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十.

朝ごはんをあなたと


十.

  

 最近、陽希の朝は早い。

 まだ暗い部屋に鳴り響くアラームを一度で止め、むくりと起き上がった。

 スマホのアラームは、六時にセットしている。本当はもう少し早く起きたほうがいいのだけど、早くかけても結局二度寝して一回地獄を見たので、ギリの時間にセットして一発で起きるようにした。自分にはこれが合っている……のだと思う、たぶん。

 実家暮らしのツケというやつを噛みしめながら、カーテンと窓を開けて、朝日と冷気で強引に体を覚醒させた。近所の老犬が鳴いている。こっちも朝ごはんだ。


 目を閉じたまま布団をたたみ、服を着替え、洗面台で顔を洗う。濡れた手で髪をざっと整え、だがまだ寝ぼけ眼で台所へ向かった。

 冷蔵庫の中には、ラップにくるんだ今日の夕飯が並んでいる。父親の方が早出、早帰りなので、夜のうちに作っておかないと間に合わない。ちなみに朝は、食パンとコーヒーがあればいい人間なので、助かっている。

 お弁当には、昨日の残りの野菜炒めと卵焼きを入れることにした。賞味期限の近い卵を消費せねば。十玉のパックは、やっぱり二人では多すぎた。


 手を洗い、冷蔵庫から卵を二つ取り出す。それを調理台の片隅に置き、ボウル、菜箸、フライパン。サラダ油、醤油、味醂、砂糖をずらりと並べた。危なげない手つきでボウルに卵を割り入れ、菜箸でかき混ぜつつ、冷蔵庫に貼ってある紙をちらりと見る。

 レシピはネットに頼りっぱなしだ。スマホの画面は小さすぎるので、よく使うやつは印刷して冷蔵庫に貼っている。

 そういえば、母親はほとんどレシピを見ずに作っていたけど、分量は自然と覚えられるものなのだろうか。

 眠い頭で考えながら、リズミカルに菜箸で卵をかき混ぜる。


 働きはじめということもあって、お弁当も夕飯も出来合いで済まそうと思っていた。が、一ヶ月経って、家に来た電気代と水道代の明細を見て驚いた。一人暮らしの比じゃない。

 なにより、振り込まれた給料が衝撃だ。なんであんなに引かれてるの。なんなの、所得税だけじゃないの。年金とか本当にいるの。これに加えて市県民税とか、そら、役所に文句も言いたくなるわ。

 それに、今は断然父親が稼ぎ頭だが、定年まであと十年。再雇用もあるけど、十年後には自分が父親を扶養に入れて、支えていかないといけないのだ。

 引き出しから計量スプーンを取り出し、砂糖、醤油、味醂を大さじで計り入れ、塩を一振り。

 振り切るように、液状の卵と調味料を混ぜる。しっかりと、でも泡立たないように。


 卵焼きは、火の通りが早いから好きだ。

 丸いフライパンだから成形に手間取るけど、わりと手慣れたと思う。卵焼き器は、大学で実家を離れた途端、役目を終えたのか姿を消していた。

 フライパンを温めると、サラダ油を少量入れてひと回しした後、ボウルの中身をかき混ぜつつ半量を入れる。菜箸を持ったまま、ふつふつと卵に火が通る様子をしばらく眺め、思い出したように調理台に俎板を置いた。

 薄い卵はすでに端からかすかに浮いている。そこに菜箸を入れて、フライパンの形のまま、くるりと丸く一周。左右の端を内側に折り、手前から畳んで奥へ寄せる。残りの卵液を入れ切り、もう一度焼いてたたんで、はたと止まった。

 フライ返しがない。

 調理台の引き出しをいくつか開け、目当てのものを見つけた時には、香ばしい匂いが漂っていた。フライ返しと菜箸と、最終的には指も使って、なんとか卵焼きを俎板の上に移しきる。あちち、と呟きつつ形を整え、包丁で丁寧に六等分する。表は一部焦げてしまったが、中はきれいな層になっていた。

 包丁で切って、焦げた部分を下にして盛り付ければ、なかなかの見栄えだ。


 陽希は満足そうに頷くと、きれいな三つを角皿へ移す。父親の夕飯用だ。端の二つは、お弁当箱へ。最後の一つは小皿に入れて、隣のリビングに持っていく。

 一番出来のいいやつを、母親にあげよう。

 古いオーディオをおさめた棚の上は、積み上げられていた雑誌や書籍がどけられ、去年九州に行った時の写真が飾られていた。写真の前には、水の入ったピンクの湯呑みと大きな花籠。


 初任給が入った夜中、ポチした花籠は、五月初旬の忘れた頃に配達された。

 アレンジメントに挿された定番のメッセージを見て、複雑そうな顔をした父親に、ちょっと罪悪感がうずいた。初任給で父親にプレゼントしたのは、そこそこのネクタイだ。父の日は奮発しよう。

 白と淡いピンクの花できれいな半球を作ったそれを指先で押しのけ、卵焼きの小皿を置く。

 ぱん、と手を一打ち。


「いただきます」


 艶のある金色の卵焼きは、ほんのり甘い。母親の味に似ているかと聞かれると、似ているようでちょっと違うとしか言いようがない。味の記憶なんて、ドラマほど確かじゃない。


 レシピ、聞いておけばよかったな。


 ――ああ、とても美味しそうにできたね。

 

 できるなら、隣で一緒に作りたかった。


 ――陽希。あなたの一日が、今日も良い日でありますように。



 ふと、母親の声が聞こえた気がした。




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