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聞いてない

「剣の稽古続けているんだ。誰に教わっているの? タキ先生?」


 タキの用意した、ミルクと蜂蜜入りのコーヒーを飲みながら、イズミが朗らかに言った。


「タキ先生?」


 聞き間違いかと思ってぼやっと聞き返すと、イズミが大きな瞳を(みは)って言った。


「せっかくいるんだし」


 いますいます。

 主に勉強を教えてもらっています。あとは食べ物。お菓子の家の魔女みたいに人を肥えさせようとしてはいます。剣?


 向かい合って座るのは緊張するだろう、と事前にアキノに言われていたので、横並びにテーブルについていたが、イズミは身体を傾けてまでまっすぐに目を見て話そうとしてくる。距離が近い分、逃げ場がない。

 手にしていたコップを置くと、イズミはそっと手を伸ばしてサトリの服の襟を指でつまんだ。


「少し気になって。こういう服装は最近?」


 襟が曲がっていたか、変に折れていたらしい。大人しく直すに任せつつ、サトリは小さく頷いた。


「この館に来てから。まだ着慣れていない」


 なるべく声は低めに出しているつもりだが、否が応でも緊張する。イズミの指が離れていくと、ホッとした。


「細い首だね」


 独り言めいた呟き。

 わずかに(すが)めた目が何を思い、何を見ているのか。

 サトリは居心地の悪さから早口に言い募った。


「そう? 首って鍛え方がよくわからないから。手足は多少固くなってきたかも」

「それは私に見て欲しいってこと? どれどれ、どこに筋肉がついたのかな」


 冗談か本気かわからず、サトリは椅子の上で最大限に身を引いた。


「イズミさま。今日のご予定ですが」


 いつからそこにいたのか。

 眠そうな目をしたタキが、イズミの背後から声をかける。

 驚いた様子もなく、イズミはサトリににこりと微笑んでからタキを振り返った。抜群に感じの良い声で言う。


「タキ先生。せっかくなので手合わせをお願いしたい」

「構いません」


 タキはあっさり請け合う。

 サトリが視線を送っても、目を合わせることなく背を向けてドアへと向かって行ってしまった。


「イズミ」


 素早く立ち上がったイズミに、サトリは声をかけた。

 振り返ったイズミは完璧な微笑を湛えて手を差し出してきた。


「どうしたの。そんなに困った顔をして」

「手合わせって、剣? タキ先生と?」

「そうだけど。何が気になっているの?」


 おっとりと首を傾げて言われて、何も言えなくなる。

 サトリはコップを傾けて甘いコーヒーを飲み干した。

 イズミはすでに飲み終わっていたらしかった。全然急いでいるそぶりもなかったのに。


(アキノ様と同じだ。洗練されていて、動作に淀みがない) 


 話すことも、次に何をすべきかも全部、あらかじめ把握しているようだ。

 それでいて、もしどこかにそんな筋書があるとすれば、この人の行動はそれを凌駕しているに違いない。

 なぜアキノが自分にこの人と会わせようとしたのか、わかるような気がする。


(タキ先生のことは心配なんだけど。どうして受けるかなー。普段俊敏さの欠片もないのに)


 頭痛を覚えつつ、サトリはイズミに続いた。

 そのつもりだったが、いつの間にか背後に回り込んでいたイズミにコートを肩にかけられ、慌てているうちにドアを開けてエスコートされるという体たらく。

 本当に、何から何までそつがない。



 * * *


 玄関ホールは屋内とはいえ冷え込んでいる。

 見物のサトリはコートをしっかりと着込み、大階段の手すりに張り付くように立っていた。


 タキは修道士のような長い濃紺のコートを服の上から着込んでベルトで締めている。

 対するイズミは白いシャツに黒のウエストコート。細いストライプのズボン。上に羽織っていた礼装用のような裾の長いジャケットは脱いでいる。

 動作のすべてがしなやかで、木剣を構える姿が異様に映えた。


(タキ先生、どうして受けちゃうかな)


 タキの鈍そうな動きを思い起こせば悪い予感しかしない。

 サトリは別にタキのことを好きではないが嫌いでもない。

 怪我だけは気を付けてほしいと、心配をしていた。

 それなのに。


 イズミが、シュリにも劣らないであろう速さで剣を繰り出す。

 それを、タキが軽い足の動きだけでかわした。

 その上、流れるように足払いを仕掛ける。よけきれずにバランスを崩しながらも、イズミは床を踏みしめ、距離を取った。


「先生、さすが。手数が多い」

「足癖が悪いだけです」


 タキがすかさず打ち込むと、イズミは剣で受けた。ぎりぎりと力がせめぎあっている音がする。歯を食いしばり、イズミが不敵な笑みを浮かべた。


「強いですね、力」

「料理は腕力なんです。粉も芋もかぼちゃも林檎もだいたい重い」

 

 サトリの目の錯覚でなければ、無駄口を叩くタキには全然余裕がありそうだ。


(イズミ様が、押されている?)


 二人が何合剣を打ち合わせても、ときに拳や足の体術を交えてさえ、タキの余裕ぶりはまったく揺らがなかった。

 どう見てもイズミは弱くないのだ。

 タキが悪夢のように強い。


 ひとしきり打ち合って、迸るような汗を煌かせながらイズミが「参りました」と言った。 

 頬は薔薇色に染まり、息が上がっている。本気で動いていた証だ。

 一方のタキも息をはずませてはいるが、表情に変化はない。


「タキ先生はお強いですね。これでも、私は学内では敵がいないんです。まさかここまであしらわれるとは」

「勝たせて欲しいと言われていたら、そうするつもりでしたが」

「私がそんなこと頼むわけないでしょう。いずれ絶対に勝ちます」


 手の甲で汗をぬぐったイズミが、瞳に剣呑な光を宿らせてタキを見据える。

 タキは特に反論はしなかった。

 そのとき、館の奥へと続く廊下からシュリが歩いてきた。


「イズミ様。お久しぶりです」

「シュリ先生。ご無沙汰しておりました」


 シュリは鷹揚に頷くと、イズミが階段の手すりにかけていたジャケットを持ち上げる。


「汗が冷える前に湯をどうぞ。この館の世話人たちは皆通いなので、湯を使う日は昼のうちに済ませるようにしているんです。もう用意ができているので」

「ありがとう。アキノ、また後でね」


 サトリに対しては優しく微笑んでから、イズミはシュリと連れ立って歩いていく。

 後ろ姿を見送り、サトリは木剣を片付けているタキに目を向けた。


「先生」

「シュリは以前、イズミ様に剣を教えていたことがある。そういう家柄なんだ。王家やその関係筋に剣術を教えるという。剣なんか武器としてはこれから廃れる一方だろうけど、身体を鍛えるには悪くない」

 

 珍しく気を利かせたようで、聞いてもいないことを教えてくれるが、違う。


「僕が聞きたいのは、タキ先生のことなんですが」

「俺がどうした」

「どうしたも何も。強いんですか」


 目で見たものを頭で処理しきれずに、間抜けな問いかけをしてしまった。

 タキはサトリをぼんやりと見下ろして、少し考え込んでから答えた。


「強いだろうな。負ける気はしない」

「そんなこと、一度も聞いたことないです。はじめから勝てるつもりだったんですか。あんなに安請け合いして、何事かと思いました。それならそうと」


 自分が何に文句をつけているかよくわからない。

 案の定タキもいまいちぴんときていないらしい。


「すべての科目で一番だったと、言った。剣も在学中は誰には負けなかった。それが? 一体何にこだわっているんだ?」


 サトリは舌打ちを堪えて歯を食いしばった。

(イズミ様は強そうだし、いつもぼーっとしているあなたが怪我でもするんじゃないかと、無駄な心配をしました)

 ようやく思い至った苛立ちの原因は言えないまま。

 まなざしに力を込めた。


「先生は、そんなに何もかもが出来てどうするんですか!? 来世は本気で便所バッタになるつもりがあるんですか!? もっと堕落してください!!」


 言いがかりに対し、タキは藍色の瞳をまたたいた。


「これ以上?」

「それ以上ですよ!! 堕落する余地ありすぎじゃないですか!! 人間一回目でも、ふつうに優秀じゃないですかああああああ」


 感極まって、鼻がつんときた。涙が出そう。

 なんのための涙かはさっぱりわからない。

 タキだってなぜ怒鳴られているかさっぱりだろう。

 タキはサトリから視線を逸らしつつ、ぼそぼそと言った。


「俺はおそらくこの先も伴侶を得ることはないし、子どもをこの世に残すこともない。苦もなく他の人が出来ているようなことが、俺には一生できない」

「甘えないでくださいよ!! 縁談なんか探せばいっぱいありますよ。出来ないっていうのは先生の思い込みです。そもそも恋人を得る努力なんかしたことあるんですか? 想像がつきませんけど!」

「つかないだろう。無い」


 速やかに肯定されて、サトリは思わずタキの腕にぐっと掴みかかった。


「あなたその気になればモテますよ。どうかしてるんじゃないですか」


 それまで、サトリの激情に戸惑いがちであったタキの空気が、ひどく冷ややかなものに変わった。


「君はアキノ様をどう思う。うつくしい人だろう」


 問われた意味がわからずに、サトリは咄嗟に頷く。

 サトリを見下ろすタキの目は氷柱(つらら)のように冷たく鋭かった。


「アキノ様に似ている時点で君自身認めざるを得ないだろうが、君は美人だ。人の美醜がよくわからない俺にもわかる。君のような美人は滅多にいない。君がその気になれば世の男の多くはひれ伏すだろう。わかっているのか」

「何をですか」

「自分の価値を。もしかして、これまでもう散々利用したか。何人男を(たぶら)かしたんだ。思わせぶりな態度で?」


 サトリは、掴んでいたタキの腕を放すと、その手から木剣を奪い取って胸に突き立てた。軽い手応えはあったが、剣先が掠める程度で、うまくかわされたことがわかった。

 本気で傷つけるつもりはなかったとはいえ、自分の無力を思い知らされる。


「そんなこと、絶対に人に言ってはいけないです!! 僕の容姿がどうであれ、それをもってどんな人間か憶測を言うのはやめてください!!」


 よりにもよってタキに、男女のやりとりを口にされて、自分でも制御できないくらい心が滅茶苦茶になっていた。

 唇を噛みしめてうつむいたサトリの手から木剣をもぎとり、タキはゆっくりと歩き出す。

 そのまま去るかと思ったが、とどめを刺すのは忘れなかった。


「君が俺に言ったのはそういうことだ。自分の言動をよくよく振り返ることをおすすめする。俺からは以上だ」


 それを最後に、タキは振り返らずに廊下を進んで行った。

 姿が見えなくなってから、サトリは崩れ落ちるように両膝をその場について、手で顔を覆った。




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