シリルの為に
公爵家の三女と半ば強引に婚約させられ、そのまま結婚したのは今から五年前の事。
私の見た目を気に入っていたようだが、不特定多数の男と関係を持つようなふしだらな女だった。
義務的に閨を共にし、すぐに女は懐妊した。本当に私の子供かと懐疑的だったが、産まれた子は銀色の髪に緑色の瞳を持つ私にそっくりな男児。
跡継ぎを産んでくれたことには感謝した。しかし女はその後も男と関係を持つことを止めなかった。どれだけ忠告をしても聞く耳を持たず、終には痴情のもつれにより命を落としてしまった。
シリルがまだ一歳にも満たない頃だ。自分の子供すら放っておいて遊びほうけていた女の最期は実にあっけなく、二年足らずの結婚生活は虚しさしか残らないまま幕を閉じた。
表向きは病死として手続きを済ませ、私は独身となった。
喪が明けるとすぐに、我こそを後妻にと望む女性達からのアプローチが始まる事となる。
正直、どう接すれば良いのか分からず狼狽える日々。
一対一でも会話を成り立たせるのに苦労するというのに、四方八方からアプローチされては頭が混乱してしまう。私はひたすらテンパっていた。
しかし私は元々、感情が顔には出にくいタイプな為、表面上は全く動じていないように見えるようだ。上手く言葉を返せなくても、クールで隙がないと皆が勝手に勘違いをしてくれた。
新しい妻など必要ではない。毎日顔を合わせて会話をする事は苦行でしかない。何を話せば良いのかとひたすら悩み、胃痛になるだけ。
実際、前の妻がいた時はそうだった。もちろん会話をする努力はしたし、愛そうと努力した。人と上手く付き合えない不甲斐ない自分をさらけ出していれば、もっと良い関係になれたかもしれない。だけどそこまで女を信用できなかった。
妻となった女性と信頼関係を築けなかった事だけは今でも心残りに思う。それと同時に、結婚などもう今後一切こりごりに思う。
私には可愛いシリルがいる、それだけで充分だ。
しかしシリルは絵本で母親という存在を知り、自分にはどうして母親がいないのかと問うようになった。
私は妻という存在を必要としていないけれど、シリルには母親という存在を与えてあげたい。
どうしたものかと父に悩みを打ち明けた。
本当に何となく悩みを吐き出したくなっただけ。まさか条件を満たす女性を探し、見つけてくるなんて思いもしないから。
その女性は、父の友人の娘。
男嫌いな為、結婚はしたくない。だけど子を持つ願望がある。養子を迎えるにしても、女手ひとつでやっていく自信は無く、半ば諦めていると言う。
私と利害が一致するではないか。
さっそくお互いにとって都合の良い契約内容を記載した書類を作成し、その女性の父親に託した。普通なら有り得ないような内容の物だが、女性が本当に男嫌いなら、これ以上は無い好条件に違いない。
数日後、いい返事をもらえたので、さっそくダフマンに代理で面談を頼んだ。彼の人を見る目は確かだ。シリルの母親となるに相応しいか見極めてもらう。
ダフマンから見て、女性は好印象だったということなので、次の面談時にはシリルにも同席をさせた。シリルとの相性が悪ければ、婚姻する意味は無い。
シリルは女性を気に入ったようだ。一度しか会っていないのに、『エミリアにまたあいたい!』と言った。ダフマンから見ても、二人の相性は良いようだ。
そして二度目の面談にもシリルを同席させた。
『エミリアとおえかきしたんだよ! 絵本よんでくれたんだよ!』
帰宅したシリルが嬉しそうに話す。
エミリアという女性は本当に子供好きのようだ。
三回目の面談の後、シリルに問いかけた。
『彼女と一緒に暮らしたいか? 母親になってほしいか?』
シリルは曇りのない眼で大きく返事をした。シリルが母として望むのならば、どんな女性だろうと構わない。
私は一度も会ったことのない女性を妻として迎え入れることに決めた。
細かな手続きを済ませ、正式に婚姻を結び、ついに女性が侯爵家にやって来た。形だけの夫婦とはいえ、これから同じ家で暮らすのだからきちんと挨拶をしなければいけない。すでに胃痛で死にそうだったが。
居間にて初対面を果たした女性は、何とも妖艶で美しく、私の胃痛は更に増していく。
ダメだ。緊張してまともに会話出来る気がしない。
「お初にお目にかかります、侯爵様。モートン子爵家が長女、エミリアです。この度は━━━━」
「ああ、堅苦しい挨拶は結構だ」
私のことは居ないものとして扱ってくれ、そう冷たく言い放つ。自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきた。
そのおかげで、日常会話も必要無いと最初に牽制することができた。だって出来る気がしないから。
彼女は少し驚いた顔をしつつも、分かりました、と言いすぐにシリルに向き合う。そして、本当に私のことは居ないものとして扱った。
私はホッと胸を撫で下ろした。
夕食時も、彼女は私に会釈をするのみで、嬉しそうに今日の出来事を話すシリルを愛しそうに見つめていた。
私の方は一度ちらりと見ただけで、話し掛けてくる事は無かった。ちゃんと私の言った事を実行してくれているようで本当に助かる。
夕食後の執務室にて、ダフマンより今日の報告を受ける。
今日一日、彼女とシリルは本当に仲良く楽しそうに過ごしていたという。
シリルと全力で遊んでくれたようで、本当に有難い。やはりダフマンの目に狂いは無かったようだ。
私のことを何か言っていたかと尋ねれば、いえ全く、と返事が返ってきた。その肩はなぜか震えていたように思う。
彼女がこの家に来て一週間が経った。
何か要望は無いか、食事の好みは無いかとダフマンや他の使用人に質問をさせても、十分満足していると言うそうだ。ドレスや宝石を欲しがる事も無い。少しくらいは我が儘を言ってもいいのだが、とても謙虚な女性のようだ。
そんな彼女がようやく要望を言ったかと思えば、侯爵夫人として何か仕事は無いのかという要望だった。毎日シリルと遊んで過ごしているだけでは、居た堪れなくなってきたとか。シリルの母親としてこれ以上無いほどに努めてくれているから必要無いと思うのだが、彼女が望んでいるのなら何か仕事を与えてあげなければ。
何ができるのかとダフマン経由で聞いてみると、経理関係なら一通りの知識はあると返事があったので、試しに私の書類仕事の一部を任せることにした。初めは簡単な集計からだ。
少し任せればそれで満足してもらえるだろうと思っていたが、あっという間に終わらせたものがダフマン経由で手元に届いた。
彼女は少し物足りなそうだったとダフマンは言うので、次からはもう少し量を増やした。
彼女の仕事はとにかく完璧で、集計を頼めば全て正確で、書類を纏めて欲しいと頼めば、分かりやすく作成してくれた。
ダフマン情報によると、父親があまりにも無能過ぎた為、若い頃より兄と共に父の仕事を分担して何とかやりくりしてきたそうだ。苦労してきたのだな。
彼女のお陰で仕事をスムーズにこなせるようになり、夜遅くまで執務室に籠る必要も無くなった。
シリルとふれあう時間が増えたではないか。何とも有難い。
「シリル、今日は久しぶりに一緒に寝ようか。絵本を読んであげよう」
「ううん、エミリアとねるからいいのー!」
「……そうか」
まさか断られるとは思わなかった。その日はショックで枕を濡らした。
それからも、時間ができたので遊ぼうかと尋ねれば『エミリアとあそぶのー』と何度か断られ、食事時もたまにシリルは彼女にだけ話しかける日もあった。
何だろう、すごく寂しい。シリルが楽しければそれで良いはずなのに、寂しい。どちらにせよ二人の会話に参加するだなんて、そんな高度な話術は持ち合わせていないから無理なのだが。
ダフマンから、シリルが私と彼女が不仲だと心配しているから、少しでも会話をした方が良いのでは? と提案があった。
そうか、シリルが不安がっているのならしょうがない。シリルの為だ、少し会話をすることにしよう。
なぜか弾む心。
緊張してまともに会話なんてできないと分かっているのに、彼女と話がしたい。そんな気持ちが芽生えていた。
次の日から、挨拶や差し障りの無い会話をするようになった。
頑張って捻り出した『今日はいい天気だな』という言葉に、彼女は笑顔で『そうですね、とても気持ちがいいです』と答えてくれた。
いつもシリルにのみ語りかけていた彼女が私にも語りかけている。ただそれだけの事なのに、何だか心が満たされていった。
空いた時間に遠くからシリルと彼女を眺めるようになった。
今日は地面に何かを書いて遊んでいるようで、遠くからでも凄く楽しんでいるのが分かる。本音を言えばもっと近くで見たい。何なら私も混ざりたい。
しかし自分から、私は居ないものとして扱ってくれと言い放ち、スキンシップは一切無しと契約した手前、近づくことを躊躇ってしまう。
そして近づいたからと言って、上手くコミュニケーションが取れる自信は無い。何とも言えない孤独感に苛まれる。
今日も遠くからシリルと彼女を眺める。
ふと彼女が大きな木に近づき、あろうことか登りだしたではないか。何をやっているんだ!?
気付けば私は彼女の元へと走っていた。木の下までやって来ると、彼女が無事に降りてくるのをハラハラとしながら見守っていた。
無事足を地面につけ、振り返った彼女は目を丸くさせた。目の前に私がいたからだ。
しまった、近くに行きすぎた。さすがに何か声を掛けなければ。しかし何を言えば良い。言葉が出てこない。
伝えたい事など、いくらでもあると言うのに。
「……大丈夫みたいだな」
そう一言だけ何とか言葉を絞り出し、その場を後にした。