に高い。ごみごみとひしめき合う灰色のビル群に、地面を行き交う車や人がやけに小さく見える。
風は強く、ナナセのポニーテールがふわりと揺れた。ロゴスを出すにしても、入口スペースでは少し手狭だった。制圧躯体が全力で跳躍するには、もう少し開けた場所で――
「え!?」
しかし、目に入った光景に思わず足を止めてしまう。
視線の先。屋上の片隅。
入口からは死角になっていた場所。
「やあ少年! ようやく、舞台が整ったようだ!」
そこには、グレイのスーツにイエローのネクタイ、ジュラルミンケースを持った丸眼鏡の男が笑顔で立っていた。
「っ!? 《ロゴ――」
「落ち着きたまえ。幕を上げるには少々早いだろう?」
咄嗟にロゴスを呼ぼうとしたけれど、黄色ネクタイの男に目線だけで制された。丸眼鏡の奥の澄み切った瞳――温度のない、絶対零度を感じさせる視線に射竦められて、思わず息を止めてしまう。
そんな僕を見て、男は嗤った。
「まずは出演者を紹介しよう。私の名はメティン・クヌート。調律教院で律師をやっているものだ!」
メティンと名乗った男の芝居がかった声は大きく、曇り空に響き渡るようだった。
「本来であればもう一人、出演者がいるのだが」
「もう一人……!?」
「AEサンプル308に君を殺すよう指示を出したところ、動作不良を起こしたらしくてね。急遽出演がキャンセルとなってしまった。ああ、残念だ!」
「――っ」
ぞわと背筋が粟立っていく。
サンプル? 殺す? 動作不良? この男が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
そうして絶句している僕に代わり、横に立つナナセが、今までに聞いたことのない硬い声を男に向けていた。
「やっぱりそれが狙いだったんだ。じゃあ、最初にヨミを殺そうとしたのはあなたなの?」
「えっ?」
話についていけない。
どうしてナナセがそんな言葉を口にしているんだ?
メティンはナナセの方を見ず、無視するようにして、大げさな身振りを加えて再び説明を始めた。
「天使を守護する若き狩人! 何度消滅しようとも、狩人の元に現れる天使! ああそうだ、天使の拠り所は少年、君に決まっている」
「だから、あなたなんでしょ?」
「天使はいつ何時でも自害できる、これでは霞を捕らえるようなものだ。であれば少年、私は狩人を謀る悪魔ともなろう!」
「ヨミ。あいつ、わたしをムシしてる」
しかめっ面をしたナナセに肩をゆすられて、止まっていた脳みそがようやく動き出した。
「待ってナナセ、どういうこと?」
「どういうことって……」
「初めからわかってたの?」
「うん。あんまり知ってほしくなかったけど、あいつの狙いは最初からヨミだったんだよ」
「じゃあ、あの時……!」
雨の住宅街でナナセが殺されたのを思い出す。
あれはナナセが殺されたんじゃなくて、僕の代わりにナナセが死んだってことだ。
「わたしは戦いが苦手だから、ヨミを守れる奇蹟をすぐには編めなかったけど。でも、身代わりになるのは間に合った」
「身代わりなんて……」
「あいつ、わたしが欲しいらしいから、わたしが死んだおかげで二人とも助かったんだね。なんとかなってよかった――」
「ぜんっぜん、よくない!」
びくりと震えたナナセを見て、続く言葉が出てこなくなる。
そこに、男の声が被せられた。
「そろそろあらすじは読めたかな?」
メティンはうすら寒い笑みを崩さないまま続ける。
「本来、狩人と悪魔の直接対決など、筋書きにないのだがね。こうなっては仕方がない。私も舞台に上がるとしよう!」
次の瞬間、ジュラルミンケースが灰色の空を舞っていた。
「『クロノゾール』」
男が言う。
その光景が、ゼノマイドを呼び出したヒナノの姿と重なった。
ジュラルミンケースが開く。それはネオンイエローの構造体となり、展開、伸展、拡張を繰り返して瞬時に体積を増していく。機械的なパーツが変形しながら膨張し、やがてそれはダークグレイとネオンイエローの巨大な人型へと変化していった。
「虚数機兵……!」
どずんと音を立て、屋上に巨大なロボットが着地する。
それは、ヒナノが乗っていたゼノマイドと酷似した機体だった。直線と曲線が入り乱れた装甲を纏う洗練されたシルエット。両肩に有機的な形状のプレートを装備し、ゼノマイドよりも無機質なブルーの四つ目が頭部でぎらりと輝いていた。
ダークグレイとネオンイエローのロボットは、巨大な銃を両手に構えて僕とナナセを見下している。
「虚数機兵アリストカインMark.22。コードネーム『クロノゾール』!」
ロボットの前で、メティンが両手を広げてわざとらしく名乗りを上げた。
次回は6/16(金)に投稿します!