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一年後(その二)

 最近、貴族の家で生まれ育って良かった思うことがあります。

 女は家のために結婚する。そういう考えを持っていたから今ここにいるのですもの。その考えを強く持っていなければ、いくら特別な力をお持ちで家や領地のために必要な方だとしても、リガータの森で暮らすリカルド様の伴侶になるなんてありえませんでしたわ。


 もちろん誰もが皆私と同じように幸せに生活できるわけじゃないでしょう。意中の殿方と結婚する方が良いという方もいらっしゃいますし、それはきっとそうなのでしょう。好きな殿方と結婚しても辛い生活を送っている方もいらっしゃいますし、家のために結婚して心苦しい毎日を送っている方もいらっしゃいます。

 結婚は一緒に暮らしてみなければ判らないとしみじみ思います。


 もちろん貴族社会が合っている方なら、この森での暮らしは辛いのでしょうね。堅苦しくなく皆と気楽に話し合えるこの環境の方が私は好きですけれど、お嫌いな方が居ても仕方ありませんわね。不便なことも多くありますけれど、リカルド様は何とかしてくれますし私は今の生活に満足しています。


 真龍ヴェイグ様って不思議ですわ。

 いつもリカルド様か私のそばで、何をするでもなくただ静かに羽を休めるようにジッとしてらっしゃいます。何をお考えになってるのでしょうね?

 セキヒやソウヒ、そして私の護衛をして下さってるスイシは畏れ敬っているのですけれど、私には可愛らしい小さな小竜にしか見えません。黒くて小さく大人しい小竜、それが私にとってのヴェイグ様です。


 ただ……ずっとリカルド様の中で再生の時を待っていたからなのでしょうか。どこか親しみ慣れた雰囲気をお持ちで、つい抱きかかえてしまうことがあります。そんなときも暴れるようなこともなく嫌な顔ひとつせずに私の腕の中からやはりじっと私を見つめるだけです。


「こんなことをして不敬にならないかしら?」


 真龍は竜族の主でとても偉い龍なのだと聞きました。ですから、抱きかかえてしまったあとにそう思い、スイシに聞くと「リカルド様とエリザベス様はヴェイグ様にとって特別なのです」と言って意に介したところもなく答えてくれました。憑坐だったリカルド様はそうだとしても私も特別なのでしょうか? きっとヴェイグ様はリカルド様が大切にして下さっている私だから特別と考えてくださってるのでしょう。嬉しいですわ。


 ここでの生活は穏やかで、それでいて刺激的です。

 リカルド様は魔法の術式の研究、何かの役に立つ道具についてブルーノ親方との話し合い、リンクス達からの相談で毎日明るくも忙しそうにしてらっしゃいます。時々「こういうものを親方と作ったんだけど、どう思う?」と見せて下さる道具がとても不思議なものばかりで、ここでしか味わえない出会いでワクワクします。

 

 先日見せて下さったのは、魔導耕運機というクルマで畑で使用する道具だそうです。固くなった土を掘り起こし柔らかくしたり雑草を除く道具なのだそうで、畑仕事が楽になるのだそうです。


 私はここで生活するまで畑仕事というものを知りませんでした。ドゥラーク領では地方を視察するのは殿方の役目で、いろんな方が様々な仕事をしているから貴族も生活できるということは判っていても具体的に何をしているのか知りませんでした。屋敷の花壇もきっと庭師が土を掘り起こしたりしていたのでしょうね。関心が無いというのは怖いもので、何度も目に入っているはずのことでも記憶に残っていません。


 魔導耕運機はリンクスの農作業を楽にするために作ったとリカルド様は笑ってらっしゃいました。そして「これをヴィアーナに高く売りつけてやろう」といたずらっ子のような笑みも浮かべてました。困った御方ですわ。


 私は今では貴族社会でのマナーだけでなく、文字の読み書きと簡単な計算をリンクスに教えています。石版を使って教えているのですけれど、リカルド様は「羊皮紙じゃなく紙と鉛筆があればもっと便利になるのに」と仰います。紙や鉛筆というものが何かを教えて下さいますけれど、実物を見てみないといまいち理解出来ません。リカルド様が前世で暮らしていた世界には魔法は無いと仰ってましたけれど、リカルド様がいろいろ教えて下さる異世界はこちらの世界よりもっと便利で楽に生活しているようです。


 ……創意工夫すれば魔法なんかなくてもいいんだわ。


「魔法に頼りすぎてこちらの世界の文明はとても偏っているんだよ」


 リカルド様はしばしばそう仰います。そして私に見せて下さる道具を見ると納得してしまいます。蒸気機関というものを説明して下さった時そのことを強く感じました。


 何かを動かすなら、人の手か魔法で動かせば良い。

 これが私達の普通の感覚です。ですから、蒸気を利用して羽を回すなどということは考えません。そんなことに何の意味があるの? と感じてしまう人の方が多いでしょう。


 ですが、蒸気機関という道具でクルマや船を動かせるのです。リカルド様は「この方が使用する魔力量が少なくて済むでしょう?」と仰いました。それはその通りです。水を湧かし続ける程度の炎を出すだけなら平民の誰もが一人で可能な魔法です。もちろん長い時間は無理ですけれど、一刻くらいなら可能でしょう。クルマや船を魔法で直接動かそうとすると一人や二人の貴族ではすぐに魔力切れを起こしてしまいます。

 せめて魔力を効率的に使用しようとする意識があったら違う世界になっていたかもと、今はそう思います。


 先日、珍しくジュリアスお兄様がこちらにいらっしゃいました。


「エリザベス! おまえの旦那は何てモノを作ったんだ」


 ここに来るのは運河を利用してもかなり時間がかかるので、用があってもお父様が来てお兄様はいらっしゃったことはありません。次期領主としてあちこちへ飛び回っていらっしゃるらしくお兄様はとてもお忙しいのです。


 それにしても居間に入ってくるなり座る前から大きな声をあげられた。こんなお兄様は初めて見るかもしれません。


「どうされたのですか?」

「どうされたもこうされたもあるか! 美容クリームだ! 貴族用だけならまだしも平民用も作っただろう?」

「ええ、貴族用とは違い、効果は長持ちしないようですけれど平民でも手に入れられる価格のものをお母様とお姉様に渡していると聞いておりますが」


 誕生パーティーでのジョアナ王女様の肌の様子をご覧になったお母様が「平民用なら十分過ぎるほどでしたわ」と平民用製造に前向きになった。それでリカルド様とファレナお姉様が話し合って毎月二百個販売していると聞いています。


「おまえは見ていないから落ち着いていられるんだ。予約してもなかなか手に入れられない貴族が平民用のモノを買い占めてだな。それは主旨が違うからいけないと止めなければならなくなったり、我が領に訪れる国内各地や隣国から来た商人も買い占めようとするから平民用にまで予約を取り入れなければならなくなった」

「それはつまり大騒ぎになっているということでございますか?」

「そうだ。美容クリームの取り扱いだけでどれだけの作業が増えたと思う? 専任の役人を三十人貼り付けても足りないのだぞ?」


 侍女が持ってきたお茶を一口含んだ後切実そうに訴えてきました。


「ですが、ドゥラーク領は潤ってるのでしょう?」

「……あ、ああ、例の風呂施設の効果もあって、この分だと例年の五倍以上の税収がありそうだ」


 五倍! お父様はきっとお喜びになってるに違いないわ。リカルド様が貴族軍と争った際に方々からの批判を抑えるために相当お金を使ったらしいのでその補填にきっとなるわ。……良かった。


「お姉様のお店も利益を上げてらっしゃるのでしょう?」

「うむ、美容クリームを買いに来たお客のうちいく人かが他の関連商品も購入するので笑いが止まらんと……」


 お姉様の高笑いが聞こえてきそうね。ご主人のロレンツォ=バローネ様もきっと大喜びだわ。


「お母様は社交界で中心を担ってらっしゃるのでしょう?」

「ああ、今や母上が呼ばれぬパーティーはないし、母上のパーティーには招待状を貰いたいという依頼願いが殺到する」


 中央や北部から田舎者と侮られてきた南部領主達。お母様はこれまで何度も悔しい思いをされてきたから、思う存分鬱憤を晴らしてらっしゃるでしょう。今度会ったらお話しを聞かせて貰えそうですわ。


「リカルド様は我が家のお役に立っているのですね?」

「うむ、それはそうなのだが、私と父上はどこへ行っても、次の機会には美容クリームを購入させて欲しいとか、手に入れられなかった奥方や令嬢の恨み言を聞かされ続けてる。他の話などできないほどなのだ。これでは仕事にならん」


 だいぶ気持ちが落ち着いたのかお兄様の口調はお言葉ほどきつくはありません。


「判りました。それでお兄様は今日リカルド様に何をお伝えにいらっしゃったのですか?」

「増産できない事情は母上から聞いて知っている。だが何とかならんのかとな。協力できることがあるならこちらも手を打つ。とにかく落ち着く状況を作らないと、私も父上も困っているのだ」

「そのことでしたら、リカルド様が今日お出かけになってる理由ですわ」

「どういうことだ?」


 期待と不安が混じった表情のお兄様。これは本当に困ってらっしゃったのですね。こんな困惑しているお兄様を見るのは初めてですもの。


「エルフェンパールの樹は今日明日増やせるものではない。そのことはお母様からお聞きになってますでしょうか?」

「ああ、もちろん聞いている。知らぬと説明できんからな」

「ですので、エルフェンパールに頼らずに光属性因子を集める魔石の研究を進めてらっしゃいました」

「ほう? それで成功しそうなのか?」

「私がお聞きした範囲ですが、エルフェンパールと同等にとなると難しいのだそうです」

「それで?」

「エルフェンパールの実は十個程度で一つの貴族用美容クリームに必要な光属性因子が集まるらしいのですが、収穫できるのは半年で二万個で貴族用二千個製造できる量です」


 実際には平民用にも使用するので二万個全てを貴族用で使用できないのですけれどね。


「うむ」

「リカルド様の研究によると、エルフェンパールはリガータの森に漂う瘴気を養分としていて、瘴気に含まれている土属性因子を光属性因子に変換しているらしいのです」

「なるほどな」

「その変換の仕組みはまだ明らかでなく、大気中にある光属性因子を集める方法しか今のところ難しいとのことです」

「エルフェンパールの樹ほどは光属性因子を用意できそうにないのは判った。それで新たに作っている魔石ではどうなのだ?」

「新たな魔石で一日に集められる光属性因子は貴族用十個分になりそうだと仰ってました。つまり、半年で千八百個分ほどになりそうということです。やはりエルフェンパールの実には及ばないとリカルド様は嘆いてらっしゃいました」

「だがおよそ倍近くになるのだろう? 凄いじゃないか」

「フフフ、お兄様ったら。リカルド様が創る魔石一個でエルフェンパールの樹千本に近い量なのですよ? そして実験結果が予想通りであればいくつか創るつもりでいらっしゃるのです」

「は? ああ、そうか、魔石を創れるのであったな」

「はい、ただ光属性因子はとても活力のある因子で、治癒魔法用魔石を創る時もでしたが今回も石化するのはなかなか骨が折れる作業なのだそうです。ですから……」

「判ってる。そう簡単に創れるとは考えていない。おまえの大事な伴侶に無理を言うつもりはない」

「はい。他の仕事もあるけれど、半年ごとに一個創る程度なら無理はないとリカルド様は仰ってましたので、そのペースを頭に入れて貴族の皆様にはご説明なさってください」

「うむ、とても助かる! 私や父上もだが、近いうちに倍近くも手に入ると知れば母上やファレナ、それにアレーゼ領のヴィアーナ伯爵も喜ぶだろう」

「お兄様、リカルド様にきちんとお礼を言ってくださいね?」

「あ、ああ、そうさせて貰う」

「それとお兄様、お願いがございます」

「何だ? 可能なことならできる限りのことはするぞ」


 美容クリーム増産の目処がついたことでお兄様も肩の荷が下りたのでしょう。私の知る穏やかなお兄様のお顔をしてらっしゃいます。


「美容と健康関連の商品を作る作業場をプチ・インテーラに作っていただきたいのです」

「ん? リガータの森でしかエルフェンパールは……ああ、そうか、リカルドが創る魔石があればリガータの森の外でも作れるようになるのか」

「はい。そしてリガータの森で育てているエルフェンパールは別の目的に使いたいのです」

「ん? 別の目的とは何だ」

「食品です。エルフェンパールの実は食べてもとても美味しいのです。光属性因子を大量に含んでいるので身体にもとても良いのが判ったのです」

「ふむ、もしかしてその料理もいずれは……」

「はい。プチ・インテーラでしか食べられない料理になるでしょう」

「……おまえの伴侶は恐ろしいな」


 美容クリームや健康維持のお風呂でエルフェンパールの実から採取した光属性因子が利用されている。そのことは別に秘密でも何でもないことなので商品購入希望するお客様には伝えているはずです。そのエルフェンパールの実が美味しく、そして身体に良いと知ったら。美食家だけでなく多くの方が求めることでしょう。つまり運河の利用者も増えることになり、ドゥラーク領とアレーゼ領に入る運河利用料も増えるでしょう。

 そのことをすぐ理解したお兄様は感心しつつもリカルド様に畏れを抱いたようです。


 ドゥラーク領とアレーゼ領のためにリカルド様は頑張っているというのに、ほんと困ったお兄様です。……私が喜ぶ顔を見たいためと仰ってましたから、リカルド様の想いは二つの領地のためではないかもしれませんけど。


「恐ろしいだなんて言わないで下さい。とても頼りになると言って下さいませ」


 お兄様はリカルド様がお帰りになるのを待ち、良い報告を聞いたあと私のよく知る優しい笑みを浮かべて感謝を伝えていらっしゃいました。どうやらお兄様もリカルド様をやっと素直にお認めになったようです。二人を慕っている私にとってとても素晴らしい日でした。

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