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雪解けの始まる日

 ドアをきっちりと閉めてから、イズミはドア横の壁にもたれかかっていたタキに微笑みかけた。


「灯りを分けていただけますか?」


 タキは無言のまま、コートのポケットからローソクと簡素な真鍮の蝋燭立てを取り出す。足元に置いていたランプから火を取った。

 その様子を見ながら、イズミは笑いを含んだ声で言った。


「文武両道。護衛を兼ねた家庭教師なんてなかなかいませんよね。私は自分を優秀だと思っていましたけど、大学進学を控えて、気付けばどの科目でもあなたの名前が過去に最高の成績を修めた者として出て来る。それを超えられない。結構、頭にきます。実際に文句のつけようがないですから」


 蝋燭立てを差し出しながら、タキは物憂い声で「火事にはお気を付けください」と言った。


「無視?」

 イズミが口の端をつりあげて皮肉っぽい笑みを浮かべると、タキは「聞いてます」とぶっきらぼうに答える。

「部屋の中に踏み込んできても良かったんですよ」

 わずかに背の高いタキの目を、わざわざ下から覗き込むようにしつつ、イズミはタキの腕に触れた。

「冷え切っています。長時間の護衛、ご苦労様」


 返事がないのを見越していたように身を翻す。

 数歩進んでから、ふと足を止めて振り返った。


「カードに花を添えてドアの前に落としておくのはいかがですか。明日の朝一番に見つけてもらえるように」

「なんの話ですか」


 タキは鬱陶しげな様子を隠しもしない。

 イズミは邪険にされていることなどどこを吹く風の優雅さで、告げる。


「仲直りをしたいのでしょう。だいぶ傷ついていますよ。あなたがあんなに年下の相手に本気で牙をむいたから。あの落ち込みは、そういうことでしょう? ここは大人のあなたが折れるべきです」


 まるで聞こえていないかのようにタキがそっぽを向いた。

 その横顔を射すくめるように見据えて、イズミは今一度口を開く。


「いいですね。折れなさい」

「イズミ様に口を出されるようなことでは」

「出すよ。あんな辛そうな顔、一瞬たりとも長引かせるわけにはいかない。私はあなたに対してかなり頭にきてるんです」


 引き返してきて、片手でぐいっとタキの胸倉を掴み、叩き込むように強く言う。


「ふざけんなよ」


 ぱっと手を放すと、何事も無かったかのように笑みを浮かべた。


「おやすみなさい。案内は結構です。昼に通してもらったときに部屋の場所は覚えていますから」


 さらりと手を振って、歩き去ってしまう。

 

 灯りが乏しいせいですぐに見えなくなった背中。

 タキは大きく溜息をついて、こめかみを指で押しながらドア横の壁にもたれかかり目を閉じた。


「花……? 冬だぞ」


 ひそやかにもらされた独り言を、聞く者は誰もいない。



 * * *



 翌朝、身支度を終えてドアを開けたサトリは、奇妙なものを見つけてしゃがみこんだ。

 毛玉。

 長毛種であるところのトニさんを、ブラッシングしたときに得られる毛玉。

 以前タキがブラシから毛を外してそのまま箱に仕舞っているのを見たことがある。どうするつもりなのかと聞くと、春先に外に撒く、と言っていた。


「鳥が巣作りに使うらしくて、競って持って行くんだ。天敵の猫の毛なのに」

「たしかに、トニさんの毛で作られた巣なら気持ちよさそう……」


 そんな会話をした覚えはあるが。

 先生、前世虫だったなら鳥に無造作に食べられエンドもあったんじゃないですか、天敵かもしれないのに優しいですね、なんて考えたせいで記憶にしっかり残っていたのだが。


(なぜこんなところにそのときの毛玉が。たぶん間違いなくその毛玉)


 疑問に思いつつ毛玉を拾い上げたサトリは、少し離れたところに空色のカードが落ちているのを見つけた。

 表面には何も書いていない。

 ひっくり返すと端正な飾り文字で一行だけ文章が書かれていた。


(読めない……)


 全然知らない言語。

 優美な書体は古代語か、どこかの異国の言葉なのか。


 トニさんの毛玉と謎のカード。

 意味不明な取り合わせであったが、あまりの不可解さにかえって送り主は一人しか思い浮かばなかった。


「タキ先生……。何をしたいか全然わからないんですけど」



 * * *



 イズミは名残惜しがっていたが、冬道ゆえ余裕を持って出立するとのこと。

 一晩町で宿を取っていたという迎えの馬車が、昼前に着いた。

 この館にはあまり世話人がいないと事前に伝えていたで、気を使ってくれたらしい。


 雪のせいで明るい戸外。日光も燦々と降り注いでいる。


 タキとシュリ、アキノに扮したサトリで館の前で見送る。

 光の下で見るイズミは輝ける貴公子そのものだが、まなざしはどこか寂しげで、サトリを見下ろしてきた。


「本当に、またすぐに来る。進学のことも考えておいて。家庭教師はもう流行らない。陛下も説得すればわかってくださると思う」

「はい。話してみますね」

 アキノに。

 と、心の中で付け足す。サトリには国王と話す機会はない。


 イズミは鮮やかに微笑み、その場にかがみこんで手袋をはめた手で雪を掴む。軽く握りながら、出て来たばかりの館を振り返った。

 視線は二階のあたりに向けられている。

 何を見ているんだろう、とサトリはイズミの手の中の雪玉を見て、背後を振り返ろうとした。

 その視界の隅で「あの辺かな」と呟いたイズミが、振りかぶって雪玉を投げつけるのが見えた。


 幸い、雪玉はガラスを割ることなく鈍い音を立ててぶつかっただけだった。

 すぐにガタガタと音がして、中から窓が開けられた。


「イズミーー!! やりやがったなっ」


 顔をのぞかせたのは、アキノ。真っ白の帽子や服装の雰囲気から、男装ではない。

 イズミは大きく手を振りながら晴れやかに声を張り上げた。


「アキノーー!! 近いうちにまた来るから、次はきちんと話そうね!!」


(ちょっと待って)


 理解が追いつかない、むしろ理解したくないサトリの背後で、シュリがぼそりと「ばれてらぁ」と呟いた。タキは無言を貫いている。

 視線をサトリに戻してきたイズミ。

 その眩しい笑顔から、サトリはそうっと視線を外した。

 目を合わせてはいけない。今すぐ逃げるべき。

 わかっているのに、足が動かない。

 イズミはサトリの反応を格別気にした様子もなく、正面に立って手を差し伸べてきた。


「『春の風に育まれて、うつくしい花を』……」


 詩篇のような言葉につられて顔をあげると、煌めきを湛えた翠眼が見下ろしてきていた。


「ネックレスは君のものだ。次来るときには、きちんと君のためにお土産を選んでくるよ。名前は今度来たときに改めて教えてもらおうかな」

「畏れ多いです」


 呆然としたサトリの手を取ると、手袋をはめた手の甲に口づけを一つ落としてから、イズミは背を向ける。

 待機している馬車の方へと颯爽と歩いてから、全身で振り返って手を振ってきた。視線を上げて、二階にいるアキノにもにこにこと手を振り、馬車に乗り込んで去った。

 見送った後、サトリは額に手をあてて呻いた。


「全部掌の上という感じ」

「まあまあ、終わりよければすべて良しだろ」


 変な笑いを浮かべていたシュリが、適当極まりないことを言う。


「良くないですよ。どの辺から良くなかったのか全然わからないくらいイズミ様態度に出さなかったし。昨日言葉遣いを指摘していたあたりかな」


 思い出してもすべて自分の力が至らなかったような後悔しかない。


「最後も、何を言っていたのかわからないし……春の風?」


 ぶつぶつと言っていると、タキがぼそぼそとした口調で言った。


「本来は夏の風、だな。春の風と言ったのはわざとだろう。夏を待たずに、春にまた来るつもりだと」


 機嫌が良いとも悪いとも推し量れぬ呟きに、サトリはふと顔を向けた。

 見返してきたタキと一瞬だけ視線が絡んだが、逸らされた。


「なんです……? 詩か何かなんですか?」

「おそらく、演劇で若き恋人たちを演じたときのセリフだろう。『恋の蕾が夏の風に育まれてうつくしい花を──』つまり、恋の始まりを」


 不自然なところでタキが言葉を切った。

 サトリは首を傾げて復唱した。


「恋の始まり?」


 シュリは相変わらずにやにやと笑っている。

 階段を駆け下りて来たらしいアキノが、ドアをばんと開け放って姿を現した。

 サトリを見て、「怒ってるわけじゃない」と前置きをしてから言った。


「やっぱりイズミの目はごまかせなかったかー」

 

 その日の陽射しは、明るいだけでなくほの温かかった。

 近くの木の枝から、雪がどさりと落ちる音がした。


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