機装ノ進化
「ぜ、全部!? そんなの無理ですよぉ! 何本あるんですかこれ!」
鈴音は、イヤイヤする子供のように、頭をふるふると振った。まあ、普通の反応よね。エリクサーは通常1回の使用量は小瓶1本、いくら多くても2本と決められている。それは、身体への負荷が激しいからだ。
あたしが今まで〝救済〟してきた天使たちも、だいたい3本を超えたあたりから身体に異常をきたし始め、耐えられて5本。それ以上飲めた天使はいない。その前に機神様の元へ召されてしまう。
でもそれはとても名誉な事だ。機獣との同化を行おうとして召されるのであるから。――そして、上手く召されずに同化出来た者は、あたしのように『光導機神教団』のエージェントとして活躍している。が、その数はごくわずかだ。
なんとか上手く同化できる方法を、倉橋 慎二郎博士の研究が握っていると教団上層部は思っているし、あたしもそう思う。
だからあたしたちは倉橋親子を狙っているのだ。
あたしは、ふぅぅと息を吐くと右手の手袋を外して、袖を捲り上げてみせた。
その腕の表面は、つるつるとした銀色の金属で覆われている。初見なら目を疑うようなものだ。案の定、鈴音が息を飲む音が聞こえた。
「そ、それは……」
「言っておくけど今のあたしは変身してないわよ。これは機神様に認められた証。神の遣い、機獣と同化して更なる強さを手に入れた、人類のあるべき姿よ」
「人類の……あるべき姿……」
鈴音はあたしの腕を凝視しながら噛み締めるように繰り返す。少しまで倒すべき敵だったものといきなり同化しろと言われてもなかなか難しいのだろう。だが、天使であるからには少なからずその身体の内部には機獣が宿っている。――本人たちが気づいていないだけで。
「そ、これが両手両足。すごいでしょ? お陰で身体能力は普通の人の何倍もあるし、切られたとしても再生するのよこれ。……やってみる?」
鈴音はまた首を横に振った。すると、どこからが腕に巻くタイプの血圧計のような機器を取り出したホークアイが、鈴音の左腕に機器のベルト部分を巻き付ける。
「大丈夫だお嬢ちゃん。生体反応と適合率はオレがしっかりと計測しとくからよ」
その声に、顔を上げた鈴音は、またしても息を飲んだ。
「――その目」
「ん? あぁ、オレもそこの結衣香ちゃんと同じで、機神様に認められたクチでね。視力だけは凄まじくいいのさ」
そう言うホークアイの右眼周辺も、銀色の金属で覆われて、眼窩の中には黄金色に輝く眼球が光っている。普段はサングラスをして隠しているのだが、今はあえて晒しているのだろう。そう、彼もまた数少ない教団のエージェントの一人だ。
「頑張りましょうリオン。あなたならできるわ」
あたしは、十字架に縛られている鈴音の肩に優しく手を乗せる。すると、少し引き攣っていた鈴音の表情が幾分か和らいだ。
「無事にやり遂げたら、あたしがいいことしてあげる」
本当はそんなこといいことなんてしたことないんだけど、鈴音の前ではあたしは色気たっぷりのお姉さんキャラを演じなきゃいけないので、精一杯のミステリアススマイルを浮かべながら鈴音の顔を覗き込んでみた。すると、彼女は顔を真っ赤にして視線を逸らす。――成功だ。
「わ、わかりました。そのかわり、お願いがあるんですけど」
彼女は少しもじもじしながら言う。
「なにかしら?」
「あ、あの……ユイカお姉さんに飲ませて貰いたいです。……あと、辛くなったら手を握っててほしいです」
あら、意外と大胆なところあるのねこの子。でもそれくらいならおやすい御用だ。
「わかったわ、でも少し訂正。機獣との同化はとても名誉な事なんだから、辛いわけはないのよ? 辛いと感じるのはそうね……その人の心が穢れているからかしら。――リオンは純粋な女の子なんだから大丈夫。機神様の加護もあるわ」
「そう……ですね。ユイカお姉さんとなら、頑張れる気がします!」
うーん、なんか目的が違うような気がするけど、とりあえず鈴音はやる気になってくれたようだ。あたしは左手で鈴音の右手を恋人繋ぎで握る。するとまたしても鈴音が息を飲む音が聞こえた。
「じゃあ、始めるわ」
「よーし、測定開始。生体反応安定、第二世代機装『ピニャ・コラーダ』との適合率、59%」
ホークアイは、淡々と告げると、スーツケースからエリクサーの小瓶を取り出し、蓋を外してあたしに手渡した。
なるほど、さすが『アイル・エンタープライズ』の主力天使だ。長い間変身しているにも関わらず適合率は高い。普通の場合はエリクサー非投与状態で50%前後あれば御の字、65%まで行けば天才と言われている。現役最強と言われる『シルバー・ストリーク』ですら、その適合率は70%程度と言われているのに。
「はい、あーんして?」
「あ、あーん……」
あたしの指示に大人しく従う鈴音。あたしはそのお口に小瓶のエリクサーを流し込んだ。ここまでは日常的に投与されている量であるはずなので、あまり怖がることはない。
鈴音がごくんとエリクサーを飲み干すと、直ぐに適合率は上昇し始めたようで、彼女の煌めく白髪の輝きが増す。
「適合率、65%まで上昇」
ホークアイの言葉にあたしは頷いた。1本で天才の領域に達したわね。
2本目を受け取り鈴音の目の前に持っていくと、彼女はすすんで口を開けたので、すかさずその中にエリクサーを流し入れた。彼女の喉が上下し、髪の輝きが増す。眩しいほどだ。
「身体が……熱いです。お腹の辺りがジンジンします……」
握った鈴音の右手から小刻みな震えが伝わってくる。未知の領域に踏み込んだ恐怖からだろうか。
「大丈夫。あたしがついてる」
「……はい!」
鈴音が力強く頷くと、ホークアイは相変わらず淡々とした声で
「適合率、71%」
この子は今、素の状態のシルバー・ストリークと殴りあったら勝てる程度には強くなってるということだろう。身体への負荷も思ったより少なめだ。アイルの天使はよく機装が整備されている。きっと優秀な整備員がいるのだろう。
あたしは続けて受け取った3本目を、鈴音の口に押し付けるようにして飲ませた。
「……ぐっ!?」
初めて鈴音の顔が苦痛に歪んだ。握った右手に力が篭もる。あたしは彼女の右手をしっかりと握り返した。
「大丈夫?」
「――はぁ、はぁ……大丈夫、です!」
「適合率、75%。恐らくもう打ち止めだ。心拍数と血圧が急上昇している」
個人差はあるが、どんな天使でも、エリクサーをいくら飲んでもそれ以上適合率が上がらないラインというものが存在している。強さを求めるのならそれ以上エリクサーを投与する意味はないのだが、あたしたちは目的が違うので、そのまま続行する。
4本目を飲ませた。すると鈴音の身体がビクンッと跳ねる。
「あぁぁぁぁっ!? いたいいたいっ!! お腹が痛いよぉ!!」
「よしよし、頑張ってリオン」
「……うぅ、はい! 私、ユイカお姉さんのために頑張りますから!」
可哀想だが仕方ない。あたしは彼女の手をしっかりと握る。
「適合率に変化なし。身体の方は……そろそろ危ないかもしれない。機装にも負荷がかかっている」
「見たところ身体的変化は見られないわね。このまま続けるわよ」
「ドSだねぇ、結衣香ちゃんは……」
そう言いながらエリクサーの小瓶を差し出してくるホークアイも大概ドSだ。
あたしは、涙目になりながらも口を開ける鈴音に、5本目のエリクサーを飲ませた。ここがデッドライン。逆にここを乗り越えられれば……!
「……うっ!? ぐぅぅぅっ!? ゲホッ! ゲホッ!」
あたしの足元におびただしい量の赤い液体が飛び散った。
「リオン大丈夫? おーい、リオンちゃん?」
自らの血で顔を真っ赤に染めた鈴音の頬を右手で叩いてみたけれど、彼女はもう反応はしめさなくなっていた。あんなに鮮やかだった彼女のツインテールの輝きも、今やくすんでしまっているし。――これはついに召されてしまったのだろうか。
「……召された?」
「いや、一応まだ生きてる」
「――続けましょう」
6本目を鈴音の半開きの口に押し付けて無理やり飲ませる。すると突然
――バシンッ!!
と何かが弾けるような音がした。電球が切れたのか壊れたのか、真っ暗になってしまった部屋に、鈴音のぼんやりとした髪の輝きだけが僅かに灯っている。
「機装変身」
あたしはすぐさま変身すると、腰のライトブレードを抜いて、その刀身の光で部屋を照らした。ライトブレードの青い光に照らされた鈴音は相変わらずぐったりしているが、なんと変身が解除されて、スクール水着姿から制服姿に戻っている。機装が負荷に耐えきれずに破壊されてしまったのだろうか。
「機装、『ピニャ・コラーダ』損壊。適合率低下中。24%」
「続けるわ!」
ここまできたら行けるところまで行くしかない。あたしはライトブレードを地面に突き刺して固定すると、7本目のエリクサーを鈴音に飲ませた。
続けて8本目……9本目。
鈴音の反応はほとんどなく、時折ゴボッと吐き出される血の塊と、ホークアイの声だけが彼女の生存を確認する手段だった。
ついにあたしは、スーツケースに収められているエリクサー、約三十本を全て鈴音に飲ませ尽くした。ここまで鈴音が生きていられるのは本当に不思議だが、あとはもうこちらとしては待つしかない。
やがて、ホークアイが血圧計のような機器を眺めながら静かに告げた。
「適合率、0%。――終わりだ」
「……はぁ」
結局鈴音も他の天使たちと同じように、機神様に選ばれることは無かったのだ。あたしはすっかり力を失ってしまった鈴音の左手を見つめながら暫し物思いに耽った。
すると――
突然、ぐっとその手が強く握られた。
「あ――?」
呆気に取られるあたし。その目の前で、ライトブレードの光に照らされた鈴音がビシビシという音を立てながらその姿を変えていく。
目の周辺は白いゴーグルに覆われ、手足を包む純白の装甲、そして制服の代わりに胴を包む白いスクール水着のようなボディースーツ。尻からは細くて長い尻尾が伸び、頭部には一対のネコ耳のようなものがついている。……というなんの統一性もない衣装。
――これは
「こ、こいつはたまげたぞ! 適合率は75%! 適合機装は第三世代機装の『マリブ・ピニャ・コラーダ』! こいつ、勝手に機装が進化しやがった!」
「えぇっ!?」
と、ホークアイとあたしが驚きの声を上げると同時に、鈴音――だったものは、バキバキと拘束具と計測機器を破壊して地面に降り立った。白いゴーグルに覆われた無機質な視線が辺りを見回す。と、彼女はおおよそ人間とは思えないような叫び声を上げた。
「キァァァァァァァッ!!」
な、何これ!? 理性を持ち合わせていない、まるで機獣そのもののような……。しかもこいつは第三世代だというし、まともに戦って仕留められる相手ではない!
「に、にげ――!?」
あたしは慌てて、握られていた彼女の手を渾身の力で振り払うと、地面に刺さっていたライトブレードを引き抜いて――全力で逃げ出した。