番外編3 おにいちゃんですよ
湯浴みを済ませ、ふらふらと寝室に戻った。
使用人によって申し訳ない程に綺麗に整え直されたベッド。
何だか居たたまれなくなるけど、一歩もここから動きたくない。朝食に向かう元気ももちろんない。いや、もうとっくに朝食の時間ではないけれど。
ボーッと天井を見ていると、マーシャさんが飲み物と軽めの食事を持ってきてくれた。それはそれは良い笑顔と共に。
昨日の昼ごろから、使用人達からはとても良い笑顔を向けられている。
本当に恥ずかしいから止めて欲しいと心から思う。
食事を終えてまたボーッとしていると、シリルが部屋を訪れた。
心配そうに眉尻を下げている。
「ははうえ大丈夫ですか? おねつですか?」
「大丈夫、お熱ではないですよ。少し寝たら治りますからね」
「よかったぁ」
シリルはホッとしたように笑った。
私がずっと寝ているから心配して来てくれたようだ。
「ちちうえがダフマンにしかられています。『あなたさまはかげんというものをしらないのですか』っていっていました。ちちうえはわるい子ですか?」
「……どうでしょう。ちょっと分かりません」
「そうですか」
何だか申し訳ないけど、デューク様にはおとなしく叱られてもらおう。
ダフマンさんの言うことはごもっともな気がするから。
「今日は一緒に走り回るのは無理そうです。その代わり絵本を沢山読んであげますからね」
「わぁい! えっとそれじゃあね、『ぼうけんゆうしゃとのろわれたへや』がいいです」
「はい。では絵本を持ってきてください」
「はーいっ」
シリルは絵本を取りに行き、戻ってくるとベッド横の椅子にちょこんと座った。
今日は一日、絵本を読んだりお絵描きをしたり。部屋でのんびり過ごす。
歩けなくはないけれど、使用人から良い笑顔を向けられることに耐えられそうにないので、部屋に籠らせていただく。
執務の合間に、デューク様が凍りつきそうな空気を纏いながらやって来た。仕事が滞っていそうだなと心配になる。
謝罪の言葉はもう受け付けませんと言ってあるので、ずっと無言で項垂れている。
可愛くて仕方がないので、頭を撫でて元気付ける。
息子がもう一人増えたような気分だ。
私はこの家に来てから幸せでなかった日など一日もないのですよ。
そんな感謝の気持ちを改めて伝えれば、少し安心したようだ。穏やかに微笑んでくれた。
今日も私の一日は幸せであふれている。
* * *
月日は流れ、私は子を宿した。
それが分かったその日から、夫と息子、使用人からそれはそれは大事に扱われている。
いや、大事にと言うよりは、私が何かやらかしてしまわないかと見張っていると言うべきか。
庭に出るときは、シリルが常に何かから私を守るように気遣ってくれる。
「ははうえ、ぜんぽうに石はっけんです。こけちゃダメですよ」
「はい、気をつけますね」
「ははうえ、木にのぼったらダメですよ」
「はい、登りませんよ」
「ははうえ、ここからはダメなところです。池に近づいちゃダメなんです」
「……はい。近付きませんよ」
そう言うと、シリルはホッとした表情を見せた。私はいつになったら池によく落ちる母というイメージが無くなるのだろうか。
* * *
今日もははうえはお部屋でねている。
すぐにきもちがわるくなって、うえーってなっちゃうんです。ははうえかわいそう。
ちちうえは、いつもこわいお顔をしている。とてもしんぱいすると、こわいお顔になるみたいです。
「ははうえ、ぼく、やっぱりきょうだいいらないです」
すごくほしいけど、ははうえが元気になるならガマンします。
「シリル、そんなことを言ったら悲しくて赤ちゃんが泣いちゃいますよ」
ははうえは悲しそうなお顔になった。
「だって……はやくははうえと遊びたいです」
さみしい。
いっしょにお庭であそべないし、えほんを読んでいてもすぐにうえーってなっちゃうし。
いっしょにおやつも食べられないし。
「すごくさみしいから、きょうだいはいらないです」
ぼくがそういったら、ははうえはちょっぴりさみしそうに笑って、おててをひろげた。
「シリル、ぎゅーってしましょうか」
「!! はいっ!」
ははうえがぎゅーってしてくれた。
うれしくてあったかくて、かなしい気もちがどこかにいっちゃいました。
「大好きですよ」
だいすきなやさしい声で、だいすきっていわれたから、ぼくも『だいすきです』っていって、ほっぺにちゅってしました。
ははうえがうえーってなるのが無くなってから、ちちうえとははうえのお部屋でぼくもいっしょにねています。
ぼくが目をとじると、ちちうえとははうえは、ちゅってするんです。
ぼくはねていないけど、ねているフリをして。ナイショでこっそり見ちゃいます。
ちちうえとははうえは恥ずかしがりやさんだから、こっそりなんです。
* *
今日はあさから、みんなとってもいそがしそう。
ぼくはマーシャとふたりでお部屋でおとなしくしています。
おひるごはんもマーシャとお部屋で食べました。
ははうえは、あさごはんも食べないでがんばっています。
『もうすぐですからね』ってマーシャがいいました。
おべんきょうをがんばっていたら、ろうかからバタバタ聞こえてきて、ダフマンがぼくのお部屋に入ってきました。
いつもゆっくりしてるダフマンがゆっくりじゃないから、ちょっとびっくりです。
「っっ、産まれましたよ!」
「まぁ!」
マーシャがおくちに手をあてて立ちあがりました。
すごくうれしそうなお顔。
「あかちゃんうまれました?」
「産まれましたよ! 女の子です。シリル様の妹ですよ」
ダフマンの声がいつもより大きくてびっくりするけど、たぶん嬉しいからなんだと思います。
「いもうと!」
おんなのこです! あかちゃんはおんなのこだから、いもうとです!
「それでは会いに行きましょうか」
「いきます!」
おへやから出て、ははうえのところに行きます。ダフマンとマーシャといっしょです。
はやく行きたい。でも、ろうかは走ってはダメだから、ちゃんとおやくそくは守ります。だからちょっと早くあるくだけです。
さっきダフマンが走ってきたのは、ぼくとマーシャのひみつ。ダフマンが怒られちゃうから、だれにも言っちゃダメなんです。
「シリル」
ぼくの名前をよんだははうえは、ベッドの上でねています。ぐてーってしていて元気じゃない。
「ははうえ、だいじょうぶですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
そう言ってわらうけど、やっぱり元気じゃないみたいです。
ぼくは、ははうえの手をぎゅっとしました。汗をかいてぬれているけど、だいすきなははうえの手だからイヤじゃないです。
ははうえは、まだねてなきゃダメみたい。
いっしょにあそびたいけど、元気になるまでガマンします。
いろいろお話をしていたら、ちちうえが来ました。あかちゃんをだっこしています。
「ほら、シリルの妹だよ」
「わぁ……!」
ぼくのいもうと!
すごくちっちゃい。あかくてシワシワでへんなお顔です。
だけど、すっごくかわいい。
かみの毛はちょっとしかないけど、ははうえと同じいろです。
おめめはぎゅってしていて見えません。『シリルと同じ色ですよ』ってははうえが言いました。
わぁい! ぼくとおそろい。
「おにいちゃんですよ」
ごあいさつをしたけど、まだあかちゃんはお話できないみたいです。
はやくお話ししたり、いっしょにあそんだりしたい。
ぼくは今日からおにいちゃんになって、ははうえといもうとのナイトになります。
おしごとがいっぱいになりました。ちょっといそがしいけど、がんばります。