4-5
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『閏間莉明か。理解不能だ。お前は情では動かない人間だと思っていたが』
『人域に干渉する埒外存在は実力を以て排斥する。それが私の仕事』
そんな言葉が聞こえたかと思うと、爆発のような音が校庭に轟いた。
それは、フィンドレイが右手に持つ、六十五ミリ対装甲滑腔砲が火を噴いた音だ。
時速一六〇〇キロメートルの徹甲弾が、降りしきる雨の中を一直線にアルコーンへと飛んでいく。けれど、結果はロゴスで戦った時と同じだった。狙い澄まされた徹甲弾は、白亜の制圧躯体を通り抜けてコンクリートの塀を爆音と共に粉砕していた。
『わかっているはずだぞ。お前の行動は無意味だ』
フィンドレイが再び発砲する。
重金属製の砲弾が風切り音をあげて校庭をかっ飛んでいくが、やはりアルコーンの胴体を通り抜けると、背後にある塀を粉砕するだけだった。
『人間とはこうまで愚かだったか』
アルコーンが呆れた様子でフィンドレイを眺めている。
すると、モスグリーンの二脚兵装の背中から二つの飛翔体が発射された。対二脚誘導ミサイルだ。固体燃料ロケットで上空に舞い上がったそれは、恐るべき精度でアルコーンへと向かっていく。
白亜の制圧躯体はただそれを見上げていた。
着弾し、閃光が膨れ上がる。
校庭を地響きのような轟音が揺さぶり、黒い煙が立ち込めた。けれど、やっぱり意味がない。ミサイルはアルコーンをすり抜けて、ただ地面を爆砕しただけだった。
「やっぱ無理だよ、閏間さん……!」
ロゴスで戦った時と同じで、そもそも攻撃が当たらない。しかも、アルコーンはロゴスより高性能だ。あの鈍重そうな鋼の塊でなんとかできる相手じゃない。
『奇蹟には使うべき時とそうでない時がある。俺とて可能な限り無駄は避けたい。支払われるコストは夜見府容の命だけで十分だ。お前にもわかるだろう、閏間莉明』
『高鳥テンリはここで消滅させる』
二脚兵装に取り付けられた音質の悪いスピーカーが、閏間さんの声で即答する。
『だから――夜見くんは死なない』
その瞬間、フィンドレイのエンジン音が一層低く、唸るように轟いた。
転がるように二脚兵装が走り出し、アルコーンに向かって一直線に加速していく。制圧躯体のスピードと比べると、やはり遅い。けれど、時速五十キロメートルで疾走するフィンドレイは、驚くほど滑らかで軽やかだった。
アルコーンの両肩がくぐもった音をたてて変形する。花火が連射されるような爆音と共に大量の光弾が吐き出され、校庭を疾駆するフィンドレイへと殺到した。
無数の閃光が降り注ぐ。
弾幕は厚く、鈍重な二脚兵装では確実に避けきれない。しかし、フィンドレイは全く動じることなく、耳をつんざく騒音をたてる光の嵐の中へと突入していった。
『なに……?』
それは、信じられない光景だった。
フィンドレイは、光弾の嵐をトップスピードで突き進んでいる。降り注ぐ光の束は、モスグリーンの二脚兵装に当たることなくすり抜けていく。
「……いや」
違う。
光弾は、直撃していないだけでフィンドレイに当たっている。左腕の構造体が半分抉り取られた。右側のミサイル発射管が爆砕される。右脚の外装が弾け飛び、操縦席の装甲が宙を舞う。
光弾はいつ直撃してもおかしくない。そうなったら機体は一撃でスクラップになり、中の閏間さんは即死する。
でも、そうはなっていない。
「避けてる……!?」
閏間さんは光弾の軌跡を計算して、その全てをギリギリで回避しているんだ。
二脚兵装はダメージを最小限に抑えながらさらに加速していく。
最も異常なのは、そんな状況で冷静にダメージコントロールをしている閏間さんだ。まるでコンピューターのような冷徹さ。動揺はない。奢りもない。敵を倒す、その目的のためだけに最適解を計算し続けるマシーンがそこにいた。
『少しはやるようだな』
アルコーンが動き出す。
踏み込みは鋭い。フィンドレイの数倍の速度で校庭を駆けて、アルコーンが急速に接近する。フィンドレイは確実に先手をとられるだろうし、そうなれば攻撃を躱す手段はない。
アルコーンの右腕が緋色に燃え上がった。
光弾の嵐を抜けたフィンドレイの横から、凄まじい速度で制圧躯体の拳が繰り出され――
『なんだと!?』
――当たらなかった。
フィンドレイの胴体装甲を、火花を散らしてアルコーンの拳が滑っていく。
閏間さんは、始めからアルコーンの攻撃を計算に入れていた。アルコーンの攻撃が確定するより早く、フィンドレイは回避を始めていた――未来予知、いや、未来を計算したんだ。
「すごい……」
アルコーンの拳の攻撃面積、相対速度、フィンドレイの機動性能、攻撃タイミング。それらを計算し、最小限の動きで直撃を避ける、針の穴を通すような精密回避だ。
『お前は!』
アルコーンが再び踏み出し、フィンドレイに飛び掛かる。
同時に六十五ミリ砲が火を吹いた。超高速で繰り出されたアルコーンの拳は、射撃の反動で旋回したフィンドレイの装甲に数センチ届かない。宇宙服のヘルメットのような頭部、そのガラスの奥で、光学レンズが無感動にアルコーンの姿を映し出している。
天使の鎧が着地した。
鋼の兵器がその背後に抜ける。
『――!』
即座にアルコーンが反転して裏拳を繰り出すが、フィンドレイは既にいなかった。それどころか、アルコーンの周囲三百六十度のどこにも二脚兵装の姿はない。
アルコーンの頭上に影が落ちる。
『なんという、』
やつだ。
言いかけたアルコーンの頭上、フィンドレイが空を飛んでいる。
いや、跳んでいる。
ありえない、予想もつかない動きだった。なぜなら、二脚兵装は地を這う兵器だ。こんなに高く空を跳ぶようにはできていない。だというのに、閏間さんは軽々とそれをやってのけた。
がつん、と金属音が響く。
曲芸のように空中で上下反転したフィンドレイは、滑腔砲の先端をアルコーンの頭部に突きつけていた。
――ゼロレンジファイア。
六十五ミリの砲弾が発射される炸裂音が鳴り響いて、アルコーンの頭が爆砕された。地響きのような音と共にフィンドレイが地面に落下する。
『閏間莉明――!』
頭部を失ったアルコーンがフィンドレイの背後でよろけている。膝をついたまま振り返ったフィンドレイが滑腔砲を発射すると、アルコーンの胴体に砲弾がめり込んだ。
フィンドレイは六十五ミリ砲を次々とアルコーンへと叩き込む。灰色の校庭に眩いマズルフラッシュが瞬き、低い砲撃音が断続的に唸りをあげた。
『……節約しすぎたか』
呟くように言葉を残し、アルコーンが大きく後方に跳躍する。砕けた鎧を撒き散らしながら舞い上がったかと思うと、白亜の躯体は光の粒となって消えていった。
静かに滑腔砲を下ろしたフィンドレイは、雨に濡れたモスグリーンの装甲をてらてらと輝かせている。降りしきる雨の中、低いエンジン音だけが遠く轟いていた。
*****
「ここも軽い打ち身。安静にしていれば問題ない」
「そっか、ありがとう」
僕と閏間さんは体育館の屋根の下で雨宿りしている。体育倉庫への入口、その階段に並んで腰かけ、閏間さんは僕の身体に異常がないか丁寧に調べてくれていた。
空は相変わらずの雨模様で、フィンドレイの装甲をぱたぱたと叩く雨の音が聞こえている。正面に停止したモスグリーンの陸戦兵器は、あちこちが焼け焦げて破壊されていた。閏間さんが言うには、さっきのアクロバットで足回りも故障したらしい。
「あのさ」
「うん」
「怖くなかったの? 見ててヒヤヒヤしたんだけど……」
「M90の性能は目標達成のための条件を満たしていた」
「いや、そうじゃなくて」
「……?」
閏間さんが黒々とした瞳をこっちに向ける。
「まずさ、当たんなかったじゃん。ミサイルとかも。なのによく戦おうと思えたね」
「あれは光学的、もしくは洗脳的認識阻害。アルコーンに実体があることは対二脚ミサイルの爆風の様子から確認できた。実体があるなら破壊可能。認識を阻害されようと、砲身を直接触れさせて発砲すれば確実に当てられる。接近したとき、認識阻害は殆ど受けなかった。その効果は恐らく距離に比例する」
「あ、うん。そうだね……」
ダメだ。なんかこう、考え方がズレてる。
「ちなみに、アルコーンの攻撃はどうやって避けてたの?」
「避けているわけではなく、目的論的二脚戦術思考法という戦術思考ルーチンを使った最適化計算。対象の最終的な目標と各種の条件から戦闘の流れを逆算的に解析し対策を立てることができる」
「ごめん、なんもわかんなかった」
「シェルフでは、二脚兵装における戦術思考法、つまり『公式』が多数考案されている。状況を『公式』に当てはめるだけで、目標達成のための戦闘挙動が計算できる」
「あー……そうなんだ」
説明されてもよくわからない。だとしても、こんな装備で、僕を助けるために命懸けで戦ってくれたことだけは、明確な事実だと思う。
「……かっこよかったなぁ」
「その称賛は私にはそぐわない。シェルフには、私と殆ど変わらない年齢なのに既に六つの戦術思考法を組み合わせて使用している人がいる。私は一つ習得するのに三年かかった」
閏間さんはフィンドレイに目を向けた。
美術の授業中に話した時も思ったけど、彼女はどうも自分を過小評価したがっているようで、イマイチ言いたいことが伝わらない。付け加えるなら、僕と閏間さんの間には常に見えない壁があるような気がしてもどかしかった。
「とにかく、ありがとう」
「感謝されるようなことはしていない」
濡れたシャツ越しにプリズムキューブのペンダントに触れる。高鳥の言うことがどこまで本当かはわからないけど、もしかするとこれは本当にナナセそのものなのかもしれない。
これを高鳥に渡さずに済んだのは、間違いなく閏間さんのおかげだ。
「いや、本当に助かったよ。なんてお礼を言ったらいいかわかんなくて」
閏間さんはフィンドレイを眺めながら返事をする。
「人域に干渉する埒外存在を実力を以て排斥するのが私の――」
そこまで彼女が言いかけた時、何かがぴょんと視界を横切る。
僕はそれを見逃さなかった――閏間さんのヘアゴムだ。
光線で焼き切られ、短くなってしまった閏間さんのポニーテール。その後も激しく動き回っていたからか、自然とゴムがとれてしまったんだろう。本来はもっと長かったはずが、はらりと解けた黒髪は肩にかからないくらいの長さになっていた。
「……」
閏間さんの両手が上がる。ポニーテールがあった位置を撫でて、そのあと解けた髪の先端あたりを触り、その態勢のままゆっくりとこっちを向いた。その顔には混乱が見られる。もしかして、髪が短くなったことに気付いてなかったんだろうか。
真っ黒の瞳が瞬きをする。その目は意外と丸くて大きい。よく見ると輪郭線も柔らかく、全体的に愛嬌のある顔立ちだった。前髪の一部が外ハネしているのもとぼけた感じで印象深い。
僕はシンプルな感想を抱く。
気付いたときには、勝手に動いた口がその感想を述べていた。
「短いのも似合ってて可愛いね」
「……えっ」
閏間さんの間の抜けた声はめちゃくちゃレアだ。ついでにまんまるに目を見開いた今の表情もめちゃくちゃレア。僕はその瞬間を見逃さなかったけれど、写真を撮っておこうと思いつくより先に、彼女はぷいと顔を背けてしまった。
「そろそろ移動する」
閏間さんは立ち上がって、フィンドレイの方に向かっていく。体育館の屋根がちょうど終わるくらいのところで、振り向きざまに彼女は言った。
「もうすぐ私以外の蒐集員が来て隠蔽処理を行う。M90を動かすからそこで待っていて、ヨミくん」
「……ん?」
呼ばれ方に小さな違和感を覚える。
そんな僕には構わず、閏間さんは雨の中へと踏み出した。
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