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人間一回目のタキ先生と雪の国  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
第一章 女装の王子様

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遅く起きた朝のパンとコーヒー、蜂蜜とバター

 焼きたてパンの、ものすごーくいい匂いがする。

 絶対、ふわふわのほかほかで湯気が立つような竈出したてだ。

 それでいてこの濃密な小麦の香り高さは皮がバリッバリに固いやつ……バリ固でふわふわ……。


 自分のこれまでの貧しい食生活から、ありったけのパンとの出会いを思い出して「美味しそう」という結論に達したところで。

 サトリはがばっと跳ね起きた。

 毛布に乗り上げていた巨大猫のトニさんが、ごろんと絨毯の上に転がる。


 窓の外は明るい。眩しいのはきっと雪が反射しているせいだ。

 部屋の中は暖かい。よーく燃え盛る暖炉のそばにいるせいでもある。

 ばちばちと薪の爆ぜる軽快な音。

 暖炉の前の絨毯に横たわる美少女と騎士と……。


「殿下っ。生きてますかっ」


 うつぶせで身体を投げ出しているのは、真っ白のフリルブラウスに、紺色の肩紐つきのロングスカートをまとったアキノ。少し癖のある金髪が乱れて秀麗な横顔にふわりとのっている。見とれそうなほどの精巧な美貌であったが、固く閉ざされたまぶたが気になって、思わず肩に手をかけて軽くゆすってみる。


「殿下!」

「んー……、朝?」


 猫のように大きなあくびをしながら、アキノが絨毯に手をついて上半身を起こした。

 全体的に癖のある髪を、ゆるく首の横で結んで紺色のリボンで可愛らしく飾っている。

 目を見開けば色白の顔に強い青の光が差す。


「おはよう。よく眠れた?」

 耳に心地よい、溌剌として澄んだ声。

「あの……ええと……わたしたちは一体……?」

 両膝を腕で抱え込むように座り直したアキノはふんわりと笑って言った。

「覚えてないの? 昨日一緒に寝たんだよ」

 固まってしまったサトリの表情が面白かったのだろうか。

 アキノはくすくすと笑いながら手を伸ばしてきて、サトリの顎を指で軽くつまんだ。


「そんな困った顔しないでよ。遅くまで盤遊びをしていたら、君途中で寝ちゃったんだ。それで、ここ暖かいし、みんなで寝ればもっとあったかいし。いいかなって」


(なんとなく思い出した)

 昨日は夕方からこの食堂で、パンにハムや卵を挟んだものをつまみつつ、たっぷりのお茶を飲みながらみんなで遊戯盤で戦ったのだった。

 サトリはもちろんルールを知らなかったので、最初はアキノが後ろについて指示をしてくれていた。相手はシュリ。段々戦略を理解して、面白くなったところで。

 対戦者がタキに代わった。

 それはそれは甘さも容赦も一切なく、何度挑んでも手酷く追い詰められた。「そこまで……?」と干からびた声で言うと「サトリ殿下は戦争を何と心得ていますか。慈悲などありません」とさらに(いじ)め抜かれた。

 決して恵まれた生まれ育ちではないけれど、あんな年上の男性にとことん(さいな)まれたのは初めての経験だった。

 少し休もうかとアキノに声をかけられて、トニさんを膝に抱えたままアキノとシュリの一戦を涙目でぼんやり眺めているうちに……寝たかもしれない。

 

 アキノに借りた王子様服はあちこち皺が出来ているし、そもそも暖炉の前の絨毯にみんなで雑魚寝なんておそろしく退廃的で不道徳で堕落していると思うのだけど。

 こんな身分の高いひとがしていいことではないような……。


 サトリの物言いたげな視線を気にした様子もなく、アキノは腕を高くつき上げるように伸ばし、首をまわして軽く身体をほぐしてから立ち上がった。

「あー良い匂い。朝ご飯にしよう」

 歩き出したアキノの背を見て、サトリも慌てて立ち上がると、毛布を手早く畳む。


 食堂のテーブルの上には、想像した通りのバリ固ふわふわパンがバスケットに積まれて置いてあった。

 その隣には湯気を立てている黄金色のオムレツ。

 音がしたので顔を上げると、タキがポットを持って食堂に入ってきたところだった。

 嗅いだことのない、ほろ苦くて官能的な香りが暖かな空気に交じって届いた。


「そこのが。飲めないかと思ってミルクと蜂蜜で割ってある。眠気覚ましにはならんかもしれないが、水分だと思ってたくさん飲むといい」

 タキはそういうと、昨日も見た厚手の銀のゴブレットになみなみと白みがかった茶褐色の液体を注いだ。

「はい。サトリ殿下」

 そのまま飲むかに見えたアキノが、サトリに手ずから渡してくる。

「アキノ様が……」

「いいのいいの。今は身分制の中で生きている身なんだよ、君。人より優先される感覚を早く身に着けて。僕の代わりが務まるようにね」

 片目を瞑って微笑まれて、サトリはおとなしくゴブレットを受け取った。

「これも仕事なんですね」

「そうそう。飲んじゃって」

「わかりました」


 一口。ほろ苦くて、甘い。


「なんだろう。なんだかよくわからない」

 サトリは正直なところを言った。

 黙ってやりとりを見守っていたタキが、ぼそりと呟きをもらした。

「なんだかよくわからないものを簡単に口にいれるようでは、この先簡単に毒殺されるぞ。俺なら秒で殺せる」

 なんだかよくわからないけど、怖いことを言い出した……。


 サトリの背後にまわって、両肩に両手を置いたアキノが溜息まじりに言った。

「コーヒーだよ。本当は苦い飲み物なんだけど、君のために先生が甘くしたんだって。何が秒で殺せる、だよ。今日の先生ちょっと面白いね」

 くすり、と最後には笑いを添えて。


 おそらく、アキノはタキをからかったのだろう。だが、タキはにこりともせず、恐ろしく厳しい顔をしただけで「朝ご飯できてるぞ」と言った。

 アキノも心得ていたようで、角の席の椅子をひくとサトリに座るように促す。


「さて、食べようか。今日はこの後少し忙しい。だけどまずは腹ごしらえだね。朝ご飯は大事だよ」

 さっとバスケットに手を伸ばしてパンを手に取り、横に置いてあった陶器の壺に銀のナイフを差し入れる。たっぷりとバターを塗ってからサトリに差し出してきた。

 お皿に置くといった過程は省かれている。この館の住人たちは作法をあまり気にしないのかもしれない。

 サトリは畏れ多くも王子に給仕をされることに困惑しつつも、受け取った。

 まだ温かい、美味しそうなパン。


 食べるまでは納得しないのだろう。

 アキノとタキの視線を感じて、思いっきりかぶりつくことにする。

「いただきます」


 暖炉の前では、大きな図体をしたシュリとトニさんが寄り添って気持ちよさそうに寝ていた。

 

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