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見えなくても星空

(何? なんでこんなことになってるの?)


 身体を硬直させて、前を見たままサトリはほとんど思考停止していた。

 イズミは左腕をサトリの肩に回し、サトリの膝の上にあった右手に右手を軽く重ねている。


 どうしよう。意味がわからない。

 イズミ様、なんで何も言わないの?

 これは何? 


 時間にすると、そんなに長くはなかったのかもしれない。

 動悸がどんどんキツくなって、変な汗が出て来たような気すらしていたが、実際はおそらくほんのわずか。


「アキノ」


 耳元でイズミに囁かれて、サトリは大きく息を吐き出した。

 いつから息を止めていたのか、長い溜息のようだった。身体(からだ)の強張りもほんの少し解ける。


「うん。イズミ、どうしたの?」


 サトリじゃない、イズミはアキノのつもりでサトリに触れている。

 笑って押し返さないと。


「急に何かと思っちゃった。僕に甘えたくなるようなことでもあった?」


 左手で肩にかかっている腕を押しのけ、右手もイズミの手の下から逃げた。


「甘えたい、ね。そう言ったらアキノは私に優しくしてくれるの?」

「これでも十分頑張っているつもりなんだけど。優しく感じなかった? 今日の為に、お茶を美味しくいれる練習はずいぶんしたよ?」

「私の為に?」


 そこをどうして言い直す必要があるのだろう、とサトリは閉口した。

 サトリが返事をしなかったせいか、イズミはサトリの顔を覗きこんできた。


「ここを出たら、私のいる学校に来なさい。王宮には戻らなくていい。優秀な教師をつけるのもいいけれど、学校は同年代の少年も多くいる。勉強以外でも刺激的だよ」


 優秀な教師と聞いてすぐに思い浮かんだのはタキのことだった。

 イズミも心得ていたようで、念押しのように続けた。


「あのタキ先生だって、学校を出ている。これから国の政治や学問の発展に寄与する人材がゴロゴロいるんだ。そういう人間の手の内を知り、扱い慣れておくのは良いことだ。もちろん、変な奴が君に近づこうものなら私が黙ってはいない。大学も付設されているし、進学後もある程度は目が届く。寮ではなく、近所に家を借りて一緒に住むのもいいかもしれない。私は本気だよ」


 息苦しくなるほど、まっすぐな瞳。


「イズミはその方が良いと考えているんだね」


 それが、アキノの為になると。

 本人にきちんと伝えなければ。

 イズミはくすりと笑みをこぼして頷いた。


「うん。いずれ私も何らかの形で政治に関わるだろうけど。今、結構勉強が楽しくてね。正直迷っているんだ。学問の道に進むのもいいな、って。だからなおさらだね。いられるうちはなるべく長く君のそばにいたい」

「熱烈な告白だ。ファンに嫉妬されそう」


 イズミのこの雰囲気だったら、取り巻きをうまくさばいていそうだけど、少し離れたところから熱視線を送っている人もかなり多そうな気がする。

 そのつもりでおどけて言えば、イズミはすばやく片目を瞑り、口の端をつり上げた。


「ファンは勝手に嫉妬すればいい。ついでに言うと恋人はいない。私自身は誰に遠慮をする必要もない身の上だ」


 本当に愛の告白みたいだった。

 アキノとイズミの間ではよくある悪ふざけの一種なのかもしれない。サトリはくすくすと声をたてて笑った。

 アキノとイズミなら、いかにもお似合いの恋人に見えるに違いない。


「そうだ、少しごめんね。これ、付け襟だよね」


 流れるような所作でイズミはサトリの首元に右手をあてて、器用に襟を引き抜く。そのまま片手で、シャツのボタンをひとつ外した。

 

 どん、と鈍い音がした。

 何かがドアにぶつかった。


 イズミは軽く顔を動かし、視線を向けてから「私が見て来る」と言って立ち上がった。

 本当は自分が行くべきだとはわかっていたが、イズミが離れた瞬間、緊張が解けて全身から力が抜けた。サトリは、ソファの上で息を吐き出しながら頷いた。

 サトリを見下ろして、イズミは前髪の境目あたりに手を置くと粗っぽく撫でてきた。

 髪がぐしゃぐしゃになってしまった。


「トニさんを連れてきてくれたんですか。ありがとうございます」


 ドアを開けたイズミが誰かと話している。

 少し身体を逸らしたところで、タキが立っているのが見えた。目が合った気もしたが、錯覚かもしれない。


(普段ならタキ先生と話している時間だ。さすがに今日は無理だし。明日以降どうしよう)


 ずるりとソファの背もたれに背を預けながら、サトリは目を瞑った。

 首元がすうすうするなと思って、手で触れる。そういえばさっきイズミが何か気にしていたような。


(あ、喉……。見られない方がいいかな。アキノ様は喉を見れば男性だってわかるし、こんなにつるつるしているのは変かもしれない)


 喉を掌で覆っていると、視線を感じた。

 目を開けると、テーブルを挟んで向かい側からトニさんが見ていた。

 笑いかけてみたが、反応は乏しい。つれない態度で暖炉の方へと歩いて行ってしまう。

 やがてドアの閉まる音がしてイズミが戻ってきた。


「良かったね、今日はトニさんが一緒に寝てくれるって」


 言われた瞬間に、サトリはがばっと身体を起こした。

 そういえば。

 その過剰反応を見越していたかのように、ソファの側に立ったまま、イズミは快活な笑い声をあげた。


「私はもう少ししたらお(いとま)するよ。トニさんがね、さすがに三人で寝るにはベッドが狭いって言うから。今度私の家においで。一番大きなベッドで一緒に寝よう。寝相が悪くても大丈夫だよ」

「そんなに寝相悪いつもりはないんだけど」

「うん。悪いのは私だよ」


 甘い声でそんな戯れを口にしてからサトリに微笑みかける。

 ついで、「おっと。あれはなんだろう」といかにもな棒読みでソファの上に落ちていた小箱を示した。


「なんでしょう。いつからあったのかな」


 イズミの陰になっていて、今まで気付かなかったらしい。

 小さな四角い白い箱。なめらかで艶を放つ青いリボンが可愛らしく結んである。


(これはどう見ても)

「開けてみてくれる?」


 イズミに促されても、サトリは手を伸ばすこともできず、躊躇した。

 おそらく、イズミからアキノへの贈り物だ。サトリが開けてはいけない。

 まごついているのに気づいたのか、イズミはさっさと自分で拾い上げると、サトリの側で片膝を床について箱を差し出した。


「リボンを引っ張るだけでいいよ」


 サトリは仕方ないと諦めて、遠慮がちにすべすべとした手触りのリボンを指でつまんで軽く引いた。するりと結び目がほどける。イズミがさらに指をひっかけるとリボンは箱から外れた。

 イズミの大きな掌が箱にかぶさり、さっと持ち上げると、光を受けて中のものがきらりと輝いた。


 大きな一粒真珠を抱いた、金色の猫。首には青いリボンを結んでいる。


 サトリが息を詰めて見ていると、イズミは箱の中から猫を引っ張り出した。細い金の鎖がシャラっと鳴る。


「つけてあげるね」


 イズミが手を伸ばしてきたので、サトリは慌ててソファの背に背を張り付けるように身を引く。


(アキノ様のためのものを、わたしが先につけるわけにはいかない)


 言えない言葉を飲み込んで「今はいいよ」と言ってみたが、イズミは立ち上がってサトリの背後に素早く回り込んだ。


「つけたところ見せて」

「可愛いとは思いましたけど、でも」


 罪悪感に満たされながら、サトリは首に金色の猫をつけられてしまった。

 背後でイズミが、低い声で言った。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()。いいね?」 


 なんの念押しをされたのかよくわからないまま、サトリは「はい」と返事をする。

 すぐにイズミの気配が離れていった。

 目で探して追いかけると窓際へと向かっており、カーテンを開いて、夜空を見上げるようにした。


「外に出たら、すごい星空が見えそうだ。凍えるから出ないけど」

「そうですね。寒い中で見ると、星はことさら綺麗に見える気がします」


 サトリが答えると、イズミが肩をすくめながら戻って来た。


「ひどい吹雪でも来てくれたら、それを理由に滞在を伸ばすつもりだったのに。この分だと私は明日予定通りに帰らなければならないらしい。だけど近いうちにまた来るよ」


 そのまま、ドアの方へと足を向ける。

 サトリが慌てて立ち上がると「いいから、座っていて。送るつもりかもしれないけど、そこでもドアの前でも変わらない」と、やや強い口調で言われた。 

 拒絶されたようで、足が動かなくなってしまう。

 イズミはドアノブに手をかけると、肩越しに振り返り、目元に柔らかな笑みを滲ませた。


「おやすみ。良い夢を。今晩は君を想って寝るよ」

「おやすみなさい」


 最後まで詩篇のような言葉を振りまいて出て行くイズミに、気の利いたことは何一つ言えぬまま、サトリはぎこちなく微笑み返した。


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