宝石店
「さて。それでは追いかけますか」
二頭立ての四輪馬車がすっかり見えなくなって後。
アキノの宣言に、タキは深く溜息をついた。
「先生、嫌そう」
「俺が嫌なのはトニさんを置いて出かけることだ。誰がトニさんのごはんの世話をしてくれるというんだ。一泊二日なんて長すぎる」
「大丈夫ですよ、今日はこの後通いのミズキさんたちがいるし、明日も朝から来てくれます。何も心配ない」
「まだ朝晩寒いのに。火のない夜を過ごすなんて」
いつまでも未練がましく言い続ける青年を、青い瞳でじっと見つめてアキノは、独り言にしてはやや大きい音量で言った。
「館の人数増やそう。人間嫌いの言い分に付き合っていたらきりがない」
タキは聞こえていないふりをしていた。
つくづく往生際の悪い男だった。
* * *
店員たちが自分に注目をしている気配を感じながら、サトリはにこりと笑ってみせた。
「あらあらまあまあ、アキノ様! わたくしどものお店にお越しになるというから、てっきり……! ようこそいらっしゃいました。今日のお召し物、お似合いでございますよ」
王宮にほど近く、上流階級御用達の店が立ち並ぶ通りの一角。
サトリとは一生縁のなさそうな宝石店にて、年配の女性が目を輝かせて近づいてくる。
(こういう女の人って、鋭そう。いきなり難関)
笑顔が不自然にならないように細心の注意を払いつつ、サトリは意識して低い声で言う。
「僕の可愛い人、綺麗な金髪なんです。髪に真珠を編みこんだらどうかなと思って。頼んでいたものは揃ってます?」
『見ての通り自分自身は女装をやめています。女性用の装飾品はあくまで可愛い人、恋人の為』
含んだ物言いで短く告げると、店員たちは「あらまあ」という大げさなリアクションをくれた。確かに、十三歳の王子に恋人がいるというのは少し早く思える。
(アキノ様、婚約者はいらっしゃるのかな。イズミ様も。身分の高い人には親の決めた相手が子どもの頃からいるイメージだけど)
「それでは、早速ご覧になりますね!」
愛想よく言われたが、サトリは笑顔を向けつつも背後に控えていたシュリに肩越しに視線を向ける。
「確認しておいて。僕は他に何かないか、あのへんを見せてもらう」
適当に店奥を示すと、シュリは真面目くさった顔で「御意」と答えた。
あらかじめ、アキノに言われていたのだ。店員の対応が難しかったら、シュリに任せて店内を見ていて大丈夫だから、と。
(とは言われても、何を見ればいいのかな)
サトリは、宝石の類に興味を持ったことがない。
縁がなかった上に、いまきらびやかな品揃えを前に、はっきりと気持ちが怖気づいている自覚もある。アキノが身を飾っているのを見て綺麗だと思ったことはあるが、欲しいと思ったことはない。
自分のものとして所持しているのは、イズミから贈られた猫のペンダントのみ。アキノに渡してもどうしても受け取ってくれなかったので、サトリのものとなったのだ。
(髪に真珠を編みこむなんて想像がつかない。王宮勤めの女官見習いだったけど。直接王妃様に接するような人なら、そういう技術があるのかな。アキノ様、館に今後そういう人を呼ぶつもりなんだろうか。さすがにご自分では難しいだろうし。この先わたしが館に残っても、出来る仕事は限られるなぁ)
せっかくタキから勉強を教わってもいるが、直接日々の生活に使える気がしない。今後どこで生かせるかもわからないし、いっそのこと料理を習った方が次の就職先を探すときには有効かもしれない。
「はい。心ここにあらず」
耳元で、楽しげな声で囁かれてサトリは飛び上がった。
さほど広くない店内で身を持て余し、応接セットのそばの壁に飾られた絵画の前で足止めていたところだった。
「イズミ」
にこにことしているのに、腹の底がまったく見えないイズミの笑顔。
サトリは気後れして踵から後退する。瞬間的にガクリとバランスを崩してしまったが、腕を伸ばしてきたイズミに危なげなく支えられて、転倒は免れた。
「それ、踵に何かある? 少し身長を高くみせているのかな」
イズミは周囲を気にして、サトリの耳元で小声で言う。
(今の動きだけでわかるって、怖い)
認めたら早速アキノではないとばらすようなものなので、返事をしかねてサトリは目を伏せる。
「大丈夫、立てます」
イズミの腕から逃れようと身を捻じって離れた瞬間、本格的な失敗を悟った。
言葉遣い。
アキノとイズミの会話を、実際に一度だけ見ている。
あの二人なら、こんな話し方をするはずがない。
案の定、恐る恐る見上げたイズミは満面の笑みを浮かべていた。
「遅くなってごめんね。一人で見てもつまらないでしょ。なんだったら私がいくつか見繕おうか」
ものすごく良い笑顔をしている。
アキノが別人の方であると気付いているはずなのに、顔色がまったく変わらない。
(見繕うってどういうこと? アキノ様へのお土産っていうこと? 何か買った方がいいのかな。確かに、気になるものがあったら、シュリに言ってとは言われている。それ、買うってこと? 誰のお金で?)
困り切ってサトリはイズミを見つめてしまった。
「気になるものはなかった」
「全部店頭に並んでいるわけではないし、何か出してきてもらおうか」
「結構です。目がチカチカして頭が痛くなりそう」
本音が洩れてしまった。
イズミはそれ以上無理に話をすすめることなく、軽く小首を傾げるような仕草をして「次のお店に行こうか」と言った。サトリは小刻みに何度か頷いた。
心得たようにイズミが軽く背に腕を回して歩くように促してくる。
(エスコート? 転ばないようにってことなのかな? だけど、イズミ様と並ぶと『アキノ』が小さくて貧相に見えない?)
ちらりと周りを見回すと、女性店員たちが目を輝かせてこちらを見ている。
絶対にイズミに見とれているのだ。
うつくしい青年であるところのイズミと、体格差身長差年齢差のある自分だったら、どちらに目がいくかなんてわかりきっている。
イズミが向かった先は店の出入り口であった。
これ以上長々と店内にいたい気持ちはなかったので、サトリは内心ほっとした。
「支払いは王宮からだし、品物も一度向こうに運んでからまとめて館に届くようにしてあります。確認だけだったので、ここでの用事は終了です」
すでに店員との会話を済ませていたシュリが、戻ってきてからサトリに説明を交えて話しかけてくる。
「うん。じゃあ次に行こう」
サトリは名残惜しそうな年配の店員に丁寧に別れを告げて、店を後にした。
昼下がりの明るい日差しが目に眩しい。
サトリは全身からどっと力が抜けていくのを感じた。
イズミが「疲れたかい」と穏やかな調子で尋ねてくる。
サトリが咄嗟に返事をしかねると、シュリに対して「この先のカフェで休憩しましょう。席があるか見てきて頂けますか」と声をかけた。
シュリが行ってしまうと、改めてサトリに目を向けてきたので、観念して口を開いた。
「宝石はよくわかりません。どれを見てもあまり違いを感じない。前にイズミ様からもらったのは気に入っているんです。猫だったし」
言いながら、しまった、と思ってサトリはイズミの目を見た。
あれはたまたま『アキノに偽装した誰か』の手に渡ってしまったもので、イズミが本来渡したかったのはアキノのはず。
「ごめんなさい。僕が受け取ってしまって」
バレているとはいえ、自分からこんなことを言うべきじゃなかった。
後悔はすぐに押し寄せてきたが、イズミは目を細めてサトリを見つつ、唇に淡い笑みを浮かべた。
「君に渡したんだ。気に入ってもらえたなら良かった。後で君の本当の名前を教えて。私の前では無理をする必要はない」
優しさの滲んだ声。
この落ち着きは本当に見習いたいな、とサトリは思った。
「アキノ様の名誉のために、僕にも少々の無理はさせてください。お店の人たちの態度、アキノ様が本来の男装をされているのを歓迎しているように見えました。僕が少し無理をすることで、アキノ様への皆さんの見方が変わるなら僕も嬉しいです。イズミ様が協力してくださるのは嬉しいですが、ぜひ僕が無理を通せる方向で力を貸していただきたい」
口を挟まずに、澄んだ目で見てきていたイズミは「わかった」と短く答えた。
サトリは詰めていた息をほっと吐き出す。
安心感から目が潤みそうになって慌てて顔を逸らした。
(僕の言葉で伝わったとすれば、イズミ様がアキノ様のことを大事に思っているから)
「何があっても、君がその意志を貫けるよう、尽力を惜しまない」
サトリの思いを裏付けるように、イズミが宣言した。




