4-2
「高鳥? なにしてんの、こんなとこで……」
不審に思いながら声をかける。
高鳥は振り返らずに、さめざめと降る雨を見つめ続けていた。
「ヨミ、お前は壊れたものは修理して使用する方か? それとも廃棄する方か?」
唐突に高鳥が切り出した。
「なに、急に」
「俺はできる限り修理して使用することを選ばされる」
「なんの話?」
「多少修理にコストがかかっても、修理した後で得られるメリットが大きければ、そのコストは支払う価値がある。そうは思わないか」
「……そりゃ、そうだけど」
「理解が早くて助かる。さて、ここからが本題だ」
高鳥テンリがこちらを向く。眼鏡の奥の緋色の瞳が射貫くような視線を向けてきて、思わず後ずさりした。
「なに? なんなの?」
廊下がしんと静まり返る。雨が弱々しく窓を叩く音が響いていた。
高鳥が口を開く。
「天使アレフの聖霊匣を渡せ」
「……は?」
目の前に立つ男が右の掌を差し出す。
「天使アレフ――舞羽ナナセの本体、聖霊を収容した匣だ。お前が持っているんだろう?」
「ナナセの、聖霊……?」
どくどくと、視界が脈動を始めた。高鳥の口から出た舞羽ナナセという単語に、そして聖霊と言う言葉に動揺する。軽く眩暈がして、まっすぐに高鳥の顔を見られない。
「舞羽ナナセを完全に消去しきれない原因。その起点はお前が持つ聖霊匣にある。巧妙なシステムだが、お前という人間を選んだことが唯一の脆弱性だ」
「待ってって、何の話かわからない」
「嘘は感心できないぞ、夜見府容」
高鳥が掌を返す。
じゅ、と音がした。
気付けば、口から勝手に悲鳴が漏れていた。熱い。右の太ももに熱した鉄パイプを差し込まれたかのような感覚に、思わず地面にへたり込む。右脚に穴が開いていた。どくどくと血があふれ出し、モノクロの世界に鮮やかな赤が広がっていく。
「もう一度言う。聖霊匣を渡せ」
痛い。熱い。右脚が内側から燃やされているかのようだ。全身から異常なまでに汗が吹き出て、悪寒が身体中を駆け巡る。呼吸は不安定で、上手く肺に空気を送り込めない。視界がぼやけて、高鳥がどんな表情をしているのかもわからなかった。
意識が朦朧とする中、精一杯思考する。天使の聖霊を収容した『聖霊匣』――その言葉で思い当たる節があるとすれば、それはきっと、プリズムキューブのペンダントのことしか有り得ない。
歯を食いしばって痛みに耐えながら、高鳥を睨む。
「なんで、こんなこと……!」
「俺には主から授かった天命がある。天使アレフの受命した処理を調査、修復、もしくは破棄すること。そのためには、お前の持つ聖霊匣が必要だ」
高鳥の瞳が冷たく見下ろしている。
息が苦しい。両手で傷口付近を押さえて、必死で痛みに耐えた。
「これ以上説明しても無駄だ。聖霊匣を出せ。渡せないというのであれば、天使アレフ修復のために支払われるコストはお前の命になる」
高鳥が手をかざす。その掌は僕の心臓を向いている。
このままじゃ間違いなく死ぬ。
激痛の走る右脚では、逃げることも叶わない。いいや、逃げたところで結果は同じかもしれなかった。生き延びる方法はたった一つ、高鳥にプリズムキューブのペンダントを渡すこと。
「……聖霊匣なんて、知らない」
でも、口から出たのはこんな言葉だった。
「……」
高鳥が無言で手をかざすと、掌に光が灯る。
僕は呆然として、その光を見つめることしかできない。
「残念だ、夜見ふよ――」
言いかけた高鳥の台詞を遮るように、乾いた破裂音が響く。
「……え?」
突然のことで理解が追いつかなかった。いつの間にか、高鳥の眉間に穴が開いている。
その身体が吹っ飛んで、ばたりと廊下に倒れ伏す。連続で何度も、破裂音が廊下に響き渡った。その度に高鳥の身体が歪に跳ねる。
「――うわ!?」
そして、自分の身体が浮いていることに気付いた。投げ飛ばされた――そう理解したときには、目の前に夏服セーラーの後ろ姿が現れている。拳銃を構え、ポニーテールを翻す黒髪の女の子。
「伏せて!」
その声を聞いて床に這いつくばった瞬間、眩い閃光が廊下の先で膨れ上がった。轟音と衝撃に襲われ、キーンという耳鳴りに聴覚を奪われる。
一瞬の出来事だったけど、辛うじて視えた。あれはグレネード、手榴弾だった。それが倒れた高鳥に向かって投げ込まれたらしい。
窓ガラスは割れ、爆発は壁すらも破壊していた。廊下には煙が立ち込めているものの、すぐに晴れるだろう。その煙の中からセーラー服の女子生徒が現れて、こっちに駆け寄ってきた。
「……そっか」
それは相変わらず無表情の閏間さんで、なんだか妙に納得してしまった――あの部屋の机に置かれていた拳銃はこうやって使うつもりだったのか。彼女はそんな僕を助け起こすと、真っ黒な瞳で覗き込んでくる。
「大丈夫?」
「これって、どういう……」
「――! あとで説明する」
閏間さんは静かに立ち上がり、両手で拳銃を構えた。
晴れていく煙の向こうで、「閏間莉明。お前の命もコストに計上しよう」という声が聞こえてきた。数メートル先、無傷で立っていた高鳥が右手を向けるのが視えた。その掌が発光している。
「閏間さんっ!」
高鳥の掌から光線が迸った時には、既に彼女は動いていた。
黒髪が宙を舞う。
薙ぎ払われた光線が切り落としたのはポニーテールだけだった。閏間さん自身は素早く姿勢を落としてそれを避けている――計算したかのような緻密な回避だ。
閏間さんが信じられないスピードで廊下を走り、立て続けに拳銃を撃った。廊下に乾いた発砲音が木霊する。一発は高鳥の右手を弾いたものの、それ以降は身を翻した高鳥に避けられてしまった。
高鳥が光線を放とうと左手を掲げるが――
「――な!?」
その前に、高く上がった閏間さんの右脚が、鈍い音と共に高鳥の顎を蹴り上げていた。鮮やかなハイキックを受けた高鳥の身体が宙に浮く。
スカートがふわりと翻る。上履きが廊下を踏みしめる音が小さく響いた。黒髪が揺れて、その隙間から一切動揺を見せない閏間さんの横顔が覗く。
「貴様――」
言いかけた高鳥の襟元を掴んで勢いよく振り回すと、閏間さんはそれを校舎の中庭へと放り捨てた。
「耳を塞いで!」
多分、僕に言ったんだろう。遠くで高鳥が落下した音が聞こえると同時に、閏間さんが弾かれたように窓際から離れる。彼女はいつの間にかリモコンのような装置を持っていて、そのボタンを親指で押したのがわかった。
「うわっ!?」
轟音が響き渡り、校舎が激しく揺れる。
どこかが爆発したらしい。揺れる視界の端で、大量の瓦礫がばらばらと落下して行くのが見えた。遅れて気付く――きっと、中庭に落ちた高鳥を、瓦礫で生き埋めにしたんだ。
まだ校舎は揺れていたものの、閏間さんは動じることなく破壊された壁から下の様子を覗き見ている。
「なんでもありだな……」
誰にともなく呟く。部屋に銃がたくさん置いてあるのはまだ序の口だった。閏間さん本人の身体能力も異常に高くて、その上校舎には爆弾が仕掛けられていた。シェルフとかいう組織の周到さ、そして行動力に舌を巻く。
「出血しているように見えた。大丈夫? 患部を見せて」
「あ、うん」
閏間さんが相変わらずの無表情で近付いてくる。右脚の太ももに穴が――
「……え?」
ない。治っている。
そこに開いていたはずの穴がなくなっていた。
「衣服に血液は付着している。ここに傷があったことは間違いない」
「えっと、閏間さん?」
閏間さんは僕のベルトに手を伸ばして手際よく取り外し始めた。それはまずいと思う!
「ちょ、待って、脱がさないで! 大丈夫、多分治ってるから!」
「早急に適切な治療を受けた方がいい。でも、夜見くんには拒否する権利がある。奇蹟による加護の可能性も否定できない。あなたが必要ないというのであれば私は行動を停止する」
「……多分大丈夫。ありがとう」
「わかった」
閏間さんは無表情のまま、丁寧に下げかけたジッパーとベルトを元に戻した。
「立てる?」
「うん、大丈夫そう」
「移動する。ここは危険」
「……高鳥、やっぱまだ生きてる?」
表情を変えずに閏間さんが頷く。なんとなくそんな気はしていた。眉間に一発、身体に数発銃弾を叩き込まれ、その後手榴弾で爆破までされたのに無傷で立っているような男だ。瓦礫に潰されたくらいで死ぬとは思えない。
「高鳥って……なんなの?」
歩きながら振り向いた閏間さんが、横目で僕を見る。
「高鳥テンリは、舞羽ナナセを調査、もしくは廃棄するために現れた天使。次は制圧躯体を出してくる」
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