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人間一回目のタキ先生と雪の国  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
番外編

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マイ・スイート~絵描きの青年と、素顔の貴公子~

★作中に出てこなかった、美術室の主・イズミの友人ジンのエピソードです。

 扉を開けたら、爽やかな柑橘系の香りがふわりと漂った。


(来てるな。鍵かけて出たはずだけど)


 ジンがたった今使ったばかりの鍵は、まだ手の中にある。

 侵入者は鍵を開けて部屋に入り込んで、ご丁寧に中から施錠をしたらしい。

 窓際に置かれた机と椅子の背に、無造作にジャケットがかけられている。

 本人は寝台の上ですやすやと寝ていた。

 熟睡するつもりはなかったのか、黒の革靴を履いたまま、上半身だけ横たえている。


 ジンは大きな物音を立てぬよう部屋を横切り、椅子をひいて座る。寄りかかると、ジャケットに皺を作ってしまいそうなので、背はすっと伸ばしたまま。

 引き出しを引いて鍵を放り込んで閉めてから、机上の端に積んでいた本の一冊を取り上げる。ぱらぱらと開いて、読み止しのページを探して読み始めた。

 すう、すうと聞こえていた寝息もすぐに気にならなくなり、本に集中する。

 やがて、ほんの少し窓からの光が弱まった頃、ふっと息を吐き出して本を閉じた。栞は挟まない。積みの上に戻して、軽く腕を伸ばす。

 そういえば部屋に人がいたのだったとようやく思い出して、寝台を振り返った。


 侵入者もまた、いつの間にか目を覚ましており、寝台に腰かけた姿勢で本を読んでいた。本はジンのものではないので、持参していたに違いない。


「もうすぐ暗くなるぞ。灯りつけるか」


 ジンが声をかけると、彼は優美な指先でページを繰り、目を向けてくることもなく答えた。


「きりがいいところまできた」


 ぱたん、と本を閉じて寝台に置く。

 そこではじめて、強い光を湛えた翠眼をジンに向けた。

 きめ細やかな絹糸のような白金色の髪といい、白磁の肌といい、存在そのものが発光体のような青年だ。


「鍵破りを習得したのか?」


 ジンが尋ねると、立ち上がって大股に歩み寄り、かがんで自分のジャケットに手を伸ばす。ポケットから取り出したのは、見覚えのある形状の鍵だった。


「合鍵?」


 侵入者はフン、とふてぶてしく笑った。


「ジンがいないときに部屋に入れないのは、不便だからな」

「俺がいないときに俺の部屋に入れないのは普通だよな?」

「空間の有効利用だ。その椅子も、寝台も、空いていたんだ。使いたい人間が使った方がいい」

「自分の部屋があるよな。わざわざこんな狭い部屋に来なくても」

「狭いのがいいんだ」


 腕をさっと伸ばし、きらきらとよく輝く瞳でさほど高くない天井を見上げる。

 過剰な仕草に添って、爽やかな香りが揺れた。


「まったく。王子様の気まぐれも大概にして欲しいぜ」


 ジンがぼやくと、生真面目そうな声で訂正が入る。


「王子ではない。この国での王子はアキノただ一人だ」


 アキノ。敬称略でその名を口にする彼は、王子その人に近しい立場にあり、幼馴染の間柄であるからと周囲にも黙認されているらしい。


「あのな、マイ・スイート? 俺の部屋に通って合鍵まで作って。あんまり積極的だと俺も出方を考えるぞ、イズミ」

「何それ、興味ある」


 ジンは小首を傾げ、少しだけ考える仕草をした。


「そうだな……、鍵を変えた上で二重にして、お前程度の器用さじゃ絶対に太刀打ちできない仕掛けにするかな」

「それは意地悪というものだ」


 笑い声をたてたジンを見下ろして、わざとらしいまでに深い溜息をついてから、イズミは肩をすくめた。

 その呆れた顔を見ながら、ジンは立ち上がるとジャケットを手にしてイズミに差し出した。


「暗くなる前に美術室に。描きかけの絵に手を入れたい」


 * * *


「実際、不器用なくせによく合鍵なんか用意できたな。どこに手を回したのか」

「私が不器用なのは指先だけだ」


 イズミはお茶の入ったカップを手に、椅子の背もたれに背を思い切り預けてジンを見た。

 ジンは、やや離れた位置に座り、キャンバスに向かっている。時々絵筆をキャンバスにあてて、少し顔を離し、目を細めて眺めている。


 毛量多めの黒髪に、いかにも粗削りで男っぽい顎に無精ひげを残した横顔。器用さを自認するジンだけに、あのまばらなひげは計算して残しているに違いない。

 とはいえ、普段から大きな声を出したりすることはなく、見た目の野性味を加味しても粗野な印象はない。それでも妙に存在感があるのは、ずば抜けて背が高く体格に恵まれているせいだ。

 

「もし私にもジンのように絵を描く能力があったら、人体を解剖したときに正確無比な記録を残すことも可能だっただろう。医学の発展に大いに寄与できたと思うね」

「その前に、解剖する指の動きが、だな」


 ジンは、ふっと息を吐いて悪戯っぽい視線をイズミに投げる。

 それを受けて、イズミはカップの中のお茶を飲み干してから顔を向けた。


「君と比べたら世の中のだいたいが不器用だよ。ジンは、結局進路はどうするんだ」

「絵描きに……、と言うと思ったか。医学系志望だよ。今まさにお前が言った理由で、俺はそこが一番合っていそうだ」

「勉強しながら絵を描く趣味を頑として守り抜いているんだ。この先、働きながら絵を描き続けることも、ジンならできるだろう」

「そういうことだな。絵描きになってパトロンを探すよりも、俺が稼いで俺自身のパトロンになる。忙し過ぎるのだけは勘弁だ」


 笑いながら、絵筆をキャンバスにのせた。

 窓からの光が、黄昏の色に染まっている。


「引く手あまたの貴公子殿は決めたのか」


 水を向けられて、イズミは小さく吐息した。


「ジンが医学部で一番を取ってくれるらしいから、そちらはジンに任せよう」


 愁いを含む声に、ジンが顔を上げる。

 イズミは微笑を浮かべた。


「外交方面に進むつもりだ。大学は語学や政治経済を中心に学ぶかな」

「片手間や独学じゃ足りないという判断か」

「数年前にこの学校にいた、馬鹿みたいなオールラウンダーな天才とは違うからね」

「タキ先生か。今は隠居なんだっけ」


 イズミはひくりと頬をひきつらせ、「どうせ隠居の身なら完全に山小屋で一人暮らしでもしてればいいのに」と陰々滅々とした声で呟いたが、ジンが口を開こうとしたタイミングで首を振った。その話題は続けたくないという意思表示。


「少し意外だ。お前は自分の生まれや立場とは無縁の立ち位置に憧れを抱いているように見えた」


 絵筆を動かしながら、目を細める。

 この場の薄暗さのせいだろう。互いの顔さえどうかすると見えにくい。

 イズミがひそやかな声で告げた。


「妻に迎えたい女性がいる。この先、外交上難しい立ち位置になるかもしれない。そのとき、前線に立ちたい」


 絵筆を動かす微かな音が続き、間を置いてジンが「なるほど」と言った。


「十分な理由だ。もしお前が外交(そこ)に立たなければ、それこそあの先生にお呼びがかかるかもしれない」

「無い。それは無い。私がいればいい。周りを納得させてみせる」

「先生に何か恨みでも?」


 尋ねつつ、ジンは絵筆を下げて、目を閉ざした。

 眉間をぐっと指で摘まむようにして揉む。


「目が疲れたんだろう。この暗さのせいだ」


 イズミは立ち上がってランプの置き場に向かい、手早く火を燈した。

 ほのかな明るさが生まれた。


「夕食の時間だな。もう自分の寮に戻れ」


 立ち上がったジンが声をかけるも、イズミは灯りを持ったままジンのもとへと近づく。


「絵を見ても良いかな」

「べつに面白いものは描いていない」


 横に並ぶと、長身のイズミよりもさらにジンの方が上背がある。

 目線を上に向けて、イズミは苦笑した。


「そんなにでかくて手も大きいくせに、どうしてそう器用なのかな」

「さて、どうしてだろうな。俺は行くぞ」


 すっと横切って歩き出した広い背に向かい、イズミがぼそりと言った。


「『行かないで、私の愛しい方(マイ・スイート)』」

「学校祭の続きか? 俺がヒーローで、お前が」

「そうだな。演劇イベントで恋人たちの悲劇が演目に決まったはいいが、女装しても映える私がヒロインに抜擢され、体格差で男役が映えるジンがヒーローに。おかげで今でも私たちは『学校公認』の恋人同士だ」


 振り返ったジンは、口の端に苦笑を浮かべている。


「さすがに噂の『女装王子』の血縁だけあって、お前は見事な女装だった」

「アキノはもう女装はしない。私たちと入れ替わりのタイミングでこの学校に入学する。私が女装した件は全員に口留めしてから卒業しないとな」


 しずかながら力のこもった声で決意を口にするイズミを見下ろし、ジンがそっけなく言った。


「全員は無理だ。なんで隠す?」

「私の愛しい方に、私が演じるならヒーロー役しかあり得ないだろう、という勘違いをさせているからね。そのイメージを壊したくない」


 無駄なことを、と言いたげなジンの視線から逃れるようにイズミはつんとそっぽを向く。


「火の不始末は気を付けろよ」

「私ももう行く」


 一緒に部屋を出ると、ジンがすぐに施錠した。


「それじゃ、また明日。お前の『妻に迎えたい女性』についてはまた今度聞かせてもらおう」

「実は具体的な話は何もない」

「そんなに攻めあぐねているのか? お前が?」


 驚いた様子で聞き返されて、イズミは真顔になった。


「本気なんだ。からかわないでくれ」


 ジンは「わかった」と請け負う。

 そのまま、さっと片手を上げる。

 イズミも片手を上げて別れの挨拶とし、同時に背を向けた。


 描きかけの絵を見そびれた、とイズミが気付いたのは少し歩いてからのことだった。

 また今度会ったときに見せてもらおう。 

 そう決めていたのに、なぜかさっさと片づけられてしまったその絵をイズミが目にするのはこれより数年後のこととなる。


 学生時代ともに語らった二人の運命がいつしかすれ違い、再び交わるその日まで。

 


 

★二人は学業では良きライバル、演劇ではヒーロー(ジン)・ヒロイン(イズミ)を演じた間柄で「公認カップル」などと寄宿学校内では呼ばれていますが、イズミはアキノが入学してくる前にその噂を徹底的に消し去ろうとしています。


★この作品に続編を書くとしたら、「タキ先生が寄宿学校の先生として赴任し、アキノが入学……のはずが不測の事態でアキノの代打で男装したサトリがしばらく学生をすることになります。学校編です」と言い続けているのですがなかなか書く機会がありません……! いつかそのうち!!


★ブクマ・★・イイネなど頂けると励みになります(๑•̀ㅂ•́)و✧


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i545765
― 新着の感想 ―
[一言] 女装男子からしか得られない栄養がある( ˘ω˘ )
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