謝罪と決意
……身体がとても温かい。
いや、ちょっと熱くて重いような気がする。何かが上に乗っているような……
エミリアはぼんやりと思いながら頭が少しずつ覚醒していき、目を開いた。
自室の天井が目に入り、視界の端にふんわりとした銀色の髪が見え、視線を下に向ける。
ああ、重く感じた原因はこれか……と上体を起こし、自分の足の上ですーすーと寝息を立てるシリルの頬を優しく撫でる。
「エミリア様、お目覚めになりましたか」
不意に横から掛けられた声にはっとし、顔を向けると扉の横にデュークとダフマンの姿があった。
「えっと、あの…………」
とっさに言葉が出てこず、状況を整理する。
自分は池に落ちて、その後…………
エミリアの頭の整理が終わる前に、デュークが低く冷たく言葉を発する。
「申し訳ない」
「え?」
目の前の冷ややかな目をした人は、なぜ謝罪を口にしたのだろう。疑問に思ったが、自分が謝罪をしなければいけない立場だということをエミリアは思い出した。
「いえ、謝罪すべきなのは私の方です。本当に申し訳ありませんでした」
「……なぜ君が謝る?」
「え?」
「……」
なぜだか噛み合わない会話。しばし静寂が訪れた。
エミリアはデュークが何を考えているのか分からない。明らかに不機嫌そうに見えるのに、なぜか謝罪の言葉を口にする。
彼は何を謝罪しているのか、なぜ自分の謝罪に疑問形で返されてしまったのか、全くもって訳が分からない。
そしてデュークも同じように考えていた。本当は自室のベッドで横になる彼女の元に行くなど許されない事なのに、ダフマンに無理やり連れてこられた。
来てしまったからには腹を括るしかないと、何とか謝罪の言葉を口にしたのに、彼女には伝わっていないようだ。
なぜか逆に謝罪されてしまい、どうすればいいのか分からない。
ひたすらに静寂が続く。
「うー、おほんっ」
もどかしすぎて耐えられなくなったダフマンが、ひとつ咳払いをする。できるだけ口を挟まずに見守るつもりでいたが、この二人は間に誰かが入らないとダメだ。
静観する事は諦め、自分に出来る事をしようと決めた。
「僭越ながら、説明させていただいてもよろしいでしょうか?」
「!! はい、お願いします」
有り難い申し出にエミリアはホッとなる。もちろんデュークも心の底から安堵した。
「ではまずはエミリアさまから、エミリア様は、池に落ちてしまった事、デューク様に自分を運ばせてしまった事、医者の手配をさせてしまった事、これらを謝っておいでですかね」
「はい、その通りです。あと私を運ぶ際にデューク様のお召し物が濡れてしまった事も申し訳なく思っております」
「そうでございますか。しかしエミリア様、デューク様はこれらを一切迷惑とは思っておりません。彼にはエミリア様のお身体を心配する気持ちしかございません」
「そんな、さすがにそれは…………あの、本当ですか?」
そんな訳はないだろうとエミリアはデュークに目を移し、問いかけた。
「ああ、本当だ」
まさかの肯定。
エミリアは信じられない気持ちでいっぱいになった。
「こちらはこれで解決という事でよろしいですかな。では続きまして、デューク様の謝罪についてですが、デューク様はエミリア様のお身体に触れてしまった事を謝っておいでです。エミリア様を無断で抱き上げ、そのまま屋敷まで運んでしまった事を申し訳なく思っていらっしゃるのです。『スキンシップは一切無し』という契約内容に反してしまいましたから。あとこの部屋に勝手に入ってしまった事もですかね。しかし彼をここに無理やり連れて来たのは私なのです。申し訳ございません」
「そんな……あの状況ですから、助けていただいた感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。部屋にお入りになった事も全く気にしていません」
「……そうか」
デュークは心の底からホッとした。
「ではこれで解決という事で。デューク様は他にも仰りたい事がおありですよね」
ダフマンに後押しされて、緊張しながらも聞きたくて仕方が無かった事を口にする。
「……身体は大丈夫か」
「あ、はい。痛みはもう殆どありません」
「そうか。熱は?」
「熱もありません」
「……そうか」
デュークはようやく心配事が無くなり、緊張が緩んだ。少し表情を和らげながら一言告げると、その場を去った。
エミリアは堪えきれなくなり、両手で顔を覆った。
どこまでも不器用でどこまでも優しくて、あんなのは反則だ。好きにならない方がおかしいのに、どうしろと言うのだろう。
もうダメだ。この想いはもう押さえ込めそうにない。
自分はあの人が好きで好きでどうしようもないのに、この気持ちをどうすれば良いのか分からない。
悶々としていると、ダフマンが静かに口を開いた。
「エミリア様、つかぬことをお聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい、何でしょうか」
「エミリア様はデューク様に恋慕の情を抱いておいでですね」
「へっ!?」
エミリアはダフマンの鋭い指摘に声が裏返り、身体がビクンと跳ねてしまった。
まさか自分の誤魔化しきれない気持ちを認めて、途方に暮れていた途端に指摘されるだなんて思いもしない。
「……大丈夫です。人として尊敬し好感を持っているだけです。恋愛感情を抱かないようにきちんと気をつけますので、大丈夫です」
「おや、どうして恋愛感情を抱いてはいけないのでしょう。そんな事は婚前契約書に記しておりませんよね」
ダフマンにそう言われ、エミリアは契約内容を思い浮かべる。
契約書には閨事、スキンシップは一切無しと記してあるが、相手に恋愛感情を抱いてはいけないなどとは記していない。
「そうですが、お互い恋愛感情を抱かないという前提があって結ばれた婚姻ですし……」
「エミリア様、始まりはどうであれ契約書に記されていない事など気にする必要はございません。心の中で相手を愛する事は自由なのです。態度に出てしまったとしても、言葉や行動に表さなければ良いだけ。お二人はこれからずっと共に歩むパートナーなのですから、相手に抱く感情は好意的な方が良いに決まっております」
ダフマンにさっぱりきっぱりと言い切られてしまい、エミリアはハッとなった。
「そう……ですよね。距離感さえ気を付けていれば、心の中でどう思おうが自由ですよね」
「その通りでございます」
ダフマンににこやかに肯定され、エミリアは心の枷が取れたように感じた。
そうか、好きになっても良いのか。伝える事はできないけれど、どんな想いを抱いていても自由なんだ。
エミリアは、ひっそりとこの想いを抱いていこうと決意した。