帰路にて
私とフレイアは、プチ・インテーラで十日間過ごしました。当初は五日ほどの滞在予定でしたから倍の日数を送ったことになります。王都に居ては経験できないことばかりで素敵な日々でした。
私の心にいつも影を落としていた痣が消え綺麗になった肌のおかげでしょうか。世界がとても優しく感じられます。何を見ても聞いてもとにかく嬉しいのです。この気持ちのままプチ・インテーラで暮らしていきたい。体面ばかり気にして不自由な王都には戻りたくありませんでした。
フレイアも旅の途中から生き生きとしていて、周囲の目を気にして少しおどおどしていた王宮での妹とは別人のようです。屈託のない笑顔で毎晩その日にあったことを嬉しそうに話し、翌日をとても楽しみにしている様子を見ていると胸が温かくなります。
でも病の陛下のそばを長く離れていることに気付きましたので戻らねばなりません。
陛下が病に倒れていなければ、南部はこんな風にならなかったでしょう。兄上達も身勝手で理不尽な行いなどできなかったのに残念です。
……そうよ。リカルド様は治癒魔法を研究されていると仰っていたわ。陛下の病を治せないものかしら? でも陛下のところまでお連れするのは難しいわ。王宮内に入るまでは難しくないけれど、陛下のお部屋までとなると……でも母上が協力してくれるなら。あ、その前にリカルド様は協力してくれるかしら? クリスティナ侯爵夫人に相談してみましょう。
◇◇◇
クリスティナ侯爵夫人を通して、リカルド様が陛下に治癒魔法をかけてくださることになった。
ただし、元々の治癒魔法にあった欠点を改良し続けてきたけれど、欠点が解消されているかまだはっきりしないということでした。動物や魔獣に魔法をかけて実験を続けてきて成功するだろうと考えられるところまでは改良できている。人間相手でも軽度の傷病では成功しているけれど、重度の傷病者相手に成功するかは判らないということです。失敗しても病が治らないだけで何か大きなトラブルが発生することはない。そこは安心していいけれど、必ず成功するとは思わないで欲しいと念を押されました。
治る可能性がある。王国一と呼ばれている医者から「もうできることは全て尽くしました」と言われ、あとは天に運を任せるだけの陛下に治る希望があるなら娘としては何としてもやってみたいのです。もしも治ったなら、母上や私達が喜ぶだけでなく、ベネディクト侯爵とヴィアーナ様に対して兄上達が行なった理不尽な行為も正されるかもしれない。元通りの王国に戻るかもしれない。そのような期待を持ってしまうのです。
プチ・インテーラへ向かう時は道中の安全を第一に考えた道のりを選び王都から三十日かかりました。ですが今回は「リカルドと従者のセキヒが居るから最短距離で移動して大丈夫です。何があっても二人が対処してくれますよ」とクリスティナ侯爵夫人は安心する落ち着いた口調で仰いました。
そういえば、王国を国王に無断で出奔したのだから爵位は剥奪されるから侯爵夫人ではなく元侯爵夫人なのだそうです。言われてみればその通りなのですけれど、お優しく気品と威厳があるクリスティナ侯爵夫人は私にとってやはり侯爵夫人です。ですので、公の場以外では侯爵夫人とお呼びすることを許していただきました。
プチ・インテーラを出てそろそろ十日が過ぎます。途中では、私とフレイアは宿に泊まり、リカルド様とセキヒ様は馬車の中でお休みになられてました。宿に泊まれば宜しいのに、護衛も兼ねているのですからと仰られます。母上が付けてくれた護衛がいるのですからと言っても「私とセキヒが護衛すれば尚更安心ですよ」と笑って仰られました。おかげで、少し申し訳ない気持ちもあったのですけれど、毎晩心安らかに眠れました。
リカルド様はとても責任感の強い殿方です。私もリカルド様のような殿方とでしたら結婚したいですわ。何事からも守って下さりそうなんですもの。エリザベス様がお幸せそうなのも当然です。
結婚! 結婚したいなんて考えたのは生まれて初めてのこと。痣が消えたので私は前向きになっているのですね。でも、結婚はまだしなくても宜しいのです。今までは、私を慈しんで下さる殿方などいないと、だから良い夫婦関係を築くのは無理だから結婚しないと考えてきました。今は違います。
痣があってもなくても私は私。私の価値は痣で左右されるものであってはいけないんです。
そんなことに気づけなかった私はまだまだ人として成熟していない。もっと大人になりいろんなことを理解できるようになり、夫となる殿方を支えられる私になってから結婚を考えたいと思うようになりました。ですから将来は判りませんが今はまだ結婚しなくていいのです。この気持ちを陛下と母上にきちんと伝えたいですわ。
目の前でエリザベス様から頂いた女の子姿のお人形を抱きしめてうたた寝しているフレイア。
今度は母上も連れて遊びに行きたい、戻ったらお願いしてすぐにでも戻って来たいと、プチ・インテーラを離れる時にはとても寂しそうでした。
ヴィアーナ様の弟スレイとはかなり親しくなったようで、王宮にも是非遊びに来てくれるよう頼んだそうです。領地から出たスレイは現在置かれている立場を理解しているようで、行きますと約束してくれなかったようです。そのことをフレイアは悲しんでいますが、大人の事情などまだ判らないので仕方ありませんね。
ですから私のためだけでなくフレイアのためにも必ずプチ・インテーラへ行きたいのです。
もうじき王都に着きますねと侍女が笑いかけてくれました。侍女の言葉にはいろいろ思うところはあるけれど、とにかく陛下のところへ急がなければ、全てはその後考えましょう。
そう考えていると外が騒がしい。リカルド様とセキヒ様の声も聞こえます。そして馬車がゆっくりと止まりました。もう王都は目と鼻の先です。この辺りだと賊が出ることもありません。ですから何が起きて騒がしいのかと窓から外を見ると、馬車からリカルド様が降りる様子が見えました。
私は扉を開け「どうかなされたのですか?」と訊きました。
「正面に騎士団が立ちはだかっていて通して貰えそうにないんです」
「え? どういうことでしょう?」
「……そうですね。ジョアナ王女から騎士団に事情を聞いて貰えませんか?」
「判りました」
そう答えて馬車からお降り王都方面を見ると騎馬に乗った鎧姿の騎士が……百名ほど居ます。道を塞ぐように並んでいて、これでは確かに馬車で通るのは無理です。
「これから王宮へ戻るのです。急いでいるのです、事情は存じませんが道を空けなさい」
馬車の前まで出てそう言うと、騎馬を分けてテリアス兄上が前に出ていらっしゃいました。
「ジョアナ、無事で何よりだ。そこのリカルドなるものに攫われたと聞いて心配していたのだ」
兄上は何を言っているのでしょう? 私が攫われた? リカルド様に?
「何を勘違いされておられるのですか? 私は誰にも攫われてなどおりません」
「おお、妹よ。そう言うように脅されているのだな? 心配するな、今、助けてやる」
そう言って兄上は手甲に包まれた片手を頭上にあげる。攻撃準備の合図! 何故?
「兄上! どうなされたのです! 誰を攻撃しようとなさっているのですか!」
返事を返さず、上げた手を下ろす様子もない。
「おやめください! 兄上!」
私の声に何の反応も返さず、周囲の騎士達は魔石が嵌められている剣や杖をリカルド様達へ向ける。
「リカルド! 大人しく捕まるというのなら攻撃はやめよう。どうする!」
何故リカルド様が攻撃されなければならないの?
「面倒だなあ、あんた。ジョアナ王女の兄だというから俺達は大人しくしているんだ。これは賊なら既に殺してるところだ。……あんた達の攻撃程度で俺をどうにかできると考えているならやってみるがいい。その代りあとで後悔することになる。そのつもりでその手を下ろせよ」
目の前の騎士達を恐れること無く不敵な笑みを見せながら兄上に喧嘩を売る。
「リカルド様、テリアス兄上は本気です。ここは逃げてください」
「ジョアナ王女。まったく問題ありません。私はジョアナ様とフレイア様を王宮まで送ると約束しました。陛下の病を診てみると約束しました。その二つの約束を守らせていただきます。それだけですよ」
リカルド様とセキヒ様は何かを警戒する様子もなく騎士団の方へ歩いて行く。まるで近所を散歩しているかのような自然体で、今まさに攻撃されそうだなんて感じません。
「生意気な……聞くところによるとおまえ達は貴族軍二万名を倒したそうだが、そんなまぐれでここに居る騎士にも勝てるなどと考えているならそれは過ちだ。王国軍最高の魔法騎士達だ。そこらの魔法騎士とは質が違う。命があるうちに大人しく捕まっておいたほうがいいぞ? 次期国王の情けだ。ありがたく聞いておくがよい」
兄上もリカルド様も私の言葉を聞いて下さいません。両手を握りしめ、リカルド様のご無事を神に祈るだけです。
「俺が最後にあんたに言いたいことは、大人しく道を空けるか、それとも俺達に返り討ちに遭って縛られたまま王宮へ戻るかだ。さあ、どちらを選ぶ?」
「さきほどから次期国王に向かってあんたあんたと不敬な言葉使い……」
「選ばないなら俺が選んでやる。……返り討ちだ!」
リカルド様はプチ・インテーラで見せて下さった魔法拳銃を持つ手を騎士達に向けました。兄上も上げた右手を勢いよく下ろしました。騎士達がそれぞれの武器から魔法を放つ光が見えました。
リカルド様! ご無事で! と私は怖くて目をつぶってしまいます。
ですが、聞こえるのは騎士達からの「何だと?」「我々の魔法をはじき返しただと?」という声ばかりです。
恐る恐る目を開くと、馬車の前で拳銃を向けたままのリカルド様と、騎士達を馬上から殴り下ろすセキヒ様のご様子。
兄上は「馬鹿な! 馬鹿な! 王国最高の魔法騎士達の魔法が通じないだと?」と狂ったように叫んでおりました。
考えてみれば、リカルド様は治癒魔法を使えるのです。現在の王国には治癒魔法を使える者はおりません。治癒魔法の知識はあっても発動させられるだけの魔法力を持つ者がもう居ないのです。でもリカルド様は使えるのです。魔法の勝負でリカルド様に勝てるはずがないのです。
目の前では王国の騎士達を子ども扱いするかのように軽々と馬上から蹴り落とし落ちたところに身体の一部を地上で倒れている騎士に落として次々と地面で呻く騎士をセキヒ様は増やし続けています。周囲の騎士が武器を振って突いてもセキヒ様にかすりそうにすらありません。セキヒ様は宙を軽やかに舞う劇を演じているかのようにしか見えません。……話には聞いていましたがセキヒ様は何とお強いのでしょう。
本当に、本当にあっという間に百名ほどの騎士全員が地上で倒れています。怪我をしている者は大勢居るでしょうけれど、きっと命を落とした者は居ないでしょう。セキヒ様が手加減しているのが、戦いの知識など持たない私の目から見てもはっきりしていました。それほど動きにも表情にも余裕が見えました。
唯一人残った兄上をセキヒ様が馬上から片手で引き釣り下ろします。
テリアス兄上は、騎士団の皆様と並んでも顔半分は背が高く、細く見えますが筋肉質な身体をお持ちです。その兄上が馬上鎧を着込んでいるのですから相当重いはずなのです。なのにセキヒ様は子どもで引っ張ってるかのように苦労せずに片手で地面を引きずってきます。……セキヒ様はとても力持ちなのですね。
「リカルド様。こいつはどうします?」
「俺には関係ないけれど、一応王子だというしジョアナ王女の兄だ。怪我させるわけにはいけないだろうしなあ。猿轡噛ませたあと縛って俺達の馬車に放り込んでおいてくれ」
茫然自失状態の兄上は抵抗する様子もなくセキヒ様に縛られ馬車へ投げ込まれていました。
「このままでは邪魔だな」
そう言ったリカルド様は、魔法拳銃に少し触れたあと再び正面に向けて手を上げました。
すると、見えない壁が地面に転がっている騎士達を道の両脇へ押しているようです。馬上騎士鎧はとても重く、一人で着ることなできませんし、転んだら立ち上がるのにもとても苦労するものです。にも関わらず、見えない壁は同じ速度で騎士達を道から移動させていきます。
……やはりリカルド様使うの魔法は想像外の領域にあるんだわ。
道を空け終わったリカルド様は何事もなかったかのように「さあ、王宮へ行きましょうか」とセキヒ様とともに御者台に乗った。
……ああ、馬車の中にテリアス兄上が居るからね。ほんと迷惑ばかりかける兄上だわ。




