大人たちの祈り
「アキノ様が出ていらっしゃらない」
困惑しきりの侍従や女官が五、六人と詰めかけて、ドアの前で名を呼んでいる。
そこに、背の高い男が少年を伴って走りこんできた。
「忘れものだ。通してくれ」
庭を突っきってきたかのように細かな葉をその身に張り付けており、水分を含んだ髪は乱れている。
その男の後ろから顔をのぞかせた少年に皆いっせいに「アキノ様!?」と色めきたった。
「みんなまだここにいたの!? 僕は忘れ物したから取りに来たけど、早く持ち場に戻ってくれる? 広間の方、人手が足りてないみたいだったよ!」
少年が澄んだ声で言い渡す。
「アキノ様、いや、しかし……?」
果敢に一人が声を上げたが、「行ってくれ」と今一人その場に到着した人物が遮った。
「思ったより来賓が多い。どこも手が不足している。アキノ様もすぐに広間にお戻りになる。ここはオレに任せて」
純白の上下に、金糸の飾りと勲章を下げた、騎士隊服姿のシュリであった。
納得しきれていない表情ながらドアの前を離れる者たち。シュリは「早く」と急かして睨みをきかせた。
その場に、三人だけが残った。
タキとシュリが顔を見合わせる。
無表情を貫くタキに対し、シュリが目を細めた。
「先生にも広間に向かってほしい。ミスマルの言葉、わかるだろう。通訳が足りない。先方が、目的地はヨギだったから通訳を連れていないの一点張りだ。従者の一人ひとりに至るまで皆頑なに自国語で会話しようとする」
「なるほど。ではミスマル人の王妃様も動員すべきだな。さぞや会話がはずむことだろう」
「打診はしている。とはいえ、あの足だ。歩き回ることはできない」
睨み合う二人を差し置いて、サトリはドアを拳で叩いた。
「僕です。来ました、開けてください。少しお話をしましょう」
ふき取っても消せない涙の痕跡が残るその横顔に視線を向けて、シュリは唇を引き結んだ。それから、タキを見る。タキは重々しく頷いた。
そのとき、軽い音とともにドアが開いた。
「待っていたよ。入って」
躊躇うことなくサトリは部屋の中へと足を踏み入れ、ドアは閉まった。かちりと鍵のかかる音がした。
*
シュリが大きく息を吐き出し、手で顔をごしごしとこする。そのまま片手を顔にあてた状態で、指の間からタキを見て、シュリがぼそりと言った。
「水も滴る色男。どうしてそういう役割分担になったんだ。明らかに間違えているだろ。広間にイズミ様が一人でみえたときは何が起きたかと思ったぞ」
タキは素知らぬ顔をして横を向く。
「あの状態のあの子を、先生がどうやってなぐさめたっていうんだ。おかしいだろ。悪夢だ。まさか口説いたのか」
「下衆な勘繰りはやめてもらおう。愛だの恋だのはクソくらえだって言ってる相手に、そんなことをするわけがない。だいいち、殿下はまだ子どもだ。普通に、自分で立ち直ったよ。いつも通りだ。運が良いとか、図太いとか」
がっくりと、シュリはうなだれた。
「今日一日、どこの店に行っても、全然反応ねーし。欲しい物は全部買ってあげてとあれほどアキノ様に言われていたのに、居心地悪そうにされただけだ。何が欲しいのか、何が好きなのか……」
「蛙が嫌いなのは確かだな」
「そういう話はしていない」
無粋な発言に、シュリは嫌そうに答えた。
「この上、自分で立ち直られたりしたら、何ができるっていうんだ……」
「何もしなければいい。償いを一切受け容れないというのが彼女なりの答えだ。受け容れてしまえば、『何かされた』ことになるからな。おそらくは、それを望んでいないんだ」
タキは肩をそびやかして、歩き出す。
「先に行く。俺にまともな接待を期待するなよ」
「していないしていない。最低限、国費で留学した分返せって言ってるだけ」
愚にもつかない会話を最後に、タキは悠然と廊下を進んで行く。
その後ろ姿を見て、シュリは溜息をついた。
いないことにされてしまった、王妃の娘。
今日この場に呼び寄せることは、あらかじめタキには打ち明け、協力を依頼していた。
王妃と、その祖国の使節団がいて、客もそれなりに集まっていれば、少なくともサトリがこれ以上不利な立場に置かれることはないはずだ、と。
(過去の全部を打ち明けて……)
願わくば、新しく、始める為に。
本人にも、ある程度事情を話すことになるのは覚悟していた。
だからこそ、シュリとしては前もってイズミに「殿下を頼む」と伝えていたはずなのに。
どこかで思わぬ入れ替わりが発生し、彼女の傍らにいたのはあの食わせ者の偏屈先生だったらしい。
傷ついた少女をあの男がどう受け止めたのかと、想像もつかない事態にシュリは何度目かの溜息をつく。
そして、閉ざされたドアを見た。
姉弟と知った二人が今どんな会話を交わしているのか。
祈るように、目を閉ざした。




