無理を
無茶苦茶無理をしている。
より正確には、無理をさせている。
打ち明け話以降、アキノの恰好をした少女の表情がまったく動かなくなってしまったのを、イズミは痛いほどに感じていた。
おそらく、救助の網に引っ掛からずに一人で山道に置き去りにされてしまった、王妃の実の娘。
(本当はそれすらも怪しい。「王の恋に落ちた娘は、既婚で子どもがいる」事実を隠蔽するために、救助後孤児院に預けられた線も考えられる。下手に王宮に出入りすような家に養子に入れてしまえば、いずれスキャンダルのもとになるのが目に見えているから)
背筋が冷える。
大広間への廊下、すれ違う者がいれば反射的に愛想よく微笑み返すが、役目がなければ今にも引き返して彼女をどうにかしたかった。
失ったもの、本来得られるはずだったものは、何によって埋められるというのか。
――わたしからすべてを奪った男ですか。
冗談を言っている顔ではなかった。
アキノとの生活で、彼女なりに察するところはあったはずだ。
他人がこうも似るものか、と。
本当は彼女自身正解にたどり着いていたんじゃないだろうか。
だけど現実は彼女が考えたであろうことより。
ずっと。
母は生きていて、父も生きていたかもしれないのに、誰かのわがままによって引き裂かれて運命を捻じ曲げられていた、なんて。
(側にいたい。この先、望みも願いもすべて叶えてあげたい。ありったけの幸せをその手に集めたい)
アキノをうらむことなく「優しい」と言った彼女は、どれだけ負の感情を遮断する技術があるというのか。
たしかに、罪はアキノのものではない。
それどころか「自分が好きでやっている」「似合っているから」と言いつつ、少女の姿で生活をしていたアキノとて、背負っているものはたくさんあった。自分の存在が歪められ、母親の目にはろくに映っていないことも知っていたはず。
彼女に男装をさせた真意もわからない。理屈をつけていたとしても、理屈だけではないような気もする。
自分と同じことをしてみろ、と。
それはもしかしたら、アキノの叫びだったのかもしれない。
(アキノに会いたい)
「イズミ様」
名を呼ばれて、イズミは完璧な笑みを顔にはりつけた。
正装をした中年の男性。顔見知りの外交官であった。
「レン様。お久しぶりです」
「さすが評判の若様だ。見惚れるような出で立ちでいらっしゃる。学校での成績も目覚ましいものがあるとか。将来はどうされるおつもりですかな。あなたに備わった才覚や器量を思えば、誰よりも外交向きではないかと……。私などはどうしてもそう思ってしまうのですが」
にこりとイズミは笑みを深める。
「ありがとうございます。まだはっきりとは絞れてはいないんですけど、そう言っていただけるだけで励みになります」
連れ立って広間に足を踏み入れると、すでになかなかの盛況ぶりだった。
(実家から王宮に顔を出せと声がかかっていたけど、こういうことか)
使節団の件は、それほど大きな話題にもなっていなかった気がする。
どこかへ向かう途中に、この国を通過するにあたって、王宮側が招待をした――ゆえに夜会も関係者のみの内々のもの。
そういった内輪の席で先方の姫君とアキノを引き合わせる算段か、との理解をしていたが、着飾った男女の数は思ったよりも多い。
男装のアキノをお披露目する目的もある、と得心がいった。
「本日の主役はミスマルの姫君とか……。さて、アキノ様はどこでしょうか」
イズミが微笑を湛えて言うと、外交官の男は「まだですね。姫君はすでにお供の方々とお越しになっていらっしゃいますが。あちらで陛下とお話をされている」と広間の中心の人だかりを目で示して言った。
ミスマルの姫君。
豪奢な金髪を結い上げ、桜色のドレスに身を包んでいる。粋を凝らした人形のように整った横顔。白磁を思わせる肌。薔薇色の頬。
うつくしいのはわかる。
アキノと釣り合う年齢なのだろう、少し上で十五歳くらいか。フリルや刺繍の装飾こそ華美だが、露出は少ないドレスなのも好ましかった。
(私は綺麗なもの、うつくしいものを見ると、それはアキノならもっと似合うだろうなと思ってしまうのだけど。アキノや、彼女の方が)
彼女。
まだ名前も知らない。
視線をすべらせると、シュリが騎士隊の正装で王の取り巻きの末端にいるのが見えた。ちょうどシュリもイズミを見ていた。
すぐに大股に近づいて来る。
イズミは動かず、外交官の男性には軽い会釈をしてその場を離れる。
シュリが声の届く距離まで近づいてから、口を開いた。
「殿下が館にこもって以来、私もこういった会はご無沙汰でして。久しぶりに来てしまいました」
「タキ先生は来ていますか」
「先生に、何か?」
「通訳が足りてないんです。タキ先生は以前遊学に出た際に、ミスマルにも一年いたはず。話せないわけがない。イズミ様は」
「学んでいます。どなたが通訳を必要としていますか」
押し切るように言えば、シュリが鼻白んだ気配があった。
イズミは笑みを深め、噛んで含めるように言った。
「タキ先生は理解力以前の問題で他人と歓談する気はないでしょう。どこへ入ればいいですか」
イズミがここにいて、タキが来ているとなれば、もう一人も来ているはず。
探りを入れられたのをはねのけるように、笑いかける。
シュリは瞑目して、聞こえよがしな溜息をついてから言った。
「それではぜひ、姫君のお話相手に。アキノ様が遅れているようですが、イズミ様なら不足があるはずもない。並んだ姿も映えるでしょうし」
イズミは即座に歩き出した。
「いいよ。私も興味がある。アキノにはどんな女の子がいいのかなって」
イズミが横を通り過ぎる瞬間、シュリがぼそりと言った。
「手厳しい」
ぴたりと足を止めたイズミは、シュリにだけ聞こえる音量で呟いた。
「もちろん。半端な相手に大事なアキノは渡さない」
互いに背を合わせた形になり、見えないと知りながらも、シュリは「さすがですわ」と独り言をもらして、肩をそびやかした。




