ぽんぽん☆ぺいん
*
「あーもう最悪だ!」
青海プロダクションの事務所、その1階の応接用のソファに座りながら、お父さんはダンッとテーブルを叩きました。
「落ち着いてお父さん」
「落ち着いてられるか! 『治療』を口実に主力天使の三人をSTに連れ去られ、娘は勝手にエリクサーを使用するし、『光導機神教団』の天使を連れてくるし、敵は倒せてないだと? お前も友坂も事の重大性がわかってないのか!?」
「結局みんな死んでないんだからいいと思うけど」
「愛留、お前今必死に痛み堪えてるだろ?」
「……別に」
否定はしましたが、お父さんの言ったことは事実で、変身を解除した直後からあたしの腹部をキリキリとした激しい痛みが襲っていました。顔に出さないのに必死で、どうしても少し口調がとげとげしたものになってしまいます。
「嘘つけ――それはな、エリクサーの副作用だ。天使のポテンシャルが高ければ高いほど副作用は強くなる。――友坂、お前にも失望したぞ! なんのために愛留にお前をつけたと思ってるんだ!?」
「……申し訳ないです。あの時はああするしか……」
「あのな……」
「その辺にしましょう。済んだことを悔やんでも仕方ありません」
マネージャーさんを責めるお父さんを八雲プロデューサーさんが窘めました。
「そうだが……」
お父さんは今度はあたしの後ろに立っている結衣香さんを睨みつけました。
「あたしに何か用かしら? 倉橋博士?」
「チッ!」
一触即発の二人の間に、すっとプロデューサーさんが割り込みました。
「今の青海プロダクションにとって彼女は貴重な戦力です。――でないと、戦闘は全部博士のお嬢さんにお任せすることになってしまいますけど」
「それはわかってる。……でもつい先日まで私たちのことを追い回していたようなやつに安心して背中を預けられるわけがない」
「別に信用してもらえなくてもいいわ。あたしは自分のやりたいようにやるだけだから」
「あーそうかい。じゃあ私や娘に近づくな」
結衣香さんは肩を竦めました。お父さんは畳み掛けるように続けます。
「それに霜月、梅谷、伺見の三人はどうするつもりだ八雲? STがすんなり返還に応じるとは思えないが。特に梅谷はSTも欲しがっていた逸材だし、伺見はSTを裏切った立場だ。研究材料にされるか自社の天使として雇い直されるか……」
「それは私も懸念しています。登録上は三人ともウチの天使ということになっていますが……ひとまずは霜月さんの返還を求めてみますか……」
「青海プロダクションは急速に力をつけたが弱小事務所には変わりない。……足元見られるぞ」
「その時はその時です。こちらにも手はいくつかあります」
「へぇ、それじゃあプロデューサー様のお手並み拝見といきますかね」
プロデューサーさんにはなにか考えがあるようでした。こういう時に冷静沈着なプロデューサーさんがとても頼りになります。
ほっとしたのも束の間――
「……くぅっ」
あたしのお腹の激痛は次第に強くなってきて、そろそろ我慢の限界でした。とはいえ、ここで悶絶すると周りに無用な心配をかけてしまいます。あたしは黙って事務所を飛び出しました。
「あっ、ちょっと愛留ちゃん!?」
背後でマネージャーさんの声が聞こえたような気がしましたが、振り返っている余裕はないので、あたしはそのままあてもなく走りました。
*
「……っつつ」
あたしは事務所から少し離れた公園のベンチでお腹を押さえて悶絶していました。幸いなことに、機獣の襲撃が激しくなった現在では、臨海部にあまり一般人は訪れないので、公園はガラガラでした。敷地ばかりが広く遊具はほとんどない木とベンチだけの公園。でもい今のあたしは木のざわめきや鳥の声を楽しんでいる余裕はありませんでした。
身体中から気持ち悪い脂汗が溢れてきます。これはほんとに……男の人なら気絶してしまうほどの痛みでしょう。
「……やっぱり痛むの?」
声に視線を上げると、目の前に立っている黒い服に包まれた長身と青い髪が目に入りました。やっぱり、追いかけてきたんですね。
「結衣香さん……」
「あたしが初めてエリクサーを使った時はそこまで酷い痛みじゃなかったわ。鈴音も苦しんではいたけど、それはあたしが大量に投与したからで……だからその」
「……大丈夫です」
あたしは努めて笑みを浮かべようとしながら応えました。すると、結衣香さんはしゃがみこんであたしと視線を合わせてきます。
「青海プロダクションってほんとに不思議な事務所よね。あたしみたいな天使でもプロデューサーさんは受け入れてくれたわ」
「……」
「例えばあたしがここで愛留ちゃんを殺したら……」
「……!?」
咄嗟に身構えました。今結衣香さんと戦ったら恐らく勝ち目はありません。でも、結衣香さんからは全く殺気は感じられず……彼女はふっと微笑みました。
「そうしたら青海プロダクションを壊滅させることができる。でもあたしはそれをやらない。それをプロデューサーさんは分かっているのね」
「――結衣香さんっ」
彼女の言いたいことはあたしには理解できませんでした。……とにかく痛くて。痛い痛い痛い……!
「大丈夫……?」
「だ、だいじょ……ぅぷっ」
口の中に血の味が広がりました。結衣香さんはしゃがみこんだまま、あたしに背中を向けます。
「ほら、背負ってあげる。帰って博士に診てもらいましょう。きっと治療法を知っているはずよ?」
「だめ……それは」
「強がってる場合? もうボロボロじゃない」
「でも……」
「――そこにいるのは誰!?」
あたしが渋っていると、突然結衣香さんが立ち上がり、あたしの背後の……木の影に向かって声を上げました。誰か……いるのでしょうか?
ゆっくりと振り向くと、木の影からひょこっとピンクの髪をツーサイドアップに結んだ女の子が顔を覗かせていました。あたしよりも少し歳下でしょうか?
「あ、あの――その子――愛留ちゃんを渡して」
「は?」
女の子の言葉に呆気に取られる結衣香さん。
「はやく――じゃないと――手遅れになる」
「あなた誰よ? 愛留ちゃんに何する気?」
「人間としての名前はない――ただ、愛留ちゃんを助けたい」
「――機装変身!!」
「結衣香……さん!?」
結衣香さんは機装、『マリブ・サーフ』を身にまとい、ブゥンッ! と、ライトブレードを展開してあたしと女の子の間に割って入りました。あたしは慌てて止めようとしましたが、痛みで身体が言うことを聞いてくれません。
「怪しいわね。あなた――そんなちっこい見た目して相当強いでしょ? 分かるのよあたしには。まとってるオーラでね」
結衣香さんがそう口にして揺さぶっているようですが、女の子は一切表情を動かしません。恐ろしいまでに感情の希薄な表情でした。
「嘘はついてない――あなたたちと戦う気はない」
「さて、どうかしらね。愛留ちゃんが弱ってるところにつけこんだんでしょうけど、そうは上手くいかないわよ?」
「はやくしないと――愛留ちゃんが――助からなくなるんだけど? エリクサー――使ったんでしょ?」
「!? どうしてそれを!?」
「――はやく」
「やっぱり信用できないわ。悪いけど愛留ちゃんを渡すことはできない。立ち去りなさい」
「――仕方ない――実力行使に移行する――【任務】、目標の無力化――設定完了――アトランティス機構に接続――完了――反物質力場展開――完了――次元回廊解放――全完了――星装変身、星装『アルタルフ』展開完了。黄道十二宮『キャンサー』――交戦開始」
「っ!?」
女の子は右手を前に伸ばしながら詠唱を開始し……突如として突風が吹き荒れ、結衣香さんがあたしを庇ってくれました。突風が収まり、結衣香さんがゆっくりとあたしから離れると――女の子は黒い鎧に全身を包み、刃の部分が緑色に光る、黒い大きな鎌を構えていました。
「やっぱり『天使狩り』の一味ね……」
結衣香さんはそう呟き、黒い鎧に包まれた女の子に向かって駆け出しました。