くろす☆おーばー
*
「早く!」
ぼんやりとした人影があたしに声をかけます。その声には焦りが滲んでいて……でもあたしはどうしてもその人とは離れたくなくて……。
「で、でも……おかあさんもいっしょに……」
無意識に出た言葉。そっか……この人はあたしのお母さんなのですね……。
「お母さんは一緒に行けないって言ったでしょ? 早くしないとアリエス様に見つかってしまうわ! 行きなさい!」
「おかあさん……!」
「アンドロメダ、あなたは──大切な娘のあなたにだけは、ちゃんと外の世界を知ってほしいの……大丈夫、『彼』ならあなたをしっかりと育ててくれるはずだわ」
その時、バタバタという足音と共に、何人かの人影が洗われた。
「見つけたぞ! また勝手に抜け出して……アリエス様がカンカンだぞ」
「──すぐに戻ります」
「早くこい」
お母さんは小さなあたしを背後に庇うようにしてその人達と向き合います。が、何本もの手がお母さんに伸びて、無理やり連れていこうとしました。すると、お母さんはあたしを背後に隠しながら壁に強く押し付けます。
「おかあさんにらんぼうしないで!」
そんな言葉が口から出てくる前に、あたしの身体は壁をすり抜けて──そのまま海の中を泡のようなものに包まれながら上がっていきました。上へ……上へ……。
透明な膜越しにお母さんを目で追っていると、どうやら乱入者たちはあたしが抜け出したことに気づいてないようです。そして、連れ去られていくお母さん……。
「──お母さん!」
あたしは大声で叫びながら目を覚ましました。ガバッと顔を上げると、白い無機質な室内と、目の前で目を見開いている赤髪の女の子が視界に飛び込んできました。
「びっくりさせんな」
赤髪の女の子──霜月 柊里さんは、ベッドの上で身を起こしながら、変なものでも見るような目であたしを凝視します。ピンク色の病院服を身につけたその身体にはいまだに何本もの点滴の管がついていました。
──そうでした、あたしは柊里さんのお見舞いに……
柊里さんは心配そうな顔で、その点滴の管がたくさん伸びる手をゆっくりとあたしの頭に伸ばし、ぽんぽんと叩きます。病人に心配されるなんて……最低ですね。
「疲れて椅子で寝たと思ったら──酷くうなされていたな。大丈夫か?」
「えぇ……でも、いままでにないほど鮮明な悪夢でした」
「母親との間になにかあったのか?」
「それが……わからないんです。あたしのお母さんは小さい頃からいなくて……お父さんには死んだと聞かされてしました。──でも美留さんはお母さんがアトランティスで生きていると……それから悪夢を見るようになったんです……」
「その夢はわりと信憑性高いな。──にしてもアトランティスってあのアトランティスか……それで、母親がアトランティス人ってことは、愛留もアトランティス人──『未確認』の一味ってことになるな……バレたら叩かれるから絶対に他の奴には黙っておけよ?」
「──もちろんです。プロダクションの人にしか言う気はありません。それにまだ確証は得られてませんし、あたしはどんなことがあってもアトランティスに寝返ったりはしません」
「じゃあわたしは愛留を信じる」
「優しいですね。柊里さんは……」
「そんなことない。わたしはただ、後輩ができたことが嬉しいだけだ」
照れくさそうに口にする柊里さん。
お父さん以外の人との人間関係が希薄だったあたしからしてみたら、柊里さんに優しくされるのはなんだかくすぐったいような……不思議な感覚で、思わず話してしまいましたが、話してよかったなと思いました。
「なるほど──だとすれば確かに全て説明がつきますね」
「ひゃぁっ!?」
突然病室の中に響いた不気味な合成音声に、あたしはびっくりしてしまいました。振り向くと、あたしの背後には仮面姿の八雲プロデューサーさんが……。そういえば、ST直轄のこの病院に一人で来れるはずもなく、八雲プロデューサーに同伴してもらっていたのでした。全く気配がしなかったので、どこかに行っているのかと思ってました。
「おいこらP。気配消してていきなり話しかけるんじゃねぇよ」
「ははは、いや、すみませんつい……」
柊里さんが非難すると、プロデューサーさんはバツが悪そうに頭を掻きます。そして、あたしに視線を向けると、口を開きました。
「青海プロダクションに接触してきた『キャンサー』。……ということは、STは独自にアトランティスと接触している可能性が高い。ではなおのこと『あの二人』に会う必要が出てきましたね」
「あの二人?」
「梅谷さんと、伺見さんです」
「でも、面会の許可が出たのは柊里さんだけでは……」
「だから怪しいんです。──STはあの二人を使って何かをしようとしているに違いない。そして、青海に戦力面で脅かされている今、それは十中八九新兵器の開発です。──アトランティスの技術を使った──ね」
プロデューサーさんが顎に手を当てながら呟くと、柊里さんが口を挟みました。
「せんぱいは──彩葉せんぱいは無事なんだろうな!?」
「霜月さん。あなたは伺見さんの足の体組織の機獣化を知っていますね?」
「──あぁ、あの気持ち悪いやつな」
柊里さんは心底嫌そうな顔で頷きました。
「例えば──例えばですけど、機獣の体組織で身体全体を覆うような機装が開発されたとしたら……それは第三世代機装をも凌ぐほどの防御力を誇ることになる。そしてそれを体術とスピードに優れた梅谷さんが使用すれば……その防御力は最強の攻撃力にもなる……」
「──!?」
柊里さんも……あたしも言葉を失ってしまいました。もしそんなことをすれば、彩葉さんは最強の力と引き換えに人間を辞めることになってしまいます。最悪の場合は暴走して人類に牙を剥くことだって……。
「おいP──絶対にせんぱいを助けろ!」
「言われなくてもそうするつもりです。──私は元はSTの天使だったので、病院の秘密区画への侵入方法を心得ています。それに静内社長がSTにいた頃の置き土産──防衛システムの脆弱性を突けば理論上は──」
「あーもう! つべこべ言ってないではやく行けよ!」
柊里さんは、シッシッとあたしたちを追い払うような仕草をしました。プロデューサーさんはあたしの手を引いてそそくさと立ち上がりました。
「せんぱいを頼んだぞ──P、愛留」
「はいっ!」
背中にかけられた柊里さんの言葉に、元気よく返事をすると、あたしはプロデューサーさんに連れられて病室を後にしたのでした。
*
プロデューサーさんに手を引かれて早足で病室のリノリウムの床を歩きます。薄暗い廊下にはほとんど人の姿はありませんでしたが、人に遭遇する度にあたしたちはサッと身を隠して、監視カメラを見つける度に死角を移動して、できるだけ人目につかないようにして病院の奥へ奥へと進んでいきます。
やがてあたしたちは行き止まりに突き当たりました。
プロデューサーさんが進み出て、壁に手をかざします。すると、ブゥンという音と共に青色のスクリーンが浮かび上がりました。プロデューサーさんはそれを素早く操作して、左腕のコートの袖に隠していた茶色いブレスレットをかざします。見覚えのある形──あのブレスレット──機装は!
「──第一世代、『アンダルシア』!」
伝説の熾天使、早見 怜さんの機装! どうしてこんな所に……?
『天使、早見怜。認証しました──』
合成音声と共にピッと電子音が響き、何も無いと思っていた壁がスッと横にスライドして、小さな部屋が現れました。
「──まさか、怜の機装をいまだに認証してくれるなんてね……」
微かな声で八雲プロデューサーが呟きます。その声はどこか嬉しそうでもありました。
小部屋に入ったあたしたち。そこは部屋のように見えて、壁に操作盤がついているエレベーターのような代物でした。プロデューサーさんは迷わずに最上階のボタンを押します。すぐにエレベーターのドアは閉まり、すごい勢いで上昇を始めました。
「──プロデューサーさん。その機装はどうやって……」
「……友達の形見、なんです」
あたしの質問に、短く答えるプロデューサーさん。その口調から、それ以上は話したくないという意思が見えたので、あたしもそれ以上は質問しませんでした。
やがて、エレベーターは最上階にたどりつき、扉が開きます。
そこはかつてないほどに真っ暗な廊下でした。プロデューサーさんが小さなペンライトで足元を照らしながらゆっくりと歩きます。あたしもプロデューサーさんからはぐれないように、手を繋いでついて行きました。
「──、──! ──っ!?」
あれ、なにか聞こえませんか?
ちょんちょんとプロデューサーさんの手を引っ張ってみると、プロデューサーさんも立ち止まってあたりにペンライトの光を向けます。
「──こっちです!」
あたしとプロデューサーさんは同時に駆け出しました。謎の声はどんどん大きくなって……その内容が聞き取れるほどになりました。
「──いやだ! 私、このまま負けたくない! こんな……! ……ぐっ!? うぁぁぁっ!? だめっ! やめてっ! あぁぁぁぁっ!?」
その悲痛な叫び声は紛れもなく……。
「彩葉さんっ!」
あたしは声のする部屋に飛び込んでいきました。