手紙
デュークの執務室にて。
ダフマンは一日の報告と共に、シリルから託された手紙をデュークに渡す。
本当はシリルから直接手渡したかったようだが、今日はデュークは領地視察や会談を行っていた為、夜遅くまで不在にしていた。
帰って来るまで起きて待っている! とシリルは意気込んでいたけれど、その十分後にはもう夢の中へと旅立ったのだ。
デュークは受け取った手紙にさっそく目を通す。可愛らしい文字で素直な気持ちが綴られた手紙に、胸が温かくなり笑みが浮かぶ。と言っても口角が少し上がるだけだが。
読み終えてしばらく余韻に浸った後は、すっと無表情に戻り、言葉足らずに口を開いた。
「シリルはどうだ」
「はい、今の家庭教師が来るようになってからは、楽しそうに学んでいらっしゃるようです」
「そうか」
デュークの目尻は少しだけ下がった。
これがとてつもなく嬉しい時の表情であることを知っているのは、彼の家族と彼を幼少期から知っているダフマンだけである。
ダフマンはそんな主人を微笑ましく思いながらも、次はどういう反応をするのだろうとわくわくしながら、懐からスッと手紙を取り出した。
「あとこちらは、エミリア様からの手紙となっております」
「……なん……だと?」
デュークの表情は無表情を通り越し、不機嫌さも感じられるような冷ややかな目になった。これは緊張している時の表情である。
デュークは恐る恐る手を伸ばし受け取るが、不安が次々と襲いくる。
自分は何か彼女の気に障る事をしてしまったのではないか、この手紙には不満が書き連ねてあるのではないか。
不安に押し潰されそうになるが、読まなければ何も解決しない。何とか目を通す覚悟を決める。
そんな主人の様子をダフマンは静かに見守りながら、心の中で呟く。
デューク様はきっと、手紙に不満が書き連ねてあるとでも思っているのでしょう。そんなはずはございませんのに。
さぁ、早くお読みになるのです。
何が書いてあるのか、受け取った瞬間から気になって気になって仕方がありませんでした。
あぁ、わくわくしますね。どんな楽しいことになるのでしょうか。
そんなダフマンの期待になど微塵も気付いていないデュークは、手紙を読み終えるとゆっくりと口を開いた。
「ダフマン、私はどうすれば良い?」
「どうすれば、と仰られましても……そちらを読ませていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ」
人様の手紙を読むというのは些か気が引けるが、内容を確認しないと助言しようがない。
申し訳なく思いながらダフマンは手紙を受け取り、目を通す。
そしてすぐに、『くくく……』と震えだした。
手紙の内容は仕事に関する内容だった。
デュークの執務の一部を手伝うようになったけれど、そろそろダフマン経由ではなく直接執務室に出向いて手伝うことは可能だろうか。
ダフマン経由では確認したい事があってもすぐにできなくて手間がかかる。
そういった要望を書き連ねた最後には、『もちろん下心など一切ございません。きちんと契約を交わしておりますし、女嫌いであるデューク様と親密になりたいだなんて気持ちは微塵もございませんから、ご安心を!』と締め括られていた。
「くくっ……くくくく…………」
ダフマンは笑いが止まらない。
デュークは恐らく彼女に好意を抱いていて、心の距離を近付けたいと思っている。けれど物理的に近付きコミュニケーションを取るのは、彼にとってはとてつもない困難である。
「くっ、くくく…………コホン、失礼。さて、どのように返事をなさいますか」
ダフマンはひとしきり笑い終えると、一つ咳払いをし、少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「……」
「そうです、いい事を思いつきました。デューク様も手紙をお書きになったら良いのです」
両手をパチンと合わせるダフマンの思いがけない提案に、デュークは内心目から鱗である。もちろん表情は無のままだが。
「……そうか、手紙か」
挨拶以外ろくに話しかける事などできない、話しかけたとしても上手く伝える事などできない。
それなら手紙をしたためれば良いのだ。それはいい考えだと、デュークはさっそくエミリアに手紙を書く事にした。
伝えたい事など山のようにあるが、ペンを走らせたくなる気持ちを落ち着かせ、冷静になる。
できればもう少し関わりを持ちたいと考えているなどと、そんな気持ちを伝えられたところで彼女は困るだろう。
手紙には、エミリアの要望に答えるだけに留めておく。
執務室で直接手伝ってもらえれば執務がより捗るのでこちらとしても助かる。話す事は得意ではないから、申し訳ないがあまり会話はできない。
そういった事を書き連ねた手紙をダフマンに託した。
* * *
エミリアがデュークに手紙をしたため、ダフマンに託した翌日。
いつものように家族三人でテーブルにつき、朝食を取る。エミリアとデュークは挨拶を交わした後は、お互い目が合うことも無い。
たまにどちらかがちらりと見ることはあるけれど、目が合うことは滅多に無いのである。これがこの二人の距離感だ。
しかし、エミリアは今日は少しだけ不安になっていた。
今日のデュークはいつもと雰囲気が違うように感じたからだ。
朝の挨拶を交わした時、いつにも増して冷ややかな雰囲気に感じたのは気のせいでは無いはず。
エミリアは悶々としていた。
自分が昨日出した手紙に怒っているのかもしれない。
執務室に女を入れ、同じ空間で仕事をするだなんて、女嫌いな彼にとっては苦痛で仕方のない事だろう。なぜそこまで気が回らなかったのかと思慮の足りなかった自分が嫌になる。
もっと役に立ちたいと思って出過ぎた真似をしてしまった。
嬉しそうに手紙を書いているシリルに触発され、要望をしたためてダフマンに託してしまった事を少し悔やんでいた。
きっと後でダフマン経由でお断りを入れられるのだろう。まだそうと決まった訳ではないけれど、少ししょんぼりしながら食事をした。
目の前では、デュークとシリルが微笑ましく会話をしている。
「シリル、手紙をありがとう。上手に書けていたよ」
穏やかに優しい声で話しかける姿。彼がこんな風に接する相手はシリルだけである。
父に喜んでもらえて、シリルは照れくさそうに笑った。
二人の仲睦まじい様子はこの家に来てから毎日目にしているはずなのに、微笑ましく思う気持ちと同時に、寂しさや羨ましさを感じるようになっていた。
朝食が済み自室へと戻る途中、エミリアはダフマンに呼び止められた。
「エミリア様、こちらはデューク様からのお手紙でございます」
「えっ、手紙ですか!?」
「はい、左様でございます」
まさか手紙で返事がくるとは思っていなかったエミリアは、少し狼狽えた。
了承か拒否か、ダフマンから口頭で返事がくるものだと思っていたのに。
そして朝のデュークの様子から察するに、おそらくは拒否だろう。その言葉を受けとるだけで済む事なのに、まさかの手紙。
さすがに図々しいお願いにお怒りなのだろう。これはお怒りの手紙に違いない。
不安に思いながら自室に戻り、深呼吸して気持ちを落ち着かせてから手紙に目を通す。
「…………あれ?」
一行目からもう了承すると書いてあり、すとんと肩の力が抜けた。
その後も怒りの感情など微塵も込められていない内容が綴られている。
エミリアは手紙を読み終えるとホッと息を吐き、何ともいえない安心感を覚えた。
自分の要望がすんなりと通っただけでなく、感謝の言葉をもらえるだなんて。
そして最後の一文、『話す事は得意ではないから、申し訳ないがあまり会話はできない』
女嫌いであるデュークにとって、女性と話す事は苦痛で仕方がないはず。それなのに会話ができないことを申し訳なく思ってくれている。
胸の奥からじわりじわり。淡い気持ちが湧いてくるけれど、エミリアは自身に言い聞かせる。
これは恋愛感情なんかではない。これは尊敬する気持ちなんだ。
自分と彼の間にはそういう感情が生まれることなんてありえないし、許されない。
落ち着いて過去の自分を振り返る。
少し優しくされたから、少し褒めてもらえたから、気遣いを感じたから。そんなちょっとした理由ですぐ男の人に好意を抱いてしまい、優しい言葉を疑いもせずにホイホイと付いていき、その結果が散々で無かったことなど一度も無いのだから。
自分の悪い噂に惑わされる人ばかりではないはず。今回こそは大丈夫、今回こそは……
そう自分に言い聞かせ、大丈夫だった“今回”が訪れたことなど一度も無いのだから。