ジュリアスの気苦労
「エリザベス、体調はどうだい?」
懐妊してからというもの、寝室以外ではそばをけっして離れないスイシとベランダでお茶を口にしつつ景色を眺めていると、ジュリアスお兄様が部屋側からやってきた。
「お久しぶりです、お兄様。体調はまったく問題ないですわ」
勉強熱心なソウヒが胎児の成長も考えた栄養バランスのいい美味しくて身体に良い食事を毎食用意してくれ、スイシやクラリスとのんびり散歩などして適度に運動し、お母様お勧めの医師が数日おきに健診してくれる。
リカルドも時間の許す限りそばに居て、退屈でストレスが溜まらないようにと北部で見聞きしたとりとめもない話をしてくれる。
体調に問題があっては皆に申し訳ないくらい。
「そうか。もうじき生まれるんだろう? 順調そうで良かった」
「ありがとうございます。それで……お忙しいお兄様が今日はどのようなご用事でいらっしゃったのですか?」
私とスイシの前に立ち、軽く溜め息をついたあとお兄様は堅い口調で訊いてきた。
「リカルドは何を考えているんだ? 鉱山改革と言って、作業員用の住宅や診療所を用意し始め、作業現場の環境改善と言って廃水設備だの見たこともない作業道具を搬入し始めた」
「その理由はお手紙で説明したではありませんか?」
「ああ、リカルドとリンクスを利用しようと画策したメフルナーズの思惑に乗らないためということだったな」
「その通りですわ」
「その点はいい。長期契約を結んでるうちの領地や隣のヴィアーナのところはともかく、中央や北部への派遣でも人手が足りない傭兵チームをメフルナーズになど出したら、マイヤール家はメフルナーズと手を組んで王国に反旗を翻すつもりなのかと疑われるからな」
リカルドのおかげでドゥラーク領とアレーゼ領は活気に溢れ、王子達の出費で苦しい王国の財政と食料を支えている。王国を支えているのはドゥラーク領とアレーゼ領と言っても過言ではない状況。
南部を田舎者と蔑視してきた中央地域の貴族が面白くなく思っているのは明らかで、余計な敵意を向けられないようにとお兄様が注意を払うのも判るわ。
「お兄様が苦労されているというのは判ります。ですが、ドゥラーク領の鉱山に労働者が集まるのは喜ばしいのではないのですか?」
「確かに労働者が集まるのは助かるが、他領からの移住者でというのが困る。それでなくとも我が領への移住希望者は多いのだ」
「あら? 住民の移住は移住先の領主が許可すれば良いとセーラ女王がお認めになったのでしょう?」
「表向きの話はそうだが、移住元の領主が不満を抱かないよう水面下でそれなりにだな……」
景気が良いドゥラーク領やアレーゼ領へのやっかみがきつくなるのは仕方がないですわ。通常であれば、その程度のことをお兄様も気にするはずはありません。でもきっとその人数とやっかみの一つ一つから受けるプレッシャーが異常なのでしょう。そうでなければお兄様がやっかみ程度で愚痴を口にするはずはありませんわ。
でも、領内が活気づいて税収があがり、国や他領への影響力が増している証拠ですもの、領主のお兄様も覚悟していたはずよね。
「その程度のこと、お兄様なら騒ぐようなことではないでしょう? それとも美容液や魔獣肉、魔道具などの権益を手放した方が良いとお考えで?」
「そんな愚かなことをするはずはない。……ここのところ中央貴族からのやっかみが煩くて少し苛ついているだけだ」
でしょうね。お兄様が他領の貴族からの妬み程度で怯むはずはありません。
「では、リカルドの何を知りたいというのでしょう? それとも何か問題があってご不満が?」
「問題があるわけではない。だが……」
「だが?」
「リカルドはいつも平民やリンクスのような弱者の利益を優先する。リンクスのことはいい。王国内での彼らへの扱いは酷かったし、各領内での犯罪増加に繋がっていたからな」
「では平民に利益があるのが問題なのですか?」
ちょっとムッとして聞き返した。
ダークエルフなどの亜人と暮らしているリカルドの身分は王国内で平民以下と見られている。その妻の私も同じだ。
美容液の影響が貴族内で強くなったこと、王国の騎士達よりも効率良く魔獣を討伐する傭兵団への畏怖、そしてリカルドが創る魔石を求めるから関係を悪化させたくなくて表面上リカルドと私達を蔑みはしない。でも、平民以下の身分の者と考えているのは間違いないでしょう。
北部貴族も、リカルドとリンクスの力が無ければ没落の危機にあるから協力する道を選んだ。でもあくまで打算の産物で、見方を改めたわけではないわ。以前から親交があり対等に付き合ってきたアレーゼ領や、親族関係にあるドゥラーク領と違って、リカルドとリンクスが貴族に気を使う理由などないのよ。
怒りを含んだ私の気持ちを察して気圧されたのかお兄様は否定するように手を振りあからさまに焦った表情を見せた。
「も、問題というわけではない。リカルドが貴族を重んていないのは最初から判っているし、今回のこともメフルナーズからの横やりへの対抗策というのも納得している」
「お兄様は何を仰りたいのですか?」
怒りが残っている私は話を遮って聞き返した。
「……他領の貴族は、南部二領で暮らす平民の生活が向上していく様子を苦々しく見ているのだ。このままでは貴族よりも安全で快適な生活を送るようになるのではないかとな」
「それのどこに問題が?」
「貴族は平民よりも全てにおいて快適な生活を送ってきた。衣食住はもちろん余暇の過ごし方も健康面でもだ。ところがリカルドが動いた結果、平民の生活がどんどん貴族並みに近づいてきた。貴族の生活はこれまでと変わらないのにだ」
「……」
「エリザベス、おまえには判っているはずだ。貴族と平民がそう変わらない生活を送っていること自体が不満な貴族は多い。領地を持たぬ経済的に恵まれない貴族からすると、自分達より快適な生活を送る平民など許せないのだ」
「貴族だからと国王や領主から貰う年金に頼る生活してきたのですから、食料や資源を生み、国民や領民の生活を支える労働者より優遇される理由がありませんもの」
きっぱりと言い切った私に驚いたようにお兄様は大きく目を開く。
「その考えだ。これまで無かった考えだ。このままだと貴族の価値が、貴族であることでなくなってしまう」
「それこそ今更ではありませんか。魔力生成力が衰え、魔獣討伐や土木建築でも十分な力を振るえなくなり、領地領民を守ることも領内を整備して栄えさせることも貴族はできなくなりつつあったのです。貴族が誇れることが貴族であること? そんなことに何の意味もないではないですか」
「おまえがそこまで言い切るのはリカルドと暮らしてきたからだろうな」
貴族は貴族であるだけで平民よりも快適な生活を送れる。そんな理屈を聞いたらリカルドは笑うでしょうね。
「いえそうではありませんわ。貴族が貴族であるだけで優遇されるべきなんて情け無いことは、リカルドと結婚する前から考えたこともございません。貴族は誇れるだけの力と実績を示し続けなければならない。お兄様はそう考えませんの?」
「私は……いや、アレーゼ領のヴィアーナも私も理解している。だからリカルドと手を組むことに前向きでいられたしいられる。だが他領の貴族は……特に中央貴族は違うのだ」
「中央貴族が不満を抱えるから平民の生活向上をリカルドが手伝うのは自重しろと? もう一度聞きます。お兄様は何を言いたいのですか?」
「平民の生活向上は領地の利益に繋がっている。そのことは十分判っている。だから……」
「だから?」
「おまえの夫を責めているのではない。そうたたみ掛けるな。私は平民に力を貸すのと同時に、不満を抱えている貴族へも力を貸してやってはどうかと思っているだけだ」
少しきつい態度をとってしまったかしら。お兄様が可哀想に思えてきたわ。では気持ちを静めましょう。
「お兄様のお考えはリカルドへ伝えます。ですが、期待はなさらないでくださいね?」
「ダメか?」
「ええダメでしょうね」
「平民には力を貸すが貴族には貸さない。そういうことか?」
「そうではありませんわ。自分と同じように社会から虐げられてきたリンクスに対しては力を貸す気持ちはあるでしょう。ですが貴族や平民に力を貸すつもりなどリカルドにはありません」
「そうなのか? では、リカルドが自分の都合で動いた結果として平民に力を貸しているように見えるだけだと?」
「はい、その通りです」
リカルドは以前話していたわ。
『貴族だろうと平民だろうと俺には関係ないよ。階級なんてものは周囲から見えるものでも見えないものでも、いつだって必ず生まれてしまうものだし、いつしか消えたり、所属する者が入れ替わったり、階級を規定する基準も変わったりするものだよ。そんなものに囚われて自分の行動を決めるなんて面倒なことやりたくないよ』
そう。階級に注目して動くなんて事はリカルドはしない。彼の頭にあるのは、家族や仲間そして自分の幸せだけ。
『どうすれば社会がより良くなるかなんて誰にも判らないんだ。良かれと思って動いたら大多数を不幸にしてしまったなんてことが起きてしまう。前世の知識がそう教えてくれる。
誰かを不幸にしてもいいとは考えていない。俺はただ自分の手が届く範囲で自分にできることをするだけさ。その結果幸福を掴む人も居れば不幸に遭う人も居るだろう。俺が何かをすることで俺を非難する人は必ずどこかに生まれるだろう。でもそれは避けられないことだから、自分の良心に恥じない行動の結果なら甘んじて非難されるさ。
エリザベスが妻になってくれたおかげで俺は幸せになったけれど、逆にエリザベスを手に入れられなくて不幸になった人も居るだろうね。俺を恨んでいる人がきっと居るはずさ』
こうも話していたわ。
「わかった。リカルドには俺の気持ちを一応話しておいてくれ」
「ええ、必ず」
お兄様の表情が急に柔らかくなった。リカルドにお兄様の考えを伝えても何も変わらないのは判っているはずだけど、私に話したことで気持ちが楽になったのね。良かったわ。
「ところでお兄様。カーヤ様の件はどうするおつもりでしょうか?」
マキア家のエイーネ侯爵夫人からお父様へお兄様とカーヤ様との婚姻の打診があったと、お母様が話しておられました。カーヤ様からは私宛に相談のお手紙もいただいてます。
お父様とお母様は「今の領主はジュリアスなのだからジュリアスが考えて決めるべき」と笑ってらっしゃいました。お二人のご様子からは、ゴッドラン領マキア侯爵家との婚姻に前向きに感じていらっしゃるようでした。
「ああ、話は進めるつもりでいる。北部最大領主マキア家との繋がりは固くしておきたいしな」
「カーヤ様へのお気持ちは?」と口にしそうになりましたが、これは余計なこととすぐ気づきました。情熱的なところもあるお兄様のことですもの、領主とはいえ政治的な打算のみで伴侶をお決めにはならないでしょう。言葉こそ素っ気ないですが、満更でも無い表情を浮かべています。カーヤ様にはお会いしたことはないですが、きっと魅力的な女性なのでしょうね。
「出産もそう遠くない時期のようだし、身体には十分気をつけてくれるよ? スイシもクラリス達と共にエリザベスを気遣ってやってくれ。ああ、思わず長居してしまった、父上と母上に挨拶してからプチ・インテーラを離れるよ。子どもが生まれたら祝いに来る。それまで元気でな」
私とお兄様の会話にはまったく興味が無いスイシは、辺りを眺めて静かにしていた。お兄様から声をかけられて初めてお兄様が居ることに気付いたかのように顔を向け「お任せ下さい」とだけ。
私が玄関まで送ろうと動くと、「ここでいい」とお兄様は笑顔を返してきた。




