追い詰める
和やかな雰囲気でパーティーの時間は過ぎていく。
「おなかいっぱいです……」
パクパクと元気に勢いよく料理を食べていたシリルは、食べ疲れた様子だ。
「少しお散歩しますか」
「おさんぽ! します」
まだ花が咲き誇る時期ではないが、庭園内は自由に散策して良いようだ。
シリルは初めての場所への探検にうずうずしだした。
「ではお約束をしましょう」
エミリアは屈んで、人差し指をピンと立てた。
「ここは他所のおうちです。葉っぱをちぎってはいけません。走り回ってはいけません。穴を掘ってはいけません。きちんと守れますか?」
「はーいっ! まもれます!」
シリルは片手をあげて元気よく返事をした。
「私は向こうで少し仕事の話をしてきても良いだろうか」
「はい、では私達はお散歩してきますね」
「ああ」
しばしデュークと別れ、エミリアとシリルはパーティー会場から離れ、生け垣で区切られた反対側へと進んで行った。
シリルはキョロキョロしながらゆっくり歩き、時たま立ち止まっては何かを拾った。
「ははうえ! でんせつのほうぎょくと同じかたちです!」
「本当ですね。七つ探してみましょうか」
「はいっ」
持ち帰る事はしないけれど石を拾い集めたり、池の魚を眺めたりと楽しむ。
しばらくすると、一組の男女が近づいて来た。
「よお、エミリア」
ニヤニヤとしながら馴れ馴れしく声を掛けてくる男に、エミリアは冷たい視線を向けた。
「……フォレットさん、お久しぶりです。気安く名前で呼ばないでいただけますか」
「はっ何だよ、おまえの噂を流したこと、まーだ根に持ってんのかよ」
「当たり前でしょう。あなたのせいで私は嫌な目にあい続けましたから」
エミリアは目を細めて心底嫌そうな顔をした。
この男はかつてのエミリアのクラスメートである。
友人として仲が良く、気さくな性格と話しやすさには好感を持っていたが、異性としての魅力を感じたことは無かった。
よく女の子に振られては、『どうせ俺なんて何の取り柄もないよな……』と言ってしょげていたので、そんなことはない、笑顔が爽やかだと思う、話し上手だと思う、などと言って慰めていたのだ。
それを自分に気があると解釈したらしい。
相談があると言われて付いて行った空き教室で、男は行為に及ぼうとした。
胸を触られて頬を思い切りひっぱたくと、思わせ振りな態度のおまえが悪い、エロいくせにケチくさい、などと罵声を浴びせられたのだ。
その上、腹いせに『あいつは誰とでも寝る女』という噂を広められ、身体目当てのろくでもない男しか寄り付かなくなってしまった。
エミリアの男運の悪さはほぼこの男のせいなのだ。
「その身体を使って大物を捕まえたんだし、もういいだろ。それにしてもおまえ、優しくて気遣いのできる人がタイプだとか言ってたくせに、結局選んだのは経済力と顔なんだな」
「嫌だわ、こんな品のない女にデューク様を取られただなんて許せないわ」
「姉貴ずっとアピールしてたのにな」
一緒にいるのは男の姉で、かつてデュークの後妻の座を狙っていたようだ。
「侯爵様とは仲よくやってるみたいだな。さすが孤高の美丈夫さま、仕事だけでなくアッチの方も優秀なのか。エロい身体で良かったな」
「デューク様は清楚な女性が好みだと思っていたのに、こんないかがわしい女を選ぶだなんて……」
数年振りに会うクラスメートとその姉からの嫌味に、エミリアは拳を握りしめながらも何とか冷静を装う。
いや、清楚な女性が好みならあなたは対象外ですよね? と言いたい気持ちもぐっと堪えた。
すぐ隣ではシリルがエミリアのドレスをぎゅっと握りしめ、不安そうにしている。
「夫婦として仲よくさせていただいております。下品な事は言わないでいただけますか」
エミリアは至って冷静に相手をする。本当は怒鳴り付けたいが、こんな低俗な輩に感情的になってはいけないと自分に言い聞かせる。
「はっ、上品ぶるなよ。素直に毎日楽しんでますって言えばいいだろ」
「あーやだやだ、いやらしい」
ひたすら嫌みを言ってくる二人に、エミリアは腸が煮えくり返っていた。
くっそ、コイツらひっぱたきたい。好き勝手言いやがって、私はまだ処女だっての!
往復ビンタでも足りないぐらいだ。みぞおちに思い切りかましても良いのではないか?
いやいやダメだ、落ち着くんだエミリア。
お前はもう侯爵家の人間なのだ。暴力を振るってはいけない。
エミリアは自問自答しながら、彼らをボコボコにしたい衝動を必死に抑え、震えていた。
侯爵家の人間じゃなくてもそんなことしたらダメだからね? 暴力で解決せずに精神的に追い詰めないと。という兄のツッコミが聞こえた気がして、優しい兄に想いを馳せて気持ちを落ち着かせる。
「侯爵夫人になったんだからさー、コネ使っていい女紹介してくんねぇか? そしたら過去の恨みはチャラにしてやるよ」
「お断りします」
「そんなこと言うなって」
「ケチ臭い女ね」
過去の恨みって何だよ。こっちの方が恨んでますけど。姉もいちいちムカつくな。
ムカつくけれど我慢だ。今はシリルも一緒なのだから、冷静に対処しなくては。
エミリアはそう思ったところで、はっと気付く。
「あれ? シリル?」
いつの間にか隣からシリルがいなくなっていた。目の前の二人が腹立たしすぎて、シリルから目を離してしまった。
こんなバカ共にかまっている場合ではないと、エミリアはすぐに探しに行こうとした。
「……あ」
一歩踏み出して立ち止まった。こちらに近づいて来る大好きな二人の姿を見つけたからだ。
小さなナイトは自分を守る為に行動してくれたのだとすぐに理解し、口元が緩んだ。
「何笑ってんだよ。俺はお前が友人にチクったせいで、あの後ずっと陰口を叩かれてたんだからな。自分から誘ったくせに」
「━━君たち」
不意に後ろから掛けられた低い声に姉弟はビクッとなり、ゆっくりと振り返る。
そこにはどこまでも冷たく凍えるような目をした美丈夫がいた。
「……君たち、私の妻に酷い言葉を浴びせていたと言うのは本当か?」
デュークは深く地の底からわき上がるような、どこまでも低い声でゆっくりと問いかけた。
「いっ、いえ、そのような事はしておりません」
「そうですわ、楽しくお話ししておりましたのよ」
姉弟は狼狽えながら言い訳をしたが、すかさずシリルが前に出て二人を指差した。
「この人たちうそつきです! そのからだを使っておおものをつかまえた、ひんのない女にデュークさまをとられた、エロいからだでよかったな、いかがわしい女をえらぶだなんて、そう言いました! よく分からないけどきっと悪口です! ははうえは悲しそうな顔でした! あとこの人はおまえの噂をながしたって言いました。ははうえはこの人のせいで嫌な目にあいつづけたって言いました!」
「……ほう」
シリルは、記憶力がずば抜けているのだ。彼らの暴言をしっかりと覚えていた。
エミリアはじーんとしている。
本当は悲しそうな顔ではなく、ボコボコにしたい気持ちを耐えていた顔だったのだが、そんなことはどうでも良いのだ。
息子が自分を守ってくれている。それがとてつもなく嬉しくて、感動で胸がいっぱいになった。
そんなエミリアとは対照的に、デュークはプツンと切れていた。彼の中にはどす黒い怒りの感情が渦巻いている。
今にも人殺しをしそうな絶対零度の瞳で睨み付けながら、ゆらりと彼らに近づいていく。
「君はフォレット子爵家のバリーといったか。ろくに仕事もせず、いつまでもふらふらと遊び歩いているだとか。こんな男が跡取りでは子爵との付き合いも考え直さなくてはいけないな。彼の事業からは手を引かせていただこうか」
「えっ……! 待ってください。それは誤解で……」
デュークは男の言い訳は無視し、男の姉を見下ろしながら語りかける。
「君は彼の姉のスーザンといったか。レイシス伯爵家の跡取りと近々結婚するようだな。しかし、君に宝石を散々貢いだ挙げ句、一夜を共にした後そのまま捨てられた男がいるという噂を耳にしたな。そんな女を妻として迎え入れるなど気の毒だ。伯爵家には君との結婚を考え直すよう話をしようか」
「っっ違います! それは質の悪い噂ですから。私はそんな女では決してありません。濡れ衣ですわ!」
姉のスーザンは青い顔をして必死に否定したが、デュークは決して手を緩めない。ひたすら二人を追い詰めていく。
「なぜ私が君の言い分を聞かなくてはならない? 君たちは私の妻をよく知りもしないで悪く言ったようではないか。ならば私も噂を信じて行動しても何ら問題は無いだろう。私の妻を侮辱した報いは受けてもらう」
デュークは静かに淡々と語り、二人を睨み続ける。
「もっ、申し訳ありませんでした。心から反省しておりますのでどうかお許しください!」
「本当に申し訳ありませんでした!」
姉弟は何度も頭を下げた。
「今後一切、私の妻に話しかけることは許さない。妻に関するありもしない噂を流すこともだ。それが守れるのなら許そう。次このようなことがあれば、フォレット子爵家は存在そのものが無くなると思え。理解したなら今すぐ私の視界から消えろ。目障りだ」
「はっ、はい。守る事をお約束しますし、すぐに消えます!」
「私もお約束します。では失礼いたしますわ!」
二人は早口で言い終えると、足早にその場を去った。
「…………ふう」
二人の姿が見えなくなると、デュークは大きく息を吐いた。
話し疲れたようだ。
「…………ふっ、ふふっ、ふふふふ……」
エミリアは堪えきれず、口を押さえて笑いながらその場に座り込んだ。
「ははうえ、だいじょうぶですか?」
「大丈夫ですよ、ふっ、ふふふっ……」
デュークが本気で怒っているところを初めて見たのだ。
どこまでも低く怒りをはらんだ声、憎しみが込められた絶対零度の瞳。
先ほどの姿を見てしまえば、いつも緊張した時に見せる姿なんて可愛いものに思えてくる。
そして相手を追い詰めるように淡々と語る姿。
いつも一言二言を話すだけで精一杯な彼が、あんなにスラスラと話すだなんて。可笑しくてたまらない。
「ふふっ、デューク様、ありがとうございました。凄く格好良かったです」
「……そうか」
デュークはエミリアが笑っていることに安心した。一言だけ小さく呟くと、表情を和らげた。
「シリルもありがとう。私を守ってくれて嬉しかったです」
「えへへー。僕はははうえのナイトですからっ!」
腰に手を当ててえっへんと胸をはるシリルが愛しくて堪らなくなり、エミリアはぎゅっとシリルを抱きしめた。







