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人間一回目のタキ先生と雪の国  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
第五章 再会

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佳人

「こんにちは。はじめまして、イズミと申します」


 自国語で話しかけて、微笑みかけてから、イズミは涼やかな声で続けた。


「《お会いできて光栄です、姫君》」


 ストロベリーブロンドの髪に、宝石のような翠眼。きらりと輝いて、イズミを見据える。


「《噂の女装王子かと思ったけど、違うみたいね》」


 イズミは完璧な笑顔に一筋の余分な感情も浮かべずに答えた。


「《ご期待に添えず申し訳ありません。少しお話をと思いまして》」

「《いいわよ。何か面白い話でもあるならね》」


 差し出されたイズミの腕に軽く手をのせて、姫君は寄り添うように歩き出す。

 歩調を合わせ、周囲の者に笑みを振りまきながら、イズミは小声で言った。


「《王子に興味がおありですか》」

「《まだ十三歳だけど、お小さい頃から一貫して女装をしているとか。そんな話を聞いたら、会ってみたいなって思うじゃない》」

「《百聞は一見に如かずです。期待を裏切りませんよ。今この場にいる誰よりも、間違いなく彼はうつくしい》」


 見上げてきた姫君に、イズミはこの上なく甘く微笑みかけた。

 星の煌きを閉じ込めたようなイズミの瞳をじっと見据えて、姫君はにこりともせずに素早く言った。


「《イズミ、と言ったかしら。わたくしの名はエレノアよ》」


 すれ違った妙齢の男女が、一幅の絵のように並び立つ二人の姿に、ほお、とため息をこぼした。

 笑顔を振りまくこと隙のないイズミは全方位に気を配っている。

 姫君もまた、可憐な仕草でイズミに寄り添っていた。


「あなた、少し面白いわ」


 エレノアの呟きを耳にし、イズミは表情を変えずに答えた。


「やっぱり、話せるんですね。わからないふりをしている供の方々も、半分は話せるでしょう」


 自然な足運びでバルコニーを目指す二人に、周囲が道を作る。


「先程陛下と話したけど、見事なミスマル語だったわ」

「合わせないで、合わさせるのが外交だとお考えなんですか」

「《べつに。それはそうとわたくし、十数年前にこの辺で消息を絶った王家の遠縁の女性のことを調べているの。心当たりないかしら》」


 笑いながら話している男が、背を向けたまま大きく手を広げた。イズミはエレノアの肩を軽く抱き寄せる。


「《ありますね。ところでどうして今頃調べる気になったんですか》」


 バルコニーに足を踏み入れた。先客はいない。

 エレノアはイズミに近づき、小声で囁いた。


「《以前わが国に滞在していた学者が妙なことを言っていたのよ。アカツキの王妃はミスマル人だって。生死に関わる大怪我を負い、足に障害が残り、精神的に不安定な部分があってあまり公的な場に顔を出さないけれど、一番の理由は言葉じゃないかって。ミスマルの言葉で話したときは、かなりしっかりと会話ができた、と。それが本当なら、ミスマル語しか話さない使節団が来たとあらば顔を見せてくださるんじゃないかしら。かつて行方不明になった女性の兄も、今回同行しているわよ》」


 イズミは肩越しに振り返り、広間に視線を投げた。


「《その女性には、夫がいましたか》」

「《外交官で、ヨギに赴任していたの。女性は出産を控えてついていかず、産後も子どもが幼いから長旅を躊躇して離れて暮らしていたそうよ。だけど、夫が急病との連絡が入り、生まれた子どもに会わせたいと思ったみたいで旅を強行した。結局、どこかで事故にあったみたいで生死不明。夫も、彼女が到着する予定だった日より前に亡くなっている》」

「……そうだったんですね」


 常に笑みを絶やさないでいたイズミが、この時ばかりは絞り出すような声で呟いた。

 バルコニーに出てこようとした男女が、先客であるイズミとエレノアに気付いて足を止める。

 いささか親密過ぎる距離感の二人に対し、曖昧な笑みを浮かべた。

 反応の鈍いイズミを捨て置いて、エレノアが素早く二人に笑いかけた。

 大輪の花がいっせいにほころぶような、鮮やかな笑み。

 何も言わせずに追い返して、エレノアはイズミに対してぼそりと言った


「《わたくしばかり面白い話をしているのではなくて》」

「ああ……《それは失礼しました》」


 母国語ではないと感じさせないほどの完璧な発音で、イズミは慇懃に謝罪した。そして、穏やかな声で言い添えた。


「《何かお飲み物でもお持ちしましょうか》」

「必要としているのはあなたでしょう。わたくしが、可愛らしいカタコトでお願いしてきてあげてもいいわ」 


 どちらともなく身体を離して、顔を見合わせる。


「《面白い話の件ですが。最近私が面白いと思った話は、蒸気機関車の敷設計画なんですが》」

「いいわねそれ。拝聴するわ」


 水分をたっぷりと含んだ風が、ゆるりと吹いた。

 鬱蒼としげった庭へと目を向けながら、イズミはよく通る美声で宣言通り蒸気機関車の話をはじめた。


          *


 広間にさざ波のように囁き声が巻き起こった。

 バルコニーで話し込んでいた二人も敏感に察して視線を向けた。


 足の悪い王妃をエスコートして広間に姿を見せた背の高い男。

 普段は滅多に姿を見せない王妃、そしてタキ。

 タキの名前は知っていても本人を見たことがない者も多く「王妃様と?」「あれは誰?」とひそひそと言われている。


「《行きましょう。あなたが会いにきたのは王妃様だ》」

「《タキ先生にも会いたかったのよ。女性をエスコートするだなんて、あの女性嫌いはどうにかなったのかしら》」


 歩きながら、イズミは一瞬、笑みを消した。


「《エレノア殿下。あなたに王妃様の話をしたのはタキ先生ですか。》女性嫌いの件を含めて、少し先生を追及しなければなりませんね」


 王が足早に歩み寄る。

 タキは心得ていたように身を引いて王妃を王の腕へと渡した。

 エレノアが広間の従者に目配せをすると、金髪の男が王と王妃のもとへと進んだ。

 イズミの位置からはやや遠く、見えたのは横顔だけだった。


「似ているでしょう?」


 心を読んだように、エレノアが小さな声で聞いて来る。

 イズミは唾を飲み込んで一度頷いた。

 気持ちをおさえるように、落ち着かなげに視線をすべらす。

 そのとき、広間の入り口に立つ少女に気付いた。


 癖のある金髪を結い上げ、青い花を飾り真珠を編みこんでいる。

 肩から腕まで露出した純白のドレスに、同色の長手袋。ほっそりとした首には宝石を連ねた豪奢な首飾り。揃いの耳飾り。

 背筋の伸びた華奢な立ち姿。

 国王夫妻と使節団の男に注意をひかれて、まだ少女に気付いた者はいない。


「アキノ」


 呟きをもらしたイズミに、エレノアは目を向けて「王子ね?」と声をかけた。


「お許しください、席を外します」

「許すわ。行って」


 ジャケットの裾を翻して、イズミは大股に歩み寄る。

 気づいた少女が目を向けてきた。

 目が合った瞬間、イズミはほとんど走り出して少女のもとに急いだ。

 手を伸ばせば触れられる距離で足を止める。

 雪花石膏のようななめらかな質感の白い肌。しっとりとした紅をのせた唇。潤みを帯びた瞳。


「今日はそちらの姿で来るとは思っていなかったから、驚いた。この場にいて良かった。生きていて良かった。女の子だったら、どんな手を使ってでも振り向かせたのに。アキノ」


 名を呼べば、それまでぼんやりとしていた少女が不意に手を伸ばしてきた。

 腕をひっつかんで、引き寄せて、背伸びして精一杯顔を近づけてくる。


「イズミ、『じゃない方』です。わたしですいません。イズミの気持ちはアキノにお伝えしますから」


 耳をくすぐる少女の声。

 言われた内容がやけに緩慢に、頭や心臓や熱くなりかけていた身体に浸透した。

 ふと視線を感じたイズミが顔を上げると、腕を組んで顎を逸らして立っていたシュリと目が合った。

 妙な憐憫がその目に浮かんでいた。


「女性としての扱われ方は全然教わってないんです。男性にエスコートされた方がいいのかな」


 硬直しているイズミをぱっと離して、少女は広間に視線をすべらせる。

 ちょうど、役目を終えたとばかりに人垣を抜けてきた背の高い男が向かってきたところだった。


「タキ先生」


 まるで花嫁衣裳のようなドレスの裾をなびかせて、少女が歩き出す。

 見送りかけて、イズミは速やかに歩を進めて横に並び立った。


「お手をどうぞ。安心して私に身を任せて」


 イズミを見上げた少女は、滲むような笑みを浮かべて形の良い唇を開いた。


「イズミには迷惑をかけちゃうから、あっちの人にします」

「余計な心配はやめるんだ。君には私のすべてを捧げたって全然構わない」

「イズミはそう言うと思っていた。ありがとう、でもそれをわたしが受け取るわけにはいかない。それはすべてアキノのもの。何があってもアキノを裏切らないで。イズミを信じている」


 軽く化粧をしている。

 だけど、目元に隠し切れない涙の痕。

(泣いたんだ)

 固かった表情に笑みを取り戻す前に、どれほどの堪えていた涙を流したのだろう。

 それでもなお、いま彼女が笑みを浮かべている事実に心からの賛辞と祝福を送りたいと。

 固く拳を握りしめて、イズミは歯切れよく言った。


「ここまで君を連れてきたのはシュリ? 花嫁を送り出す父親みたいな顔をしている。今日は本当の婚礼じゃないから片側を先生に譲ろう」


 聞こえていたであろうタキは、眉を寄せてイズミを軽く睨んだが、何も言わずに少女の右側に立つ。


 目を引く三人が揃い立っただけあって、居合わせた者たちが囁きとともに視線を向ける。

 男装に戻ったと噂のアキノが女装で現れたことに対するひそやかな悪意。

 それをも凌駕する、その圧倒的美貌に対する畏敬。

 揺れ動く感情が向けられていることに気付いているであろうに、少女はひるまずに顔を上げる。

 庇う為でも、守る為でもなく、寄り添うためにイズミとタキは少女のやや後方に立った。


(支えられずとも、彼女はきっと自分の足で進む)


 人垣が割れて道が出来ていた。

 その先には、国王夫妻の姿があった。


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