心通じて
デュークは緊張していた。
恋心を隠さなくなったエミリアの色気が半端ないからである。艶っぽい視線を向けられることに全く慣れず、緊張してしまうのだ。
もちろんそんな視線を向けられることは嬉しくて仕方がないのだが、時たま情欲がわいてしまい罪悪感でいっぱいになる。
そういうわけで、今日も朝の食卓でそっけなくエミリアに挨拶をする。エミリアの顔は一切見ない。見られないのである。
エミリアはどんなに冷たい態度を取られても気にしない。むしろそんな姿にキュンとなった。
そんな二人のやり取りを見て、ダフマンから秘密の使命を与えられているシリルは使命感に燃えていた。
「ちちうえ! ははうえと仲良しですかっ?」
「ん? ああ、仲良しだよ」
「ははうえのこと好きですかっ?」
「……好きだよ」
「わぁい! ははうえも、ちちうえのこと好きですかっ?」
「はい、好きですよ」
「わぁい!」
シリルは今日の使命を果たせたと満足する。
にんまりしながら食卓につく愛息子に、デュークの緊張は和らいで自然と目尻が下がる。
部屋の隅でその様子を眺めていたダフマンは笑いを堪えている。
エミリアは朝から『好きだよ』という言葉が聞けて幸せな気持ちでいっぱいになった。
デュークもエミリアの『好き』という言葉に心がたっぷりと満たされた。そして頬を染めているエミリアと目が合い、固まるのだった。
その日の夜、デュークはダフマンに相談をした。
「私はどうすれば良い」
「どうすれば、と仰られましても……」
言葉足らずにも程があると呆れながら、ダフマンは説明を求める。デュークは緊張している今の状況を説明した。
「…………なるほど。そうですね。頑張って慣れてください」
「……分かった」
ダフマンの助言は雑になった。
* * *
1ヶ月ほどかけて、ようやくデュークはエミリアの顔をまともに見られるようになった。
「エミリア、これを」
「はい、いただきますね」
デュークが懐からすっと取り出した手紙をエミリアは受け取る。
口でうまく説明できそうにない時は、こうやって手紙で伝える。これがこの二人のあり方だ。
「ちちうえっ! あいのお手紙ですかっ?」
すかさずシリルが質問をする。野暮な質問だがデュークにとっては可愛いくて仕方がなく、そっと頭を撫でた。
「シリルも一緒に読むと良い」
穏やかにそう言い残し、その場を去った。
「それでは一緒に読みましょうか」
「はいっ!」
手紙を居間で二人で読むことにする。
内容はあるパーティーへの出席に関するものだった。
今回招待されたパーティーは、デュークの友人である伯爵の新事業の成功を祝う小規模なガーデンパーティーのようだ。昼に開催される為、家族三人で招待された。
「シリル、一緒にパーティーに行けますね」
「わぁい! ぼく、おそとのパーティー初めてですっ」
「楽しみですね」
「はいっ」
シリルは初めて家族で参加するパーティーに心躍らせた。そんな様子を微笑ましく思いながらも、エミリアは少し浮かない顔をしていた。
パーティーには嫌な思い出しかないからだ。密室に連れ込まれそうになったり、茂みに連れ込まれそうになったり、家まで送ると言って馬車の中で身体を触られたり。
そんな嫌な過去を思い出しながら、あれ? 私って馬鹿すぎないか? と、過去の自分の単純さと危機感の無さに頭が痛くなった。
デュークと結婚してからは、まだ一度しかパーティーに参加していない。
会話が無いながらも夫婦としてずっと二人で一緒にいたので、その時は嫌な思いをせずに済んだ。
今回はデュークだけでなくシリルもいるのだ。せっかく家族三人で参加するパーティーなのだから楽しもうと決意した。
二週間後、伯爵家主催のガーデンパーティーへと出掛ける日がやって来た。朝食を済ませるとすぐに三人は各自身支度を整え、居間に集まった。
「わあぁ! ははうえきれいです」
基本的にいつも地味なドレスや動きやすいパンツスタイルでいるエミリアのよそ行き姿に、シリルは大興奮。
ひたすらずっと『わあぁ』と言っている。
ブルーグレーの長袖のドレスは上品に美しいドレープを描いている。もちろん露出は控えめで、屈んでも谷間は見えない仕様だ。
艶やかな黒髪は緩く編み込み、首には小さなエメラルドのネックレスがきらりと輝く。
「ありがとうございます。シリルもとっても格好いいですよ」
「えへへ」
今日のシリルはデュークと同じように前髪を上げ、紺色のスーツでびしっと決めている。
本当は格好いいではなく、『かわいいっ!』と言って頭を撫で回したいエミリアであったが、ぐっと我慢した。
この年頃の男の子は格好いいと言われると嬉しいものなのだ。
さてと。エミリアは微動だにせずじっと自分を見ているデュークに向き合った。
シリルと同じような髪型だが、こちらは文句のつけようも無い程に男前である。
これでもかというくらいに長い足をすらりと見せたダークグレーのスーツ姿に息を呑んだ。
そして目があったかと思うと、すぐにフィッと目を逸らされた。
「…………すまない」
デュークは低く言葉を放った。
もちろんエミリアには、なぜ『すまない』となるのかが分からない。
「あの、何に対しての謝罪でしょうか?」
デュークは目を逸らしながらもきちんと説明しなければと思い、何とか言葉を口にする。
「情欲を抱いてしまった」
「そう、ですか……」
エミリアは驚いた。
そう感じたことを申し訳なく思って謝罪されるだなんて初めてなのだ。
今までの人生でうんざりする程に扇情的に見られ続けて、エロいだのアバズレだのという言葉を浴びせられてきた。
化粧を控えめにしても地味なドレスを纏ってもそれは変わらなかった。
だからそんな風に見られてしまうのは、どうしようもないと諦めていたのに。まさか謝罪されるだなんて。
「……ふっ……ふふっ……」
誠実すぎる夫に思わず笑ってしまう。自分の妻なのだから何の問題もないのに、後ろめたく思うだなんて。
「デューク様、私は今までずっとそういう目で見られることが苦手でした。でもそういう感情を抱くのは仕方の無いことだとは理解しています。人間誰しも男女関係なく持っているものですから」
「……そうか」
「見せつけてきただとか私の方から誘ってきただとか言われ続けて、さすがにうんざりしましたけど」
「それはそうだろうな」
デュークは頷く。
エミリアは勘違いがあっては困ると思い、言葉を続けた。
「もちろん自分から誘ったことなど一度もありませんからね。それなのに思わせ振りな態度をとりやがってと言われて困りました。減るもんじゃあるまいし一回くらい良いだろうとか、ふざけるなって思いました。減るに決まっていますよね。初めてなんて一回きりなのに、何言ってんだって思いますよね。誘いに乗ってきたのだから最後までやってもOKだと普通思うよね、ってそんな訳ないですよね。数回目のデートならまだしも一回目ですよ、一回目! そんな普通ありますか!? ……あっ……!」
エミリアはハッとなり、口を押さえた。
いつの間にか感情的になって愚痴をぶつけていたのだ。
「そうだな、普通では無いと私も思うが。せめて婚約後だろう」
デュークはエミリアを労り、いたって冷静に質問に答えた。
「……あの、申し訳ありません。取り乱してしまいました。何が言いたかったのかと言いますと……」
「ははうえ、ケンカですか?」
いつも穏やかなエミリアが捲し立ててデュークに詰め寄っている。初めて見る姿にシリルは不安になり、眉尾を下げた。
エミリアはすかさず屈み、シリルに笑顔を向ける。
「いいえ、違いますよ。仲良しですよ」
「ほんとうですか? 怒っていませんか?」
「怒っていません。昔に嫌なことがあったお話をしていただけですよ。それを話していたら、嫌な気持ちが出てきてしまっただけなんです」
「いやなこと? そっか、ははうえにいやなことがあっても、ぼくが守ってあげますからねっ!」
シリルは顔をキリリとさせ、胸の前に握りこぶしを構えた。
「ありがとうございます。頼もしくて格好いいナイトが守ってくれると安心ですね」
「えへへー」
本当は、『かわいい!』と頭を撫で回したい気持ちをぐっと堪えた。
そんな二人の様子を眺めていたデュークは、静かに口を開いた。
「私も君を守りたいのだが……」
その言葉を受けてエミリアが後ろを見上げた頃には、デュークはそっぽを向いていた。その仕草で、何とか言葉にした一言だったのだろうと理解できた。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
視線を合わせようとしない愛しい人の横顔に、また胸がキュンとなった。