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十.

散歩に行こう


十.


 太朗は夢うつつに、桃太の鳴き声を聞いた。

 柴犬の雑種だからか、老犬なのに声がよく通る。


「ワンワン!」

『最近、タロの朝が遅い。

 図体は大きくなったけど、もう十五歳だから、仕方ないのかな。

 ほーら、朝ごはんだぞー。食べちゃうぞー』


 うるささに、頭から布団をかぶった。寝たのは数時間前だ。勘弁してほしい。


「ワオフッ」

『まだ起きてこない。耳も悪くなったのか。母さんに心配そうな顔をさせて、困ったやつだ。

 仕方ない。様子を見に行ってやるか』


 カツカツと階段を上ってくる爪音。昔は犬の室内飼いなんて珍しかったらしいけど、桃太は、太朗が生まれる前からこの家にいた。この家の〝長男〟だ。

 母親が話してくれたところによれば、不妊治療を諦めて仔犬の桃太を飼いはじめた途端、太朗がお腹にやってきたのだという。だから、名実ともに桃太は太朗の〝兄〟なのだ。

 なにをするにも一緒で、もちろん兄弟だから、喧嘩もした。


 がりがりとドアを爪で掻いて、桃太が部屋に入ってくる気配がする。はっはっという息遣い。距離は離れているはずなのに、それだけで室温が上がる。


 太朗が高校に行けなくなったのに、たいした理由はない。

 中学最後の春休みに盲腸になって、新学期に遅れて登校したら、もう自分の居場所がなかった。それだけだ。

 同中の同級生と、運悪くクラスが離れてしまったこともある。

 部活を見学に行くのもなんだか中途半端で。仕方ないから家でゲームをやり込んで、気が付いたら深夜を回ることが多くなって、朝起きるのが億劫になって。一度さぼったら、そのままズルズルと、ここまできてしまった。

 なんというか、あれだ。

 長縄跳びで入りそびれて、迷っているうちに体に縄が当たって、はいおしまいっていう、そんなみじめでつまらない感じだ。


「ワフッ、ウォフッ」

『タロの大事なおもちゃが、床に落ちている。

 触るといつも怒りだすからな。ちょっといたずらしてやろう。

 えい、えい。……これでも起きないかー』


 桃太が変な声をあげている。


『タロ、おまえ本当にどうしたんだよ。布団の中で丸くなったままなんて、おまえらしくないじゃないか』


 昨日、ゴミ箱に投げ入れたペットボトルが床に落ちているのかもしれない。

 相手にしなければ諦めて部屋を出ていくだろうと、布団の中でじっと息を殺した。


『タロ、おまえと話ができればいいのにな。

 そしたらオレ、おまえがなんで元気ないのか、聞くよ。

 それで、どうやったら元気になるか、一緒に考えるよ。

 オレ、おまえの兄貴だからな。

 生まれた時から、一緒だもんな』


 トットットッと軽快な足取りが近づいてくる。布団の端を踏む、人ではない小さな重量。生温かい息が、濡れた鼻づらまで想像できる近さで布団の上を嗅ぎまわる。


『だけど、タロ。

 オレ、おまえと、ずっと一緒にはいられないんだよ……たぶんな。

 なんかオレ、最近〝トシ〟ってやつを感じるんだ。

 だから、一緒に居られる間は、傍にいるよ。

 オレ、おまえの兄貴だからな』


 ポトン、と予想外の軽いなにかが、布団に落ちた。

 そうっと覗けば、なぜか得意げな桃太の顔。と、人型機動兵器のプラモデル。

 小学校中学年のときに改造に嵌まって、作りまくっていたそれは、桃太の〝天敵〟だった。

 今考えるとあれは、嫉妬だったのだろう。

 いつまでも太朗は、桃太の順位の一番下で、弟だった。体の大きさは、とっくに彼を超えたのに。


『ほら、起きろよ。

 おまえが夜中に起きてるの、オレ知ってるんだからな。

 〝チュウヤギャクテン〟っていうの、体に良くないって、父さん言ってたぞ。

 朝起きて、ご飯食べて、外に出て、昔みたいに虫追いかけたりしてさ。

 遊んでると元気になるよ』


 昔、桃太と話せたらいいのに、と何度も思った。

 でも最近は、桃太にまで愛想を尽かされるのが嫌で、話せなくて良かったと思っていた。


 今は――話せなくても、通じてると知っている。


 だから、もうちょっとだけ、一緒に。


 体を起こして、長く放置していたベッドサイドのリードを掴めば、窓の隙間から小さなギター音が、涼風とともに耳元を吹き抜けた。


「――散歩、行くか?」


 茶色よりも白の分量が増えた、桃太の前足にそっと手を重ねる。


「ワン!」


 次の瞬間、それは勢いよく跳ね除けられて、太朗の手を上からぎゅっと踏んづけた。




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