痣
あの愚かで強欲な兄達が私の希望を奪った。
私の身体には胸から腰にかけて大きな赤黒い痣がある。ドレスを着ていれば他人には見えないけれど、この身体では誰とも結婚できないだろう。国の利益に繋がる相手と結婚するのが王族の娘として生まれた私の価値のはず。十五歳で成人した時には、既に結婚は諦めていた。諦めていることを告げると、父上から悲しそうな笑みを向けられて「仕方ないな」とだけ言われた。
その時の気持ちは今でも忘れられない。胸に氷の刃が刺さったようなあの冷たくて痛い気持ちを一生忘れることはできないわ。……父上の辛そうな笑みと一緒に。
特別美しく成長できなくてもいい。だからこの痣を消して欲しいと毎晩祈り続けた。でも痣は消えないまま私は十六歳になった。昔戦争していたらしい隣国からも「是非伴侶に」といくつもの話があるのだという。その全てを断ったらしい。今はまだ十二歳のフレイアが成人したら結婚相手にどうかと問うようだとも聞いた。
……ああ、その方が良い。私は肌を見せられない。この痣を見たらどんな殿方でも私を疎ましく思うことでしょう。疎ましく思われ避けられ続けるくらいなら結婚なんてしないほうがいいわ。
そう思い絶望の中で生きてきた私に希望が現れた。
誕生日パーティーのために美肌・美白効果のあるクリームを手に入れた。それは本来の効力ほどではないクリームということだった。通常のものほど効果は長持ちしないし、微かに肌の輝きに弱さが感じられるものだとクリスティナ侯爵夫人は言っていた。だけど、直前に使用すればパーティーの間はまったく問題無く美しく白い肌が手に入ると聞いて、私はそのクリームをいただくことにした。
全身にくまなく塗るようにと指示されていたので、パーティードレスを着る直前に侍女に塗って貰ったの。
塗り終わって衣装に着替え終わった頃には、自分の肌がいつもよりしっとりとしていたわ。鏡に映る私は自分で疑いたくなるほどの素敵な肌の持ち主だった。
パーティーを終えて着替えると、侍女が驚きの声をあげたの。
「ジョアナ様! 痣が、痣が薄くなってます!」
「え?」
姿見を持ってきて貰いマジマジと確認してみると、言われたとおり薄くなっている。
これってあのクリームのおかげ? ああ、なんてことでしょう。何をやっても消える気配のなかった痣がクリームを塗っただけで薄くなっている。
でも喜ぶのはまだ早い。クリームの効果は三日程度とクリスティナ侯爵夫人は言っていたわ。三日後どうなっているのか確かめるまでは喜べない。
そして三日後、パーティの後にはかなり薄くなっていた痣は元通りの赤黒いものに戻っていた。
……糠喜びしなくて良かった。でも使い続けたら効果が切れたあとも薄くなるかもしれない。
私は効果が切れそうになるとクリームを塗る生活を続けた。最初に貰った一時しのぎのクリームを使い終えた後、他の方々も使っているクリームも購入してやはり塗り続けたわ。
塗って効果が切れるまでは痣はかなり薄くなる。効果が切れそうになるとやはり色は濃くなっていく。だけど、一年と少し使い続けた結果、効果が切れても薄くなっているのが判るようになってきた。
私はやっと大喜びすることができたの。
……このまま使い続けていけば、きっと見ただけでは判らなくなるほど薄くなる。そしていずれはきっと綺麗になる。私の気持ちに影を落としてきた闇のような痣が消えて無くなる!
私は神に感謝を祈り、クリスティナ侯爵夫人にお礼を言ったわ。そしてこれまで身近な者しか知らなかった私の痣のことを伝えて「お願いだから私の分を毎回確保して」と頼み込んだ。
「女性としてジョアナ王女のお気持ちはよく理解出来ます。夫からは、相手が誰でもルールを破って取り置くことのないようにと言われているのですが、この件は特別です。夫も必ず理解してくれるでしょう」
そう言って私の分の一個は取り置いてくれるようになったの。無理を聞いてくれたマイヤール家に感謝したわ。感謝の品を何か贈ろうと考えていたその時、あの馬鹿兄上達の愚かな行為が伝わってきたの。
「南部二領へ戦争を仕掛けた?」
攻撃を仕掛けられたわけでもない。
誰かが被害を被ったわけでもない。
兄上達に美容健康関連商品を商う権利を譲らなかったのが不敬?
そんな理屈で私に希望を与えてくれたドゥラーク領に戦争を仕掛けたですって?
私は母上に会いに行った。どうして兄上達の暴挙を止めて下さらなかったのと責めるつもりでした。
「事が終わるまで軟禁されていたのです」
生みの母ではないにしろ現在の王妃である母上を自室に軟禁したというの。父上である陛下の病が重く、意識も明らかじゃないから兄上達は好き勝手していたらしい。
そして事前にベネディクト侯爵からもアレーゼ領のヴィアーナ嬢からも言われていた通り、兄上達はあのクリームを扱えなかった。領主は戦争にならぬようにと領地から去っていて、南部二領には一個も残っていなかったそうよ。当たり前よね。王国中の貴族女性が今度こそ手に入れようと必死になっている商品ですもの。残っているはずはないの。そしてリカルドという取引き相手と連絡すら取れなかったというのよ。
ふん、兄上達が商う権利を手に入れられなかったのは大笑いしてやりたい。でも私の手にも入らない。
「母上、私、兄上達の顔も見たくありません。どうせこのままではどこかに嫁ぐこともできませんので、プチ・インテーラへ行ってあのクリームが手に入らないか聞いて回ろうと思います」
「誰かを調べさせに向かわせるのではなく?」
「ええ、私自身が行きます。兄上達の愚かな行為を謝罪しなければなりませんし」
「……そうなのね。陛下の看病があるから私は一緒に行けません。でも、フレイアは一緒に連れて行って欲しいわ」
「ですが安全とは言いがたいですよ?」
プチ・インテーラは安全だろうけれど、その道中はそうではない。賊が出るかもしれないし、魔獣が出るかもしれない。魔獣が出そうにない道を移動するつもりだけど、賊に関しては何とも言えない。
「ここに居たら王子達にどのように扱われるか判りません。なにがしかの金銭の代わりに婚約させられるかもしれないと思うと……フレイアの一生をそのように決めさせたくないのです」
ここに残る方がフレイアにとって危ない。母上の瞳はそう語っていた。
そうね。あの馬鹿兄上達ならやりかねない。
「判りましたわ。フレイアも連れて行きます」
「馬車と護衛は私が用意するわね。信用のおける者を付けさせましょう」
◇◇◇
王都を出てからそろそろ三十日。今日中にはプチ・インテーラに到着する。できるだけ安全な道を通ってきたから予定よりも時間がかかってしまった。道中聞こえてきたのは、兄上達への怨嗟の声ばかり。
南部二領に人が集まっていたけれど、北部や中央から南部へ向かう途中の街や村にも人の出入りが増えていて景気が良かったらしい。今ではどこも静かで新たに建てられた宿はどこも閑散としていた。宿だけでなく道具屋も飲食店もどこも暇で「前の領主様達が戻って来てくれたら」という声ばかりだった。
元ドゥラーク領はゼルテンス兄上の直轄地に、元アレーゼ領はテリアス兄上の直轄地となっている。お笑いぐさよね。息巻いて景気の良かった領地を占領して不景気な領地に変えてしまったのだから恥ずかしいったらないわ。もう兄だなんて思いたくもない。
ただ、初めて王宮から出たフレイアはこの旅を楽しんでいるようだ。どこへ行っても年の近い子を見つけてはひと言ふた言だけどおしゃべりしては笑っている。年頃の近い子と会えるというだけでフレイアには楽しみなようだ。
プチ・インテーラに到着するとクリスティナ侯爵夫人が迎えに出てきてくれた。きっとあのクリームを使っているのでしょうね。お年より随分若く見えてお肌は白くて艶やかだ。兄上達がしでかしたことを責めるような感じは表情のどこにもない。
「遠くまでよくいらっしゃいました。ご連絡をいただいたときは驚きましたわ。あのようなことがあった後ですので……」
「いえ、こちらこそ兄上達の愚かな行為を謝罪しなければと」
頭を下げると「おやめ下さい」と夫人に止められた。そして「宿はご用意できなかったのですけど」と言って、こちらで建てたご自宅へ案内された。それは街から少し離れた場所で、大きめの建物が数軒並んでいます。アレーゼ領の元領主の建物や使用人達のための集合住宅もあるということです。
夫人のご自宅は王宮と比べると小さく素朴な建物かもしれない。だけど地方貴族の家として見たら部屋数も多そうですし庭も広くて綺麗でかなり豪勢な建物です。庭先で馬車から降りると、玄関前にはずらりと人が並んでます。ベネディクト侯爵の家族と使用人達でした。
皆様笑顔で迎えて下さったので、兄上達のしでかしたことを思うと涙がこぼれてきます。
「ジョアナ王女が訪れて下さった理由は判っております。さあこちらへどうぞ」
フレイアは同じ歳のスレイと一緒に街を見学に行くようだ。ヴィアーナさんの弟スレイは物腰の柔らかい男の子ですが、フレイアを立派にエスコートしようと張り切っている様子が微笑ましかったです。
案内されたお部屋には男性が一名、女性二名がおりました。女性お一人のお顔はどこかの宴会で会った覚えがあります。ベネディクト侯爵の次女エリザベスさんだったと思います。
「こちらが娘婿のリカルド、娘のエリザベス、そしてこれからの作業を手伝うエリザベスの侍女クラリスです」
リカルド様? あのクリームを作ってくださったという、私にとっては神様みたいな御方です。エリザベスさんのご主人だと聞いてましたが、お優しそうな笑顔が魅力的な殿方です。
「実は、あのクリームは相変わらず売れていまして、お渡しするのは少し先になってしまうのです」
「構いませんわ」
「そう仰っていただけるのは有り難いことです。ですが、ジョアナ王女様が心を痛めていらっしゃる原因は別の手段で取り除けるのです。どういたしますか?」
頭の中で「ええええええええ?」と叫んでしまいましたわ。あのクリームでしか痣を消せないと信じ切っていた私にとっては驚き以外の何ものでもありません。
「そ、それはどういった手段なのでしょうか?」
「説明はリカルドからお聞き下さい」
「治癒魔法の応用で、お肌のシミや痣を除去できるのです」
痣のない部分の肌の状態を基礎データとして使用し、痣のある部分の肌を置き換えるので正確に言うと痣を消去するのではなく痣のない肌で創り直すものですと説明してくださりました。何を仰っているのか理解しきれませんでした。判断に困っていたところ「私の脚にも小さな痣があったのですけれど、リカルド様が治してくださいました」とエリザベスさんの侍女が恭しく礼をしながら話してくださいました。その言葉で私は期待で胸がいっぱいになりました。
「あ、あの、本当に痣が消えるのですか?」
「はい、確実です」
「私の痣は広い範囲に広がってるのですけど、それでも大丈夫でしょうか?」
「まったく問題ありません」
「ではお願い致します」
失敗してもあのクリームを使用すれば時間はかかっても消えるでしょう。そのくらい軽い気持ちで試してみましょう。あのクリームをお作りになったリカルド様が確実と仰るのですものきっと大丈夫。そうは思ってみても、何をやっても消えなかったこの痣が簡単に消えてしまうとはなかなか思い込めませんでした。
「では、魔法は妻のエリザベスが発動させます。お手伝いはクラリスがします。私はここで待っていますので、客室の方へどうぞ」
「え? リカルド様が処置してくださるのではないのですか?」
「今回はどうしても上半身裸の状態での対処になります。男の私が行なうのは憚られます。それに妻には事前にしっかりと教えましたから何も問題は起きませんよ」
「ですが、治癒魔法は高等魔法で……」
「誰が使用しても治癒魔法を発動させられる魔石をうちの娘婿は創れるのです」
「ええええええええ?」とまたも頭の中で叫んでしまいました。今回は目を大きく見開いてしまい、淑女としては恥ずかしい表情になってしまいました。
誰が使用しても治癒魔法を発動させられる魔石?
そんなものがあるだなんて聞いたことがありません。
魔石を創れる?
そのようなことが可能だなんて思ったこともありません。
ですが、私以外の誰もが自然な笑みを浮かべていらっしゃいます。私を騙しているようにはまったく感じません。
私は侍女クラリスの案内で客室へ向かいました。
そこは既に準備されていてベッドには新しいシーツが敷かれていました。窓のカーテンが閉じられているのに部屋が明るい。なのに油が燃える匂いなどせず、気持ちが落ち着くような花の香りが部屋に満ちていました。
エリザベスさんが部屋に入り扉を閉めると、侍女が衣装を脱ぐのを手伝ってくださいました。肌着も脱ぎほぼ裸の状態でベッドに上向きで横になると「すぐ終わりますから、気持ちを楽にしていてください」とエリザベスさんの声が聞こえます。
エリザベスさんは厚手の手袋と表現するしかない物を右手に嵌めていらっしゃいます。
「この手袋には魔石が嵌められていて私の意思で魔法が発動します。お肌に触れるとちょっと冷たいかもしれませんが驚かないでくださいね」
「ええ」
ベッドの横に侍女が椅子を置くとエリザベスさんが座る。そして私の痣のない部分に右手を置いた。確かに少し冷たいけれど、そんなことより同性でも痣を見られるのは正直嫌でしたので気が気ではありませんでした。
でも私の広く広がっている痣を見てもエリザベスさんも侍女のクラリスも眉をひそめることもありません。きっと私の気持ちを理解し気遣って下さっているのでしょう。私はこのことだけでも涙が溢れてきそうになります。
そして痣の部分に右手が移ります。何度も何度も鏡で見てきた痣です。私の胸のどのあたりからお腹のどこまでに痣があるのか見なくても判ります。痣がある肌の部分を一通りゆっくりと撫でるように触れると、「綺麗になりましたよ」と。
「え? もう?」
「はい。起き上がってご覧になってください」
クラリスがベッドの横に姿見を運んできた。身体を起こして鏡を見ると、そこには痣などない私の身体があった。あまりの感動で言葉もなく見つめていると侍女が「何か身につけませんと寒いのではありませんか?」と声をかけてくれた。返事を返そうとしても視界が涙で揺れてしまう。口を開こうとすると泣き声が漏れてしまいそう。でも抑えきれない。
俯いてしまった私の肩に肌触りの良い布をエリザベスさんが無言でかけてくれる。
「クラリス。もうしばらくこのままで」
エリザベスさんの温かい声に我慢しきれず「ううう」と泣いてしまいました。




