4-4
*****
「……ロゴスのパクリじゃん」
シェキナーを構え直す。視線の先、アルコーンは両腕を広げた。
『いいや、違う。ロゴスが天の鎧を真似たのだ』
アルコーンの頭部、緋色の光輪がぎらりと輝く。
落ち着け、夜見府容。制圧躯体だからって、虚像天使とそう変わらないはずだ。落ち着いて観察すれば勝機が視えてくる。いつも通りやればいい。
「……よし」
シェキナーに光矢を再装填する。
アルコーンは手を広げた姿勢のまま動いていない。まだ敵は五十メートル先にいる。多分、舐められているんだ。――だったら、先手を取らせてもらう!
『当ててみろ』
余裕ぶったアルコーンに狙いを定め、シェキナーを発射した。この距離ならば外さない。
灰色の世界を眩く照らした光軸は、寸分違わずアルコーンを貫いて――
「えっ」
そのまま後方へと素通りしていった。
「なんで……!?」
無傷。アルコーンの白亜の鎧には傷一つない。シェキナーから放たれた光矢は確実に胴体を貫いていたはず。いいや、違う……確かに実体を感じるのに、矢が当たる一瞬だけ、敵の制圧躯体はそこにいなかったように視えた。
『では、行くぞ』
声が聞こえて、アルコーンが踏み出した。さめざめと降る雨の中、敵が悠々と歩き出す。
「――っ」
思わず息を呑む。アルコーンはゆっくり歩いているだけで、異様なまでのプレッシャーを放っていた。
焦るな、落ち着け、よく観察すれば視えるはずだ。
再びアルコーンに照準を合わせて、シェキナーを発射する。重低音をあげ飛翔した燃え盛る光矢は、やはりアルコーンの躯体をすり抜けた。まるでゲームのバグのようだ。実体はあるのに、当たり判定が存在しない。
「どうなってるんだ……!?」
無我夢中で光矢を連射する。火花を散らし、眩い閃光がアルコーンへと殺到するも、そのどれ一つとして白亜の鎧に傷をつけることはできなかった。両手を広げたアルコーンは、迫る光矢をものともせずに歩いてくる。
「なんで――」
ふと、閏間さんの言葉を思い出してハッとする。
「『奇蹟による高度な認識阻害』……?」
もしかして、僕の認識がリアルタイムで書き換えられているんじゃないか? もし、アルコーンの位置を誤認させられているとしたら。『視えている』と思っていても、その認識自体が間違っているとしたら。
そんなことができるなら、どうやって攻撃を当てればいい?
『終わりか。お前相手なら第二段階で十分のようだ』
三十メートル先、高鳥の言葉が聞こえた。
アルコーンの両肩にある大型の鎧が、くぐもった音をたてて変形する。
次の瞬間、花火のようなやかましい音が連続で轟き、緋色に光るエネルギー弾が大量に吐き出された。それは空中に撃ちあがると、一斉にランダムな軌道で落ちてくる。まるで光速の流星群だ。
がちり。歯車が噛み合う音がした。
〈光剣起動〉
ロゴスの左肩鎧から光剣の柄がせりだす。
「――いける」
大丈夫、これは視える。無数の光弾で視界が激しく明滅して、唸るような騒音がロゴスを包み込む。避けきれはしないけど、凌ぐことはできるはず!
鋭くバックステップして回避しつつも、致命的な光弾を斬り払う。激しいスパークと爆発音の中、ロゴスが電撃のように動いて弾幕を掻いくぐった。
爆炎から脱出して、滑りながら地面に着地する。
「アルコーンは――」
どこだ、と言い切る前に、背後から声が聞こえた。
『評価を改めよう。回避能力は高水準だ。だが』
振り返ると、アルコーンは緋色の炎を纏った右腕を振りかぶっていた。
『近接戦は論外だな』
「――っ!?」
凄まじい衝撃と共に、数十メートル吹っ飛ばされた。天地がぐるぐると回って方向感覚が狂う。悲鳴をあげ、がむしゃらにもがきながら泥の地面をバウンドし、しばらくしてようやく停止した。
眩暈がする。痛みはないけど、吐き気が酷かった。
このままじゃまずい。とにかく立ち上がって、敵を観察して、突破口を見つけないと――
びきり。
「……え?」
立ち上がろうとしたら、躯体から嫌な音が聞こえた。びきびきと、割れるような乾いた音は止まらない。
〈躯体破損甚大〉
〈自律修復不能〉
「なんだ、どうした……!?」
ロゴスの鎧がひび割れては剥がれ落ちていく。鎧だけじゃない、ひび割れは躯体の骨格まで浸食していた。ぬかるんだ地面に黒い欠片がばらばらと落ちていく様子に、戦慄を覚える。
『俺の役割には不要な天使の廃棄が含まれる。アルコーンの両腕は、対・制圧躯体の特殊仕様だ』
二十メートル先、アルコーンが両手を握りしめる。
雨の中で、緋色の炎が燃えていた。
「けど、立つしか……!」
恐る恐る両脚に力を込める。ひび割れが浸食する乾いた音を立てながらも、ロゴスは立ち上がった。あと一撃食らえば確実におしまいだ。鎧の破片をばら撒きながら、ロゴスがシェキナーを構える。
『覚悟を決めろ』
アルコーンが踏み込んだ。
とんでもないスピードだった。敵は白い稲妻のように、瞬く間もなく接近してくる。
「やば――」
思考が鈍る。またこの感覚だ。やっぱり、僕は近接戦が『怖い』らしい。
だって、どうすればいい? どうしたらヒナノみたいに戦える? そんなの、一度もやったことがないのにうまくいくわけがない。多分失敗して、死んでしまうに決まってる。
「――あ」
アルコーンはもう目と鼻の先にいる。
ダメだ。ここまで接近されては為す術がない。咄嗟にシェキナーを捨てて、両腕で胴と頭をガードする。そこへ、アルコーンが信じられない速度で踏み込んできた。
『やはり論外だ』
声が聞こえたときには、僕の身体は吹っ飛ばされていた。凄まじい衝撃で意識を失いかける。地面を派手にバウンドしながら、びきびきという音が大きく膨れ上がって歯止めが効かなくなっていく。ロゴスの両腕が砕け散り、全身の鎧が粉々に割れていた。破片を撒き散らしながら、漆黒の制圧躯体は壊れた人形のように校庭を跳ねる。
〈制圧行動停止〉
〈緊急躯体保護:概念変換開始〉
〈躯体維持不能〉
「うわ!?」
気付けば、僕は生身で投げ出されている。泥の地面を数メートル転がり、眩暈と共に全身に鈍い痛みが走った。泥の味がして、濡れてぐしゃぐしゃになった制服が鬱陶しく身体に纏わりついてくるのを感じる。
ロゴスが破壊された。
信じがたい現実を前に、焦燥が全身を支配している。痛みをこらえながら、上体を起こして叫ぶ。
「《ロゴス》! 《ロゴス》! まさか、ホントに……!」
『これで理解できただろう』
数十メートル先に静かに佇んだアルコーンが、緋色の光輪をぼんやりと輝かせている。
『あらゆる抵抗は無駄だ。もう一度だけ言う。聖霊匣を渡せ』
地面を叩く雨の音だけが反響する。
そっか。
負けたんだ。
思い出してしまった。僕はなんでもないただの一般人で、たまたまナナセと縁があって、与えられた力でたまたま戦ってこれただけだったんだ。
「……はは」
口から乾いた笑いが漏れる。
なんで僕だったんだろう。僕じゃなくて、もっと強くて勇気のある人だったら――ナナセはもう少しこの世界を楽しむことができたんだろうか。
「ごめん、ナナセ……」
アルコーンが手をかざしたのが分かった。ここで僕は死んで、ナナセは世界から消されるんだ。
そう思ったとき、唐突に校庭の横の建物が爆発した。
ハッとして、がらがらと大きな音をたてて崩れ落ちた壁に目を向ける。
煙の中、がちゃり、がちゃりと重たい金属の塊が歩く音が校庭に響く。軍事用のディーゼルエンジンの音が、低く雷鳴のような唸りをあげていた。
『夜見くんは下がっていて。私が状況を終了させる』
音質の悪いスピーカーから、それでも明確に閏間さんのものだとわかる声が聞こえる。
――M90A2『フィンドレイ』。
モスグリーンに塗装された全高三・一メートルの二脚兵装が、戦車砲のような武装を構えて校庭の端に姿を現していた。