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想い

「どうすると言われましても……」


 ヴィアーナ様がこれまでにない厳しい視線を向けてきました。

 何を訊かれているかは判っています。リカルド様と身近なところで絆を深めていき伴侶に選んでいただこうとしてきました。ですが、今回のことでリカルド様達と貴族の間に影が落ち、ドゥラーク領とアレーゼ領にもその影が近寄ってくるだろうと。私にはじっくりと進める時間の余裕はなくなりました。

 だからどうするのだと訊いていらっしゃるのです。


 ですが、どうしたらいいのでしょう?

 

 確かに、領主のヴィアーナ様には私のように身近で絆を深めるような真似はできません。私のように土地に縛られるような立場を持たない領主の次女だからできたことです。そしてリカルド様のお側で誠意を尽くして接しつつ、お気持ちを向けていただこうと努めてきました。


 リカルド様には私を避けるような素振りはありませんし、好意を寄せて下さっているような表情も見せて下さることも何度かありました。本から目を離し優しげな温かい視線を向けて下さっていることもしばしばあります。好意をもって下さってる確信はあるのです。


 でも、その好意は愛情なのでしょうか?

 それともアドリアさんやリンクスの皆様へと同じ友情のような感情なのでしょうか?

 私には判りません。だからどうしてもあと一歩踏み込む勇気を持てないでいるのです。


 私だけのことでしたらここまで悩まないのです。伴侶になれなくても仲の良い友人でいさえすれば良いのです。リカルド様は友人の頼みであれば余程のことがない限り手を貸して下さる御方です。でも、貴族でもなく、領民でもないリカルド様がドゥラーク領に手を貸すなら周囲を納得させられる名分(めいぶん)が必要になるわ。婚姻による血縁関係を貴族は重要視する。だから政略結婚を繰り返して縁を深め広げる。


 リカルド様は貴族を恨んではいらっしゃらないようだけど、けっして好んではいらっしゃらない。

 貴族社会では当たり前のマナーをリンクスの皆様へ一通りお伝えし終えた際、リカルド様は皆の前で仰った。


「魔獣討伐の依頼を受けるときや、商売の話をするときに貴族を会うこともこれからはあるだろう。もしかすると食事を一緒にとる機会もあるかもしれない。だからエリザベスが教えてくれたことはしっかり覚えて身につけておくと良い。でもな? 仲間内ではまったく気にする必要はない。誰かと一緒に食事を取るときには、口に食べ物が入ってる状態では話さないとか、挨拶されたらきちんと挨拶を返すとか、マナーなんてものは相手を不快にさせないように気をつける程度でいいんだからな」


 そう仰ったときのリカルド様からは貴族社会への忌避感のような空気を感じました。対等の人間として敬意を払うけれど、貴族だからと特別視するつもりはない。貴族社会の流儀も貴族と付き合う上で最低限の礼としては従うけれど、その場しのぎ以上の意味などない。そう仰っているように感じた。家と家の打算で行なわれる政略結婚についても別に非難するつもりはないのでしょう。だけど、そのような結婚を良しとしているかは判らない。


 だから私を伴侶にするとどうしてもつきまとってしまう貴族社会との繋がりをリカルド様が避けたいのだとすれば、多少好意を持って下さっていても結婚して下さらないのではないかしら? そう思えてしまうの。


 でも時間をかけて愛情を持っていただく余裕は無くなってしまった。

 貴族や領民を納得させられる大義名分もなしにドゥラーク領に肩入れしたなら、リカルド様の本心を疑われるでしょう。私との友誼があるからと言っても、リカルド様を対等の相手とは見ていない貴族は絶対に信用しない。


 余程のきっかけや長年付き合いがある貴族同士ならばともかく、短い期間で築かれた友誼を持った貴族以外の相手など何かしらの利用価値があるからだろうという目で見られるだけです。私の側から見れば一面では事実です。近づいた当初はリカルド様の力を利用したいためだったのは隠しようがありません。今でもその側面があるのも事実です。


 貴族の娘として貴族社会で生まれ育ってきた私が貴族的な考え方と完全に離れて生きるのはまだ難しい。結婚もそう。家や領地の利益と切り離しては考えられない。だから打算を抱えてしまうのは諦めるしかないのでしょう。


 ですが、今は違うのです。リカルド様にも幸せになっていただかないと嫌なのです。私なら幸せにできるとは言えませんけれど、幸せにしてさしあげたいと強く思っているのも本当のことなのです。


 ……どうしたらいいのかしら?


「エリザベスを追い詰めるつもりはなかったの。ごめんなさいね」


 長く考え込んでしまっていた私にヴィアーナ様が声をかけて下さいました。


「エリザベス嬢にだけ責任を負わせるつもりはない。私もそろそろ覚悟を決めて動くさ」


 私とヴィアーナ様の二人に笑みを見せてイアン様が玄関へ向かいました。


「どちらへ?」

「リカルド殿と話してくる」


 後ろ手を振ってイアン様は玄関の外へ出て行かれました。


「……私も明日には領地へ戻ってこれからの準備をしなくちゃいけないわね」


 お二人とも強い心をお持ちのようです。私も持っていると思っていたのですけれど、やはり領地を治めるために日々動いてきた方々とは違います。


 ――強くありたいのに何故私は……。


 ヴィアーナ様に気づかれないよう小さく溜め息をつくだけの自分が嫌になりそうです。


◇◇◇


 夕食後、エリザベスの家へ向かった。

 日中にイアンから言われた言葉が胸に突き刺さって、彼女ときちんとケジメをつけなければいけない気がしている。


「こうなることは判っていたでしょう? なのにエリザベス嬢をそばに住まわせたまま何もしないのは無責任じゃないでしょうか?」


 イアンは突き放すように言いやがった。あの訳知り顔が今も目に浮かんで癪に障る。


 ああ、貴族と戦えばエリザベスの立場が苦しくなるのは判っていた。たまに訪問するヴィアーナとは立場が違う。俺とリンクスの力が必要だからエリザベスはここに来た。それは最初から判っている。だから「依頼されれば条件次第で手を貸す」と言って、身近に住むのはきっぱり断れば良かったんだ。


 だけど俺は嬉しかったんだ。貴族社会からも人間社会からも追い出された俺の身近で暮らしてくれる貴族が居るのが嬉しかったんだ。俺のそばで暮らしたいと言ってくれたエリザベスの言葉がヴィアーナからの結婚の申し出より嬉しかった。


 今なら判る。俺は寂しかったんだ。


 もちろんセキヒ達やブルーノ親方やアドリアのおかげでこの十年楽しく暮らしてきた。その楽しさのおかげで追い出された悲しみも寂しさも癒えた。それでも心の奥底には残っていたんだな。


 愚痴を言うこともなく、もちろん責めることもなく、今日も微笑んでいた。そんなエリザベスを俺の感情のせいで辛い立場に置いてしまった。


 ……俺は卑怯者にだけにはならない!


 我が家の裏手にあるエリザベスの家には当たり前だけどすぐ到着する。花の装飾がついた銀のドアノッカーを二度叩き、玄関が開くのを待つ。すぐに侍女が出てきてこちらでお待ち下さいと居間へ通された。


 香木の香りがうっすらとする椅子に座りエリザベスを待つ。

 エリザベスが来たら何から話そうか、いや、謝るのが最初だろう。そんなことを考えていると、薄い紫色のナイトガウンを羽織ったエリザベスが来た。


「あ、もう寝るところだったんだね。すまない。明日出直してくる」


 椅子から立ち上がると、エリザベスはいつものように優しい笑みを浮かべ温かい声で「リカルド様ならばいつでもお通しするよう侍女には伝えてあるのです」と再び座るよう手でゆったりと促す。


 ああそうか。侍女ならエリザベスの状況はいつでも把握している。それでも居間へ通してくれたということは、これもエリザベスの意思なんだろう。


 事前に約束していない夜分の訪問が失礼なのは変らない。だけど彼女の言葉に俺は少しホッとした。


「それでどうなさったのでしょうか?」

「あ、ああ、実はエリザベスに伝えなければならないことがあって……」


 そう言い出してエリザベスを見ると、何か心の全てを見通していそうな深く青い瞳が穏やかに向けられている。唾をゴクリと飲み込んで、俺はまず貴族と戦えばエリザベスの立場がどうなるか判っていたこと、そしてその後何もしていない俺自身の無責任さを謝る。


「私は自分の意思でここに参りましたし、ここに住んでいるのも同じく私の意思です。そのことにリカルド様が謝ることなど何もございませんわ」

「いや、だけど、人と人が接する中で片方だけに責任があるなんてことはない。俺はエリザベスが住むことを受け入れた。受け入れた以上責任がないとは言えない。だから申し訳ないともう一度言わせて貰いたい」


 そして、俺なりに出した結論を言わなければならないんだが、どう言ったらいいのか判らない。


「俺は魔力喰いで、あ、今は制御できるから周囲に迷惑をかけずに生活できるけれど、でも魔法を自力で使えないのは同じで……」

「貴族に戻るつもりも人間社会へ戻るつもりもなくて……」


 黙って聞いてくれるエリザベスに、言い訳のように俺の都合を話した。

 俺の中に居るヴェイグとセキヒ達、そしてブルーノ親方とアドリアしか知らない俺の秘密を話し始める。


「実は俺の中では、真龍ヴェイグが再生に向けて成長している。つまり俺は真龍ヴェイグの憑坐(よりまし)という奴なんだ」


 これまで穏やかだったエリザベスの表情が少しだけ強ばった。

 そうだよな。竜は人から恐れられている。そんな竜が体内に居るなんて聞いたら怖くなるのは当たり前だ。


「真竜ヴェイグの憑坐となったおかげで、魔力喰いを制御できるようになったし、創石の力を手に入れたんだ」

「……そんなことが……」

「俺にはまだ秘密があるんだ」

「え?」

「エリザベスなら他人に話さないと信じてる。俺には前世の記憶があるんだ。この世界とは別の世界で生まれて生き、そして死んだ記憶があるんだ」

「……別の世界? 前世?」

「信じられないだろうけど本当のことなんだ」


 更に強ばったエリザベスを見て、そりゃそうだよなと溜め息を一つつく。前世で同じ事を誰かに言われたら、小説やコミックの読み過ぎかアニメの見過ぎだと俺も思っただろうからな。


 とにかく俺に関する洗いざらいを全て話し続けた。


「……近くに住むと言ってくれたエリザベスの言葉がとにかく嬉しかった。俺を追い出した貴族、人間の中に俺を受け入れてくれる人が現れたって嬉しかったんだ。だから貴女を突き放すべきだったのにできずにいた。そのことを謝らせて欲しい。エリザベスを傷つけるつもりなんてこれっぽっちもなかったんだけど、少し考えれば今のように辛い立場になるなんて判っていたんだ。なのに俺は……自分の感情を優先して貴女に苦労をかけてしまっている」

「……あの……それはもうここに住んでいてはいけないと仰ってるのですか?」


 とても不安そうな瞳が向けられている。

 ああ、俺はどうしてこうなんだ。自分の都合ばかり話して、彼女がどう受け止めるかなんて頭から消えていた。


「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ」

「ではどういう……」

「つまり、その、これまで話してきたように他人と大きく違うからこんなことをエリザベスに言うのは間違っている気がしているんだけど、それでもきちんと自分自身の気持ちにケジメをつけなきゃいけない」

「ケジメ、ですか?」

「そう。俺が前に進んで生きていけるように、そして貴女が俺のことなど後腐れなく生きていけるようケジメが必要だと思ってるんだ」

「あの? 仰ることがよく理解できないのですが……」

「そりゃそうだ。用件をまだ伝えていないもんな。あ、断られたとしてもドゥラーク領からの依頼は受けるし、ここから出てどこかへ行けなんてことは言わない。それは約束するし、これまで通りに接するよう努力する」

「ええと……」

「あ、ちゃんと言うよ。覚悟は決めてきたんだ。これまで散々傷ついてきたんだ。傷が一つ増えたからってなんてことない。ああ、なんてことないさ」

「……」

「エリザベス」

「はい」

「結婚……結婚して欲しいんだ」


 俺は言うだけ言って彼女の瞳を見据えた。

 

 ……こんな風に正面から瞳を見られるのは最後かもな。断られたあとまで、彼女への気持ちを現わして見つめるなんて、自分の気持ちを押しつけるようなキモい輩のすることだろう。俺はそんな男にはなりたくない。


「お申し出、喜んでお受けします」

「うん、それでいいんだ。こんなおかしな男となんて……、え? 今なんて?」


 お断りしますと返ってくるとばかり思い込んでいた。創石の力が欲しくても、転生者だの真龍の憑坐だのと怪しい事情盛りだくさんなことを知ればまともな神経の持ち主なら結婚相手としては嫌がるだろう。どのみち魔獣討伐の依頼は受けるんだしな。

 だからエリザベスの口から出た言葉が現実には思えなかった。


「リカルド様とこれから共に歩いていきますわ」

「……エリザベス。俺を騙してない? いや、貴女はそんなことしないな。じゃあ、実家から何があっても結婚しろとか言われてない? もしそうなら……」

「お父様からは何も言われてませんわ。私の望むままにして良いとしか言われてません」

「じゃあ、じゃあ、本当に?」

「はい」


 たたみかけるような問いに、コクリと彼女は頷いてくれた。


「ああ、嬉しい、嬉しいよ。ありがとう、本当にありがとう」


 情け無いけれど涙が溢れてきた。

 俺はこんなにも人恋しくてエリザベスに受け入れて欲しくてたまらなかったんだな。


 扉の外に侍女の姿が目に入った。

 おかげでエリザベスに抱きつかなくて済んだけれど、ちょっと残念だった。

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