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そう言われると、殊更にナナセのことが心配になる。
メッセージをやりとりして確認したけど、今日のところはナナセに何も起きていない。だとしても、彼女が昨日殺されたという事実は変わらないし、『何か』が起きているのは間違いなかった。
『非常に危険。一刻も早く、手を引くべき』
『死んじゃっても知りませんから』
閏間さんもヒナノも同じようなことを言っていた。それはそうだろう。高鳥と戦って自覚したけど、僕はただの一般人で、何の力もない凡人だ。
それでも、やるしかない。凡人でも上手くやっていける賢い方法をみつけて、ナナセに起きている『何か』を止めなければ。
*****
六月十七日、土曜日。
約束通り、僕はナナセと一緒にいた。
ここは街の中心的な駅で、大きな百貨店をはじめ、高層マンションやオフィスビル、商業ビルが立ち並んでいる。背の高い建物がひしめきあっていて、駅前はそこそこ都会っぽい雰囲気だ。
僕たちは駅前大通り沿いのカラオケ店にいた。L字ソファーの正面に低めのテーブルがあり、大きな画面が壁に貼り付けられた一般的な個室だ。テーブルの上には、安っぽいプラスチック製のグラスが二人分置かれている。
「ナナセ、これは?」
「あー、それね。知ってるよ、結構有名じゃない?」
「このバンドの中だと一番人気あるよね」
「サビもいいけど、イントロのフレーズがきれいで好き」
「うわ、わかる!」
そして僕はテンションが上がっていた。
ナナセの身に危機が迫らないよう注意しなければ、という意気込みはもちろんあるけど、それはそれとして普通に楽しんでいる自分がいる。
この天使は、天使のくせに流行りの曲が結構好きらしい。あと、曲の知識が豊富なので話があう。マイナーバンドのマイナー曲だって、言えば完璧に歌ってくれる。
それに加えて、ナナセはめちゃくちゃ歌がうまい。どんな曲だろうと、可愛く、かっこよく、エモーショナルに歌い上げる。ラップだってできるし英語も完璧だ。
なので、今はとにかくありとあらゆる曲を歌わせまくっていた。
「じゃあこれもお願いします!」
「わたしは楽しいからいいけど、ヨミは歌わないの?」
隣に座ったナナセが笑いながら聞いてきた。
彼女は銀髪をゆるくポニーテールに結んでいて、先週と同じくオーバーサイズの白パーカーを着ている。今日はタイツを履いておらず、白くて華奢な素脚がパーカーの裾から伸びていた。
「あとでね。他にもナナセに歌って欲しいやつあるし」
「はいはい」
さわやかなイントロが流れ出す。
銀髪の天使が歌い出した。オルゴールの音色のような、澄んだ歌声だ。歌う横顔は楽しげで、いつも以上にきらきらして見えた。
*****
『それ』に気付いたのは偶然だった。
カラオケの小さな窓から見えた外の景色。黒い短髪に色付きの丸眼鏡をつけ、ダークグレイのスーツを着こなした黄色ネクタイの男が、ジュラルミンケースを持って遠くを歩いていた。ふと、その人影を目で追ってしまう。
「――あ」
その姿には見覚えがある。最初に虚像天使を倒した翌日、学校で見かけた不審人物だ。
嫌な予感がした。
それ以降、学校であの怪しげな人物を見た記憶はない。教師でも職員でもないとしたら、何故、僕たちのクラスの近くを歩いていたんだろうか? 今、カラオケ店に向かって歩いてきているのは偶然なのか?
『今日来たのは教えてあげるためです。危険なので、数日は舞羽せんぱいと会うのをやめたほうがいいですよって』
ヒナノの言葉を思い出す。よく考えると、前に閏間さんに言われたこととは少し意味合いが違っていたんじゃないだろうか。
多分、逃げなきゃヤバい。
*****
午後の空は灰色に曇っていた。
慌てて料金を払い、裏口からカラオケ店を出る。そこからは商店街に繋がっていて、人通りも多いため紛れ込んで逃げられると思っていたんだけど……。
「……いるじゃん」
「どれ?」
「グレーのスーツで黄色のネクタイ、丸眼鏡」
「うわ。めっちゃ怪しいね」
ナナセは目立つ銀髪を隠すためにフードを被っている。けれど、数組の買い物客の向こう、黄色ネクタイは確実にこっちを見ていた。
商店街の終わりを右に曲がると、一旦黄色ネクタイの姿が見えなくなる。逃げるなら今のうちだ。
「走ろう!」
「え――わっ!?」
ナナセの手を取って、車通りの多い道を走り出す。あと何回か曲がれば、さすがに相手も僕たちを見失うはずだ。振り向くと、ちょうど黄色ネクタイが商店街から出てきたのが見えた。
――見つかった。
遠くで黄色ネクタイが駆け出した。僕は慌てて道を曲がり、細い路地に入る。相変わらず体力のないナナセはすでに息が上がっているようで、重たい荷物を引っ張ってるみたいだった。
「大丈夫――えっ!?」
後ろを振り返ると、ジュラルミンケースを持って走る黄色ネクタイがもう五十メートル後ろまで迫っていた。走行速度が人間のそれじゃない、速すぎる。
「やばい!」
ナナセを引きずるようにしてなんとか路地から抜け出し、大通りに出た。しかしそれが限界だったようで、ナナセは完全に立ち止まってしまう。このままじゃまずい!
「ナナ――」
「……抱えて走って」
「えっ」
「《抱えて走って》!」
そう言われた瞬間、勝手に動いた身体が天使を軽々と抱え上げた。左手はナナセの両脚を持っていて、滑らかな素肌に触れている感触がある。ナナセはその状態のまま、僕の首に手を回してしがみついてきた。温かくていい匂いがして、こんなんで走れるわけが――
「うわ!?」
両脚が勝手に動き出した。信じられないスピードで大通りの歩道を駆けている。振り返ると、黄色ネクタイが路地から飛び出してきて、同じくらいの速さでこっちに向かって走り出した。
「なにこの状況!?」
「『奇蹟』を使ったの! 身体能力をいつもの数倍に――ヨミ、信号!」
前を向くと、歩行者信号は赤だった。青に変わるのを悠長に待っている暇はない。覚悟を決めて、車が行き交う大通りへとジャンプした。
「~~っ!」
ナナセがいっそう強くしがみついてくる。風を切って、ぎりぎりで車道を飛び越えることに成功した。どうやら本当に『奇蹟』が作用して、僕の身体が全体的にパワーアップしているらしい。
「とにかく、隠れられる場所まで走って!」
フードを押さえながらナナセが言う。
「それってどこ!?」
「いま探すから……っ!」
黄色ネクタイはしつこく追ってくる。約五十メートルの間隔を置いて、お姫様抱っこ状態の男女と怪しげな格好の男が街を爆走していた。スマホを取り出す通行人もいたけど、気にしている暇はない。ナナセを落とさないように気を付けながら、無我夢中で何度も道を曲がる。
「こっち曲がって!」
ナナセが指をさす。言う通りに道を曲がると、そこは線路と建物の間の細い道だった。
「ここ!」
立ち入り禁止の札が立つ錆付いた階段だ。それを無視して二階まで駆けあがると、ビル内部へと続く鉄製の扉が現れた。
「《開いて》」
僕に抱えられたまま、ナナセが日本語で扉に命令する。がちゃりと音がして鍵が開いた。
「……なんでもありだね、その能力」
今更だけど、やっぱりナナセは人間とは違う。閏間さん風に言えば、『埒外の存在』なんだ。怪しい組織がナナセを付け狙っている理由も、今なら簡単に納得できた。