懐妊
医術士の診断に拠れば、私は懐妊しているとのこと。
リカルド様と結婚してからあと半年ほどで三年になる。夫婦仲はこの上なく良好なのだから、子が出来てもまったく不思議じゃない。このことを知ったらお父さまは大喜びしてくれることでしょう。ファレナお姉さまも喜んで下さるでしょうけれど、ジュリアスお兄さまは……いえ、考えたら負けね。
「そうなのね! エリザベス、早速リカルド殿に報告を……」
「いえ、お母さま。あと半月ほどで戻られるのですから、報告はその時にするつもりです」
「まあ何故です? リカルド殿はその子の父親ではありませんか。少しでも早くお知らせするべきなのではありませんの? きっと喜び勇んで下さるでしょう?」
「そこなのです、お母さま。私とこの子を想って、仕事を放り投げて戻っていらっしゃるに決まっております。リカルドは……その……ジュリアスお兄さまと似たようなところがありますので……」
「オホホホホ、そういえばそうね。エリザベスのこととなると他のことは目に入らなくなるところがありますものね」
手にした扇をもう一つの手に打ってニヤリと笑う。私の懐妊を知ったリカルドがどのような反応を見せるか、お母さまも思い至った様子。
「それに、北部の者達の動き……お母さまもご存じでしょう?」
「それはもちろんよ。私の派閥のご婦人方は皆、リカルド殿とその身辺に向けられる企みには敏感ですもの。ほんの少しの空気でさえ見逃さないでしょうね。それに美容液を求めるご婦人方は北部にも大勢います。その方達にも”今度リカルドに何かあれば二度と手に入らなくなるでしょう”と囁いておきましたもの」
北部で製造するにしても、工場を動かし続けるためにはエネルギー・ストレージタイプの魔石が必要で、定期的に交換もしなければなりません。その魔石を提供可能なのは創石できるリカルドと錬石で作れるリンクスだけ。リカルドを陥れようとする者達にリンクスが協力することはありません。実際、テリアス第一王子は王族だったからと、王族へ向けるリンクスの視線は今でもかなり厳しく、テリアス第一王子を支持していた北部へも冷たい目で見ています。
北部に美容液や魔導自動車の工場建設するのにも本音では大反対なのを私は知っています。ですがリカルドが動くのだからと本音を隠して動いているのです。家族を人質に取られたリカルド本人以上に彼らが怒っているのです。……私もですけれどね。
「それと……」
「ええ、ええ、判っておりますよ。”特注”の話でしょう? 王族と公爵家、そして近しいご婦人達にはお話ししました。私も動いておりますけれど、ファレナが大層熱心に動いていますよ」
そう、リカルドの案で、ご婦人一人一人の肌質に合わせた商品を提供するプランが進んでいる。ジョアナ王女……じゃなかった、元王女のジョアナ様も協力してくださってお肌のトラブル解消サロンも開設する予定なの。
プチ・インテーラにコンサルティング店舗を開き、ご婦人達一人一人の肌をチェック、そしてご婦人独自の商品提供を始めている。既に、お母さまとその身近なご婦人ご令嬢に試供して貰ったのだけど絶賛されているわ。
――私だけの特別な商品、という言葉に貴族のご婦人ご令嬢は弱いものね。私の夫ながら恐ろしい商品を考えたものだわ。もちろん、私やお母さま、そしてお姉さまは既に利用済みです。
お兄さまも早くご結婚なさればいいのに。私に構ってばかりいるから良いお相手が見つからなかったのよ。最近はお仕事もお忙しいのは判っているけれど、もう二十八歳なのだから落ち着いて欲しいものだわ。同じ立場、同じ歳の男性なら跡継ぎの一人や二人は居て当然の年齢なのですからめ。
あ、そうそう、お姉さまがまた”リカルドと別れたくなったらすぐ言うのよ。私が貰うから”と目をキラキラさせていたわね。ほんと困ったお姉さまなんだから……。でも、あれはお姉さま流の褒め言葉だと判ってる。リカルドを自分の夫に欲しいほどの男性と認めて下さってる。
――お姉さまもお仕事にばかり精を出さないで、ロレンツォ様とのお子さんをもっと欲しがって欲しいものよね。でも旦那様をドゥラーク領に置いてプチ・インテーラに入り浸りじゃ懐妊は遠いわね。
一般販売している貴族用美容液の五倍という高額商品なのだけれど、”是非に””必ず”とお母さまへの依頼が押し寄せてきているようなの。毎日お茶会を開いたとしても希望者全員は参加させられないと、お母さまは嬉しい笑みをこぼしてらっしゃったわ。
――誰を参加させ、誰を外すか、フフフフフフと黒い笑みも見せるところがさすがはお母さまだけど……。
そして美容関連商品も美容液だけでなく美容グッズも販売を始めたの。これはリカルドの知識をもとにリンクスの女性陣が血走った目で開発した商品。しわやたるみの改善用器具、毛穴の汚れを落とす器具、光属性因子をお肌の深いところまで浸透させる器具などのことだけど、これも注文が殺到していてお姉さまが大笑いしていらっしゃったわ。
美容液もどんどん種類を増やす予定のようですし、これまでの美容液製造を北部に回さないと、商品を手に入れられないお客様からの苦情がまた増える事態になりそうでした。
「では計画していた網は広がっているのですね?」
「ええそうよ。貴族だけではありません。うちと取引きしている商人達も目の色を変えて情報収集してくれているわ。必ず儲けが見込める商品が手に入れられなくなるなんて悪夢でしかないでしょうからね。リカルドが北部に入ったと知ると、北部に仮店舗を開いてまで北部全域の情報を集めてファレナへ届けているようよ」
「そうですか。リカルドにはもう二度と嫌な思いをさせたくありませんから」
「ええ、貴族側と商人側の双方で見張っていますし、魔獣退治で各地へ赴いているリンクス達も目を光らせているのでしょう?」
「はい、皆リカルドを守ろうとして下さってます」
今、私に出来ることは全てやった。リカルドを陰謀から守るため関係者全員にお願いした。リカルドに恩義を感じるリンクス、美容商品の提供をもとに貴族社会で確固たる地位を築きつつあるお母さま、リカルドとリンクスが生み出す商品を求めるお姉さまと商人、そして……お母さま達には話していないけれど、ヴェイグ様には竜族とドライアドへの協力もお願いした。
「話を戻すけれど、懐妊のこと、本当にリカルド殿にはまだ伝えないの?」
「はい。戻って来たらお伝えし驚いていただこうと」
「まあ、いたずらっ子ね。幼い頃の貴女に戻ったようよ」
「そ、そうでしょうか?」
ええと微笑むお母さまには悪いけれど、私はいたずらっ子どころではない自分になろうとしている。貴族社会の毒から、世界中のありとあらゆる悪意からリカルドを守るためならば、リカルドから与えられた魔石の圧倒的な力を攻撃的に使用することも、いえ、リカルドが極力頼らないようにしている竜族の力を利用することも躊躇うつもりはありません。
――私や家族、そして仲間の幸せのために頑張るリカルドを守るためならば、たとえ悪女と呼ばれようとも構わない。リカルドの願う”気ままな生活”を取り戻せるよう力を尽くすのが妻としての私の責務よ。
◇ ◇ ◇
「ふん、来たか」
いくらリカルド家前にある庭だからといっても、リガータの森を訪れるのに上下純白の衣装は目立ちすぎるだろう。土や草木に触れて衣服が汚れる場所だから人間の貴族という類いの者も狩猟服という汚れても構わない格好で訪れるのだ。
「ヴェイグ、やっと再生できたのだな」
光の真龍セクリス。闇の真竜である我の半身で、我等はどちらかが命を落とせばもう片方もこの世を去る間柄だ。多数の眷属を持つ我と異なり数少ない眷属しか持たない。透き通るような金髪が綺麗にまとめられてはいるが、前髪は長く目元は見えづらい。だが風で揺れて時折見える金の眼差しには我の再生を祝福してくれている笑みが浮かんでいる。
「憑坐となってくれたリカルドのおかげだ。そしてもう憑坐を必要とせずに次の再生を迎えられるようにしてくれたのもリカルドとその妻エリザベスだ。セクリス、おまえからも感謝してくれ」
「……そうか」
感慨深げに目を細めて頷く。
我と魂が繋がっているセクリスは、我に起きたことを察している。もちろんリカルドのことも知っているはずだからわざわざ伝えなくとも良い。しかし、それでもリカルドへの感謝をセクリスにも深く知って欲しかった。
人間社会にも気ままに出向くセクリスは、我と眷属がコンコルディア王国王都まで出向いたことも風の噂で知っているだろう。
竜族は他の種族と極力関わらないよう生きる。もちろん同じ世界に生きているのだからまったく関わらないことなど不可能だ。だが余程の理由がない限り関わらない。
……我にとってリカルドに降りかかる危険は余程のことなのだ。
「それでどうした? いずれ来るだろうとは思っていたがな」
「ん? 私にとっても恩人のリカルドとその妻エリザベスに感謝と祝福をと思ってね」
「光の真龍の祝福だと?」
「ああ、何か不都合があるかな?」
「いや、我には不都合などない。だが真龍の祝福は人間のリカルドとエリザベスには重いのではないか?」
人間に与える真龍の祝福とは、それほど大げさなものにはならない。多少の怪我なら即座に回復するとか、魂が強靱になり竜族同様の魔法を使えるようになるとかだ。我等竜族から見れば祝福と呼べるような大げさなものではない。身体的にも精神的にも竜より脆弱な人間にはその程度の祝福しか与えられないのだ。
だが、他の人間から見れば話は変る。身体が大きく傷つけられても、魔法などの治療もないのに自然に即座に修復されるなど化け物に見えてしまうだろう。
「ヴェイグは感謝の気持ちを、闇の真竜とその眷属が彼らとの絆として示すのだろう?」
「ああ、リカルドとエリザベス、その子孫とは、我と我の眷属は絆を持ち見守る。いわゆる”悪”を為さない限りこの絆は永遠の約だ」
「つまり彼らが人間の理から大きく外れない限り竜族との絆は切れないということか」
「そうだ」
「真龍の祝福は人間に重いというならば、私はどうやって感謝の気持ちを現わせば良いだろうか?」
「……ふむ、しばし待て」
セクリスの気持ちを無駄にしないために何か良い方法は無いだろうか?
さすがに祝福は重いだろうし、我と眷属が絆を結んだのだからこれ以上の絆は不要。
……そう言えば……。
「セクリス、おぬしの鱗をリカルドに渡してはくれぬか?」
「鱗? 我等の恩人になら何枚でも渡すが?」
「エリザベスが懐妊したのだ。どうやら人間の出産というのはかなり負担がかかるものらしく、母子ともに死ぬこともあるそうなのだ」
「なるほど、それで私の鱗があれば……」
我の鱗は、病のもととなるモノの身体からの排除は可能だ。リカルドによると殺菌というものらしいがその力はある。だが懐妊は病ではないから我の力は役に立たない。
「そうだ。心身と生命力を強靱にする力があるおぬしの鱗があれば、リカルドもエリザベスも感謝するに違いない」
「了解した。ここではなんだから後ほど変化を解き、鱗を用意しよう。何枚あれば良いか?」
感謝を表す手段が見つかってセクリスは満面の笑みを浮かべる。
確かにここで人化を解いて竜の姿に戻ったら、成龍のセクリスは遠くからでも目立ってしまう。竜族とリカルドとの関係を知らない者達は恐れるだろうし、リカルドへ警戒の目を向けるかも知れない。実際、セキヒやソウヒもこの辺りでは人化を解かない。
「おぬしはもう成龍なのだから一枚で十分だ。だが、また必要になったらその時は……」
「ああ、いつでも用意しよう」
我とセクリスがこうして面と向かって会話したのは千年以上も前のことだろう。我は自身から溢れる闇属性の魔力によって周囲に被害が出ることを恐れ、眷属でさえセキヒとソウヒを除くと近づかぬように命じていた。どうせセクリスには我の状態は常に把握されているし、わざわざ会話するようなこともなかったのだ。
お互いの心身と魂の状況は伝わるが、いくら半身と言えども知識や思いまで共有できるわけではない。だからかセクリスは思いつくままに何でも話した。世界をぶらついて見聞きしたり体験したことを明るく楽しそうに話す。同じ人間社会でも百年違えば考え方も生き方も異なる。人間社会の発展とそれに伴う人そのものの変化はとても面白かったようだ。
人間のことだけでなく、様々な動物や魔獣のことなども楽しげに話してきたセクリスが、急に真面目な表情をして伝えてきた。
「霊鳥カルラが再生に入ったのは知っているか?」
「いや、ずっと世界と隔絶して命を長らえていたからな」
霊鳥カルラは知っている。我等真龍と同じくいつ誕生したのかも判らぬほど古に誕生した霊鳥だ。真龍のように長き生の果てに肉体が劣化すると、核に戻り再生を行ない新たな身体を得る。だが、知識や記憶は引き継がないらしく、再生前とは異なる性格の霊鳥として生きる。再生して穏やかな生もあれば、荒々しい生もある。
「カルラが再生に入ったのは二百年ほど前で、その影響が人間のそれも貴族と呼ばれている身分の者達に出ている」
「どういうことだ?」
リカルドもエリザベスも貴族の出だ。貴族に影響がある何かしらがあったと聞いては無関心ではいられない。
「霊鳥カルラも我と同じく変化して様々な土地を移り住んでいたのは知っているか?」
「いや、すまないがそれも知らぬ」
「カルラは再生後数年間の経験で性格が決まる。穏やかな生活を送れば穏やかな性格に、荒事に巻き込まれ続ければ乱暴な性格となる」
「ほう、それで?」
「前回再生したカルラは人間と良い関係を築いていたらしく、ある時期一緒に暮らしていた集団に祝福を与えたそうで、それが後に貴族と呼ばれる者達となったようだ」
「ふむ、その情報は確かなのか?」
「ああ、カルラ当人から聞いたのだから間違いないだろう」
「そうか。それで……ああ、なるほど、霊鳥カルラが再生に入り祝福の効果が切れたのか。だからか、貴族の魔法力が弱まったのは……。納得いった」
貴族の魔法生成力が数代の間に急に落ちてきたとリカルドは言っていた。竜族でも人間でも亜人でも、魔法生成力は種族の特性に依存するものだから、種族は変らないのに、貴族という社会身分にある者達だけが魔法力が衰えるなどというのは不思議に思っていた。だが、ある人間集団の魔法生成力が祝福によって底上げされていたというのならば理解出来る。
カルラがどのように祝福したのかは判らない。ただ貴族の魔法生成力が衰えた話にカルラの名前は出てこない。ということは人知れずに祝福していたのだろう。
「……私はカルラの再生を見守るつもりだ」
「ん? どうしてだ? 庇護しようとでもいうのか?」
「そうだ。カルラが再生した後、今度も穏やかに成長できれば良いが、そうでなければ人間の災いになるかもしれないだろう?」
「……リカルド達やその子孫を害するかもしれない……そう考えたのか」
「その通り。やはり鱗を渡すだけでは感謝を表しきれぬ」
「セクレト自らがカルラを庇護するというのか?」
「そのつもりだ。そのくらいしなければ我等の命を守ってくれた恩義に酬いられん」
「……感謝する」
「なに再生後数年の間、カルラが静かに暮らせるよう見守るだけのことだ。穏やかに成長してくれれば次の再生まで放置できる。感謝されるほどのことではないよ」
「穏やかに成長しなければ排除するのだろう?」
「排除とまでは言わずとも強制的に次の再生に入って貰うだけのことだよ」
カルラの件を話し終えると、ニカッと笑い「これからはちょくちょく顔を見に来るよ」と言ってリガータの森奥へセクレトは歩き去った。




