おつかい
「絶対に嫌です」
朝食後の食堂にて。
いつになく強硬な態度で拒否をしたサトリを前に、アキノが目をしばたかせた。
「どうしても?」
「嫌です。僕はこの館から出ません。何があっても」
言うだけ言って、お茶のカップに口をつける。
呆気にとられているアキノに対し、タキが厳かに言った。
「蛙だ。蛙が嫌で籠城を決め込むつもりらしい」
カエル……? とアキノが椅子数個分離れた向かい側に座るタキに目を向ければ、サトリがガチャリとお皿にカップを置いて言った。
「見透かしたようなこと言うの、やめてください」
「見透かしてるんだよ。あんなの、何が怖いっていうんだ」
角席に座ったサトリは、キッと目を吊り上げてタキを睨みつけた。
「先生、前世は蛙さんに食べられエンドだったかもしれないのに、ずいぶんなめた発言をしますね」
「丸ごと食われて死体も残らないって、良い死に様だな。今生でも周りに迷惑かけないように、どうにかうまく死にたいところだ。俺が蛙を怖がっていたら君は今頃無事じゃすまないだろ」
「どうして前世にはそこまで肯定的なのに、現世のことは先々に至るまで陰険な想像しかできないんですか。投げられた蛙の痛みを思い知ってください」
「希望を捨てているのは現世だけだ。来世はもう少しましなはずだ。君、実は蛙好きだろう」
「自分自身の努力でどうにかできるのって、実は現世だけなんですよ。お気づきですか。蛙のことは嫌いじゃありません、苦手なだけです」
アキノは、のんびりお茶を飲んでいるシュリに目を向けて言った。
「最近の先生、会話が続くよね」
シュリは「そうだなあ」と言ってから、タキに向き直る。
「死体の心配はしなくても。大学の医学科にでも献体登録しておけば、イズミ様が大喜びで切り刻んでくれるんじゃないか」
それを受けて、サトリがアキノに尋ねた。
「イズミ様は、医学科なんですか」
「はっきりとは聞いていない。だけど、将来どこで何をしていてもタキ先生の解剖には喜んで参加しそう。解明したくなるよね、あのねじくれ曲がった根性」
解剖で根性まで見えるものなんだろうか? とサトリは思ったが、口には出さなかった。
「とにかく。サトリはこのひと冬でだいぶ男装も板についたわけだし、あとは実践あるのみ。外に出て見破られないで買い物のひとつでもしてこようよ」
「道々に蛙さんがいた場合、馬車はよけますか?」
「よけない。轢く」
アキノの即答に対して、サトリは掌で額をおさえて呻いた。
「そんな殺戮、僕は容認できない」
「サトリ。もっともらしいこと言ってるけど、引きこもりの屁理屈だって自覚している?」
追及に手を抜かないアキノにあっさり追い詰められて、サトリは「うう」と唸った。
あまりの往生際の悪さに、アキノは呆れた様子で肩をそびやかす。
「王都で買い物をしてくるだけ。一泊二日。イズミにも連絡しておく。喜んでエスコートしてくれるし、フォローもばっちり」
「イズミ様も来るんですか」
焦ったサトリに視線をちらりと流して、アキノは「気になってたんだけど、イズミと何かあった?」と言った。
「何かってなんですかあるわけないですよ。アキノ様としてお話しただけです。どこから別人だってバレていたのかは全然わからないですけど女だとまでバレたかどうかは」
早口。
言いながらサトリはちらりと男二人を見る。
シュリはにこりと微笑み返してくるし、タキは目を伏せるようにコーヒーを飲んでいて、ガン無視だった。
「後で買い物リスト渡す。お店にもあらかじめ連絡しておく。護衛としてシュリが同行する。頑張ってね?」
アキノはいつも通りの明るい笑顔。
「わかりました」
不承不承。
他に返事のしようもなく、サトリは力なく頷いた。
*
アキノが用のあるお店は、王宮御用達ということもあり、連絡は王宮経由。
こういった、日々の細かいやりとりには主にシュリが動く。
一人で移動するときは馬でさっと出て行く。
春で移動もしやすいから帰りは早いだろうとのことだったが、結局シュリが戻ったのは翌日。
出発は中一日挟むことになった。
*
「それじゃあ、気を付けて。できるだけ楽しんできてね」
館の前まで見送りに出ていたアキノは、大きな帽子のつばを軽く持ち上げて、サトリに晴れやかな笑みを浮かべて言った。
王宮からの迎えの馬車の従者に、顔を見られないようにしているらしい。
(確か『女装している方』は『男装している方』の恋人的立ち位置なのだっけ)
王宮に戻ったら、アキノは男装するのだろうか。
ならば今から男装をすればいいのにとは思うが、本人がしないのだから仕方ない。
今日のサトリは、イズミが着ていたような裾の長いジャケットを羽織り、白いシャツにウエストコートとズボン。細身で本来の年齢より幼く見えるから、男装アキノのイメージにはだいぶ近いはず。
本当は一度アキノにその姿を見せてもらったらもっとうまくできそうなのだが、アキノは絶対に見せてくれない。
シュリは軽く春物のコートを羽織っているが、サトリの目にも仕立ての良い物に見えるし、着慣れているようで様になっている。
館においては小間使いのように働いている彼にも、本来はもっと別の仕事や役割があるのは察せられた。
アキノと、つまらなそうに見ているタキに少しの別れを告げて馬車に乗り込み、シュリと並んで座る。
「結構時間かかるから、寝ててもいいぞ。揺れるから、本も読みにくい」
早くもコートを脱ぎ、腕も足も組んで欠伸をしているシュリに、サトリは「そうですねえ」と返事をした。
ふと、気になっていたことを尋ねた。
「アキノ様が館の人員をもう少し増やそうかと言っていました。やっぱり、王宮からさらってくるんですか?」
「サトリ殿下はオレを人攫いのプロか何かだと思っているようだが、引き抜くときには内々に打診している。今通いでお願いしている人たちも元はといえばそういう経緯だ。王子のお世話だからな、まったく無関係な町人を雇い入れるよりは、王宮の手順を知っている人間の方が都合はいい。急に姿を消すから、残された側からすれば消えたようにしか見えなかっただろうが」
サトリ自身は事前に打診された覚えはなかったが、ひとまず置いておくことにした。
「ということは、もう検討されているんですか。確かに今の人数では、あまりにも少ないとは思っていました」
タキやシュリが何役もこなしているとはいえ、あの大きな館をこの人数で維持していくのは大変だ。能力ではなく時間配分的な意味で、もっと人手が必要だとは常々感じていた。
「冬場は、下手に大人数が詰めていても、吹雪で何日も閉じ込められたときに食糧に不安が出ると先生が。十中八九人の気配を嫌がっていただけだが。実際に、館中の窓を開けて空気を入れ替えたり掃除をしたり、やることはたくさんある。住み込みの人数を増やしてもいい頃合いだ」
庶民のサトリからしてみても、もっともだとは思う。
(いずれお役目が終わったら、わたしもそのままここで働かせてもらえないかな)
漠然とした願いを口にすることはできず、ぼんやりとしていると、シュリはいつの間にか寝てしまった。
どうしても剃り残してしまうらしい無精ひげの散った顎や頬、伏せられた睫毛をじっと見つめてから、話しかけるのを遠慮して、サトリも目を閉ざす。
今日明日は絶対に気を抜かないようにしなければならない。その為にも体力は温存しようと心に決めて、しばし休むことにした。
馬車が蛙さんを轢かないことを切に願いながら。




