再生
春が近づく今日この頃。運河は形になり、そちらの仕事は俺の手から離れた。
俺のエリザベスは相変わらず美しく優しくて一生懸命で、もう常時胸が苦しくなるほど「愛って素晴らしい」とつぶやきたくなる日常が続いている。
なのにだ。今日は全身に激痛が走っていてもうどうしたらいいのか困ってる。治癒魔法使うか? とも考えたけれど治癒魔法の欠点を思い出して試さなかった。治癒魔法を使用して今以上の痛みを感じるようなことがあれば耐えきれなくて死んじゃうかもしれんと思い至ったためだ。
心配そうに見守ってくれるエリザベスが額の汗を拭いてくれるのはとても幸せなことだけど、感謝の言葉を口にできないほど痛くて辛い。握ってくれるエリザベスの手を握り返すこともできない。
で、俺の身に何が起きているのかというと、病じゃない。
セキヒの言うところに拠ると「ヴェイグ様が再生されるのです」だそうだ。
……再生するとき口もきけないほど痛いなんて聞いてないけど?
「真龍が人を憑坐するなど初めてのことです。何が起きるか真龍様本人でも判らないでしょう」
ただ、ヴェイグの気配がどんどん強くなってるんだそうだ。気配が強くなるにつれて痛みも強くなってきた。
とにかく痛みに耐えてセキヒの話を聞いた。だけど、そろそろ気が遠くなってきてエリザベスの俺を呼ぶ声もかすかにしか聞こえない。
全身を針で刺さされているようなこの痛みに負けて俺は命を落としてしまうのか?
愛するエリザベスともう触れあうこともできなくなるのか?
「エ、エリザベス……」
意識ある内にやっと口にできた言葉はそれだけだった。
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目が覚めるとそこには微かに微笑んでいるエリザベスが見えた。
「リカルド様、よく耐えて下さいました」
全身から痛みは消え、重い疲労感だけが残ってる。胸の上に置かれた俺の手の上にエリザベスの手があり今度は握り返せた。
「酷い目に遭った。でも君の顔を再び見られてほんと良かったよ」
泣いた跡があるエリザベスの頬に手を当てると、その手を両手で包み込むように掴んでくれた。やっと想いを口にできる幸せ。エリザベスに触れられる喜び。増していく幸福感で俺は泣きそうになった。
「すまなかったな。我とそなたはあまりにも相性が良すぎたようだ」
……誰だ? 聞き覚えのない声だけど……。
「魂にも身体にも馴染み過ぎて、再生のために離れようとすると一つのモノを二つに引き裂くような行為になってしまったのだ。もちろん我も痛かったぞ?」
「……ヴェイグなのか?」
俺が憑坐となった日聞いた重厚感ある声とはまったく違う。言葉使いは偉そうなのに、その声はまるで幼い子のようだ。
「ああ、十年ぶりだな、リカルド」
エリザベスの腰の辺りから、ニュウっと竜のトカゲ顔が現れる。
「……小さくなったな」
「ふん! 再生したばかりででかい方がおかしいだろう」
俺に掛けられた毛布に爪のある手を引っかけてよじ登ろうとする。その様子を見たセキヒが近づいてきてヴェイグの身体を俺の上に乗せた。俺はヴェイグの漆黒の身体にそっと触れて微笑んだ。
「まあいいや。これで約束は果たせたんだな?」
「ああ、リカルド。そなたには感謝している」
「俺もだよ。魔力喰いの制御方法や創石の力を発現させてくれただけでなく、セキヒとソウヒをそばに置いてくれてさ。おかげで生きてこられたよ」
「これからは我もそばに居る。頼みもあるからだが、そなたはもう自分自身と同様にしか感じられぬからな」
「まあ一つだったんだし仕方ないか。ふう。まだだいぶ疲れているみたいだ。少し眠るよ」
ヴェイグに答えたあとエリザベスに視線を向けると彼女は頷いて「次に起きたら何か口に入れた方が良いですよ?」と優しく諭してきた。
「ああ、そうするよ。エリザベスの作るスープが飲みたいな。野菜を煮込んで煮込んで形も無くなるほど煮込んだスープが飲みたい。あれは格別に美味しかったんだ」
「判りましたわ。ソウヒに手伝って貰ってこれから作ります」
「お願いだよ」
俺の頬に唇を当ておやすみなさいと言うエリザベスの声を最後に眠りについた。今回は痛みも無く、ただ安らかに深く眠りに落ちていった。……これも幸せなことだな。
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起きたら我が家はいつもとは違う空気で満たされていた。
竜族の内で人化できる者達が真龍ヴェイグの再生を祝いに訪れていたのだ。いつもは静かな我が家が明るい声で賑やかでまるで別の家に居るような気分になった。
主役のヴェイグはというと子犬ほどの大きさで、エリザベスの膝の上に乗っていた。そのヴェイグの前の床に竜族が皆座って談笑している。セキヒとソウヒは時折エリザベスと話しては飲み物や軽食をエリザベスの侍女達と一緒に運んでいる。
「おお! リカルド殿だ。お目覚めになられたか。我等の主ヴェイグ様が再生を成し遂げられたのは貴方のおかげだと聞いている。ここに居る者も人化できずにここに来られなかった者も皆、貴方には深く感謝している。我等の力が必要な時は何なりと命じて欲しい。セキヒやソウヒだけに恩を返させるわけにはいかぬからな」
海の中のような深緑色の髪とエメラルドのような澄んだ瞳を持つ女性が、俺を見つけると立ち上がって一礼する。
「この者はスイシといって水竜です。先ほどヴェイグ様がエリザベス様のお付きにと選ばれました」
「ん? エリザベスのお付きに?」
「はい。私がこの家の状況を伝えましたところ、リカルド様がお出かけになるとエリザベス様をお守りする者が居なくなるのはいかんと仰られまして」
セキヒは説明を終えると、再び台所の方へ向かう。俺とセキヒの話を聞いていたスイシは「これから宜しくお願いいたします」とニッコリと笑みを見せた。
なるほど。我が家を取り仕切る役目はソウヒが中心になっている。ソウヒはその他にもリンクス達の戦闘訓練や我が家の食材調達もしていてなかなか忙しい。セキヒは外出時は俺の護衛を務めてくれているし、俺が家に居るときはソウヒを手伝って雑事をこなしてくれている。
言われれば確かに、俺が外出するとエリザベスを守る者が居ない。彼女が家に居るならソウヒも居るし近隣にはリンクスも居るから安全だ。魔獣は近づけない。でも用事でダークエルフの集落へ行く時などは、今まで俺が必ず付き添ってきた。つまりセキヒも一緒だった。もし俺が外出中にエリザベスも出かけるとなると確かに不安だな。
俺達が暮らしているのは大勢の魔獣が棲むリガータの森なのだから、安全には充分気をつけなければならない。それに森の外には先日のシルコウのような奴も居る。俺が渡した魔石を身につけているからそう簡単には彼女を傷つけられないだろう。だけど、敵を排除できない。エリザベスには戦う力はないし、俺は彼女に誰かを傷つけるような行為は避けさせたい。攻撃に使える魔石は渡せるけれど、使って欲しくないんだ。
両手でスイシの手をしっかりと握る。
「エリザベスのことくれぐれも頼むよ」
「お任せ下さい!」
「あまり張り切るなよ! やり過ぎには注意だからな」
ソウヒがスイシに声をかける。
「判ってる! リカルド様、エリザベス様、何よりヴェイグ様にご迷惑をかけられんからな」
拗ねたような表情でスイシはソウヒに言い返す。
「スイシはやる気がありすぎて、周囲が注意して見ておかないと暴走しちゃうんですよ」
「え? 大丈夫なの?」
竜族の暴走は困る。被害がどれほどの規模になるかセキヒ達と付き合いが長い俺でも想像できない。不安げな俺を感じたソウヒはスイシに一歩近づき強い口調で話しかける。
「スイシ、何事もエリザベス様のご意志を確認してから動くんだぞ」
「判ってるって! そう心配するな。クソ真面目なセキヒはともかく、ソウヒ、大雑把なおまえにの務まる役目だ。私もしっかり勤め上げてみせる」
「わ、私が大雑把だと!」
ソウヒとスイシが低レベルな口喧嘩が始まるかと思ったその時幼い声があがった。
「うるさいぞ!」
エリザベスの膝の上からヴェイグが一喝する。ソウヒとスイシは「申し訳ございません」とすぐさま跪く。
子犬ほどの大きさしかない小竜なのにソウヒ達へ向けられてる圧が凄まじい。セキヒ達が怒った時とは比較にならない強さを感じる。この圧だけでもヴェイグの持つ力が竜族のはるか上にあるというのが判る。
……やはり真龍ってのはとんでもない存在なんだな。
「スイシよ。我の憑坐であるリカルドの伴侶エリザベスが傷つくことなど決して許さん。判っておるな」
「はっ!」
「ソウヒよ。これまでご苦労であった。そしてこれからも頼むぞ」
「ご命令のままに」
神妙な面持ちの二人。一分の隙もなく二人の覚悟が感じられる。
まあこの分ならスイシにエリザベスの身の回りを任せても大丈夫そうだ。ソウヒは今まで通りで何も不満はないし。
「で、ヴェイグはこれからどうするんだ? 元の洞窟に戻って暮らすのか?」
「我はここに残りたく思う。そなたに頼みもあることだしな」
「そういやそんなことを言ってたな。頼みってなんだい?」
「我から溢れ出る魔力を抑える魔石を創って欲しいのだ」
なるほど。俺の魔力喰いの力に目をつけ、再生の準備が整うまで龍核を俺と同化させた理由を何とかして欲しいということか。それなら既に瘴気クリーナーがある。
「俺は瘴気クリーナーという能石を創ったんだ。リガータの森を覆う瘴気の正体は土属性因子を多く含んだ魔力だ。同じように、闇属性因子を多く含んだヴェイグの魔力を処理すれば、いくら魔力をあふれ出しても無害になるよ」
「うむ。そのことはエリザベスが身につけている装飾具にはめ込まれているから理解している。今もその能石のおかげで我から放たれる魔力が無害化されているからな。だが、これでは長くは保たぬ。成龍となった際に放たれる魔力量は今とは比べものにならぬ。せいぜい千年がいいところだろう。我が次に再生の時を迎えるのは数万年後だ。次の再生時にそなたのような者が存在しなければ、魔法抵抗力の弱い龍核となった時に自身の魔力で消えてしまうだろう。それを防ぎたいのだ」
「そうか」
「そなたが生きている間に何とか我の願いを叶えてもらいたい」
「簡単にできるとは言えないけれど、全力を尽くすよ」
ヴェイグに手を差し出すと「頼む」と小さな爪のある手を乗せてきた。
ヴェイグの話を聞いている内に瘴気クリーナーの改善で何とかなると考えていた。おおまかなプランも浮かんでいる。あとは俺のプランを実現できる術式があればいい。今はまだ本格的に取りかかれる時間がないけれど、今持ってる仕事を片づけたらヴェイグ専用魔石の創石に集中しよう。
ヴェイグが永遠に再生し続けられるよう気持ちを込めて創ろう。
俺から魔力喰いの呪縛を解いてくれたように、闇属性魔力を無限に放ち続けてしまう魔力の泉と呼ばれる呪縛から解き放ってあげよう。
俺に創石という力を発現させてくれたように、再生への希望を与えてあげよう。
……だって俺は真龍の憑坐なのだから。




