リカルドの帰宅
「エリザベスよ、リカルドが戻ったぞ。停泊所からこちらに向かってる」
庭で花を愛でながら散歩しているとヴェイグ様がどこからか羽ばたいてきて私の前に降りてきた。
「ふふふ、とても喜んで下さるわ」
懐妊していると伝えたら、リカルドはどのような表情を見せて下さるかしら。
「その前に驚きで固まるのではないかな?」
「そうね。驚くわ。その為に今日まで内緒にしてきたんですもの、少しは驚いて下さらないと……」
「エリザベス様は意外とイタズラ好きなのですね」
幼い頃の私を知らないスイシが意外そうに、それでも楽しそうにヴェイグ様に近寄りつつ目を細める。リカルドが驚く様子を想像しているのね。昔から傍で尽くしてくれている侍女のクラリスは、当時の私を思い出してか微笑みながら頷いている。
「エリザベス様は本当にイタズラ好きで、お兄さまのジュリアス様やお姉さまのファレナ様をいつも振り回しておいででした」
「ちょっとクラリスったら……」
「お転婆で……目を少しでも離すと居なくなり、庭師の息子と木登りをしていたり、納屋の屋根に上って奥様を泣かせたこともございました」
「ねえ、クラリス? お願いだからそろそろ止めてくださいな」
「リカルド様には内緒にして差し上げます」
「あら、リカルドはもう何でも知ってるわ?」
リカルドに隠し事など何もしていないと胸を張った。
「……魔法の練習中に大旦那様の顎髭を燃やしたこともでございますか?」
「あ……それは……まだ……」
「念入りに手入れされていた髭を失った大旦那様の……」
続きを止めたクラリスは、忘れてはいけませんよと言いたげな瞳を向けている。
あの時の御爺様の顔は一生忘れられない。目に入れても痛くないほどに私を愛し可愛がって下さった御爺様は、ご自慢の大切な髭を失って思わず怒りたそうでしたけれど、相手が私なので複雑な表情をされていました。そしてこう仰ったんだわ。
『この先。ベスに降りかかる不幸はこの髭が払ってくれるだろう』
悲しそうなのに優しい表情をなさっていた。思いもよらない状況を生んでショックを受けていた私の頭をそっと撫でて下さったわ。
少し魔法を使えるようになって自慢したい気持ちとちょっと驚かせようとした結果、大好きな御爺様にあのような表情をさせてしまうだなんて……。心の底から後悔したわ。あの日から私はイタズラしたり周りを驚かせようとするのを止め、周囲が期待するよう淑女らしく振る舞おうと強く決心したのよ。
……あの後髭を伸ばそうとはなさらなかった。ベスの不幸の肩代わりに失った髭を再び生やすなどとても出来ないと仰ってた。その穏やかなお顔を見て胸がツクンと痛んだのを今でもはっきりと覚えている。私を慈しんで下さった優しい御爺様が亡くなった時、泣いて泣いて泣き尽くしたわ。
「ちゃ……ちゃんと伝えるわ。リカルドに秘密は持たないと約束したのです」
大人になろうと決めた失敗。
大切な御爺様のこと。
リカルドはきっと静かに聞いて受け止めてくれる。
「それにしても双子を身ごもるとはな」
しんみりとしたその場の空気を変えようとしてくださったのか、ヴェイグ様は話題を変え、花を間近に見るためしゃがんでいる私の足に身を寄せる。
「ええ、それも……魂に竜種の力まで混じっているなんてまだ信じられませんわ」
「間違いないぞ。リカルドは我の憑坐として十年以上も一個の魂の持ち主だったのだ。我の魂の影響をリカルドの魂が強く受けていても不思議なことはない」
それはそうかもしれない。リカルドとヴェイグ様の魂は今でも繋がってるというし……。
「でも肉体は人間種なのですよね?」
「ああ、それも間違いない。だが……」
「はい。竜石を体内に持ってしまうというのですね?」
「うむ。自身の魔力と魂の力の双方が影響しあって竜石を生むからな。竜種の力を持つ魂の持ち主は竜石を作ってしまうだろう。その結果……」
「私の子ども達は、人間種では持ち得ない力を持ってしまうのですね?」
私達の魔法もリカルド様が持つ創石能力も魂の力だというもの。竜種の力も併せ持つ人間種の魂は、竜族同様に術式など理解しなくても息を吸うように自然と魔法を発動できるらしい。どのような魔法でも自分の魔力量次第で発動できるという。
私達は覚えた術式を魔力に溶かし込むように意識して魔法を使うけれど、この子達はそのような手間をかける必要がないみたい。
「理不尽なものだ。魔法を使えないリカルドの子ども達が人間種では比類無き魔法の使い手になるのであろうからな」
「……このお腹の子達が魔力喰いとして生まれることはありませんの?」
「それもない。人間の使う魔法は自身の魔力を術式で変換して発動する。魔力喰いの魂には、この変換するための機能がない。同時に周囲の魔力を吸収し続けてしまう能力も持つ。リカルドと他の人間の魂を見比べるとその違いは明らかだ」
私とヴェイグ様の会話を邪魔しないよう、スイシは顔だけを動かし屋敷をチラッと見る。
「リカルド様がお戻りになられたようです」
・・・・・
・・・
・
「お、お……俺の……俺の子が?」
妊娠三ヶ月目を知らせると、柔らかなソファに座る私のお腹から目を離せなくなったよう。息を二つほど吐いてから、ストンと目の前に跪いて恐る恐るとお腹に手を当てた。
「で、でも、何故内緒にしていたんだい? そうと知っていたら、北部の仕事なんて放り出して戻って来たのに……」
「ええ、そうなさるだろうと思いましたので内緒にさせていただきましたの」
「ぐっ。……そ、それで身体は辛くないのかい?」
「お母さま達の体験談を聞きますと、私の悪阻は軽いみたいですわ。双子ですのに……」
「ふ、双子!?」
私のお腹と顔をリカルドは交互に見る。珍しい双子の懐妊がよほど驚きだった様子。
「はい。ヴェイグ様が私のお腹には二つの魂が育っていると」
「……そ、そうかあ……。クラリス!」
「はい、仰りたいことは判っております。エリザベス様の体調管理にはこれからも万全を期します」
微笑んで恭しくリカルドに一礼するクラリス。食事の内容や回数、運動の程度や時間、睡眠時間を医術士と相談しながら私の体調を管理してくれている。その様子を見て、クラリスに任せておいて何の心配もないとお母さまも仰っていたわ。
「そ、そうか、頼むよ。必要なものがあるなら何でも言って欲しい。スイシ!」
「私も判っております。エリザベス様の安全は必ず守ってご覧に入れます。竜種の誇りと名誉にかけて、魔獣であれ人であれ亜人であろうと、エリゼベス様に害意を持って近づく相手は全てこの世界からその存在を消してみせましょう。リンクスもエリザベス様に近づく者には細心の注意を払って警護しているようです。リカルド様、どうぞご安心くださいませ」
胸に手をあて、仰々しく感じられるような態度でスイシは一礼する。そんなスイシの言葉を保証するように『我も傍に居るから安心せよ』とヴェイグ様。
ヴェイグ様は、ご自身の魂の影響を受けて生まれる私の子の誕生と成長を楽しみにして下さっている。ヴェイグ様からは温かい魔力がいつも放たれ私の周囲を包んで下さっている。どのような魔法を使われているのか私には判らないけれど、きっと守って下さっている。
クラリス、ヴェイグ様とスイシのそれぞれの言葉を聞いて落ち着いたのか、穏やかな表情を浮かべてリカルドはそっと立ち上がった。
「ありがとう。それじゃ俺もエリゼベスと我が子のためにできることをやるとしよう」
「何をなさろうと?」
安心してと言いたげに優しく私の頬に手を当て微笑む。
「俺に出来るのは魔石を創ることと、ベスの身体に必要なものを用意することくらいさ」
「私に必要なものですか?」
「ああ。妊婦に特に必要な栄養を十分摂取できるようにすることや、少しでも安全で楽な出産になるような魔法を使える魔石を創りたいんだ」
私が健康で美しいままで居られるようにとのリカルドの思いから美容液イシュタルや健康風呂が生まれた。高度な治癒魔法用の魔石もそう。それらは私だけでなく大勢を幸せにしている。
……今度は何を用意してくれようとしているのかしら?
「嬉しいですわ」
そう伝えると照れた様子を見せて立ち上がる。
「じゃあ父さん達に顔を見せてからリガータの森へ向かうよ。夕飯には必ず戻ってくる。クラリス、スイシ、エリザベスのこと頼むよ?」
壁際に立ちこちらを見守っている二人に視線を送るリカルドを見送ろうと立つと「ここでいいよ」と足早に部屋を出て行った。ソファに座るとクラリスが近寄ってくる。
「……では、報告いたします」
「ええ、お願い」
私がお願いした方々からの情報をクラリスは話し始める。
北部や中央の貴族達の動きに巷に流れる噂など、それらの中から気になることをお父様やお母様がまとめてくださった情報。
「……北部貴族には今のところ大きな動きはないようです。クリスティナ様のお考えでは当面の心配ないとのことです。ですが、貴族の復権を狙って動こうとする気配はあるようです。特にリデス子爵家には注視なされたほうが良いとのことですね」
……貴族の復権……。客観的に見れば多少の特権を失う以外に何も手放さずに生きられるというのにね。魔法でなく統治能力の高さで領地領民をまとめ貴族の立場を固める。リカルドとリンクスがもたらした変化とセーラ女王の方針を理解できず、これからの貴族に求められる立場を受け入れられないのかしら。新たな秩序を築く力がないなら滅んでしまうのに……。それを望むなら好きにすればいいわよ。
「マキア侯爵家はどうなの?」
北部最大の貴族マキア家の動きは無視できない。王位簒奪事件で力を落としたと言っても今だその影響力は北部随一。それにリカルドが北部改革で直接携わる家ですもの。気をつけておくに越したことはないわ。
「マキア家当主エイーネ様はマイヤール家との縁を望んでいらっしゃるようです。ご長女のカーヤ様をジュリアス様の伴侶にとお考えのようですね」
リカルドと王家のゴタゴタがなければ、ジュリアスお兄様は既にご結婚されていたはず。でも王家とマイヤール家の関係が不透明だったから、打診されていた婚約話も消えたのよね。ジュリアスお兄様がまだ独り身な原因が夫にあるのだから私もできるだけお手伝いしなければ……。
「お父様とお母様はどうお考えなのかしら?」
「ベネディクト様は、もう自分は当主ではないのだからとジュリアス様の意思を尊重されるようです。クリスティナ様は複雑なご様子です」
「……そうね。社交界での中央や北部貴族の尊大さをお母様はいつも腹立たしく感じられていらっしゃった。でも、お兄様のお相手として北部貴族最大のマキア侯爵家のご長女なら不足はないでしょうし」
伝統の重みある家との婚姻は成り上がりに見られるマイヤール家にとって、政略的に見れば望ましいのは明らか。現在経済的に苦しく、また将来を見込んでリカルドとの関係を強化したいマキア家にとってもお兄様との婚姻は絶対に実現させたいはず。
「お兄様はどのような感じ?」
「マキア家から具体的なお話しがまだありませんので……」
本来ならお父様とマキア家で決める話ですけれど、お父様はお兄様の意思を尊重し傍観なさるご様子。つまりお母様とお兄様のお気持ち次第なのね。
「……お母様は前向きに決断なさるでしょう。あとはカーヤ様がお兄様の目にどのように映るかです。私にどうこうできる話ではございませんわね」
「左様で。それと、南部の視察と称してケイル伯爵家の次期当主アーノルト様がカーヤ様とご一緒されております」
「ええ、その報告は以前聞きましたけれど、何かあって?」
「リカルド様の妹君、ルチアナ様を大層気に入られて……」
「まさか……?」
「はい。北部に連れ帰りたいお気持ちがあるようなのです」




