天使ノ救済
『光導機神教団』の本拠地は、東京都杉並区と中野区の境目付近に位置している。すぐ側を環状七号線という幹線道路が通り、付近には地下鉄の駅もある。交通の便は悪くない。
そんな場所に、教団は仏教系の宗教団体を母体として誕生した。
敷地内には『大聖堂』と言われる巨大なドーム状の建造物と、様々な関連施設が点在している。それなりに信者も多いのだが、機獣と天使ブームに沸く日本においては、知名度は決して高くない。
また、政治には干渉せず、大っぴらに布教活動しないという教団の性格とも相まって、あまり関わりたくない謎に包まれた団体だというのが多くの国民の共通認識だった。
そんな教団の施設の一つ。主に教団に刃向かう可哀想な輩に真実を伝え、救済するための施設の一室に、あたしはいた。
グレーの内装で統一された、家具や窓のない殺風景な部屋は、相手の心理を圧迫し、いつしか彼らは自ら救いを求めてくる。教団はそれを寛大に受け入れ、信者を増やす。――まあそんな感じの施設である。
あたしが連れてきた白いツインテールの少女は、部屋に備え付けられた拘束具によって、厳重に十字架に張り付けられて、部屋の隅に立てられていた。別にキリスト教は教団には関係ないのだが、これが一番拘束と救済に適した形式だったというだけだ。
彼女は立てられた状態でも未だに気を失っており、だらしなく頭を垂れている。変身用のブレスレットは回収したので、彼女の衣装であるスクール水着は、今は変身前の姿であるセーラー服になっていた。調べると、江東区にある私立中学校の制服らしい。
――まだ中学生なのか。救済は年齢が低ければ低いほど穢れが少なく、やりやすいので好都合だ。
あたしは視線を自分の腕時計に落とすと、部屋の隅に取り付けられた監視カメラに向かって告げる。
「新世紀17年 9月27日 20時00分。対象、『本多 鈴音』の〝救済〟を開始します」
ゆっくりと部屋の隅の鈴音に歩み寄ると、あたしはその頬をペシペシと叩いて目覚めを促した。が、彼女は項垂れたまま反応がない。
――パシーン!
大きな音を立てて彼女の柔らかな頬を張ってみると、やっと彼女はうっすらと目を開けた。が明らかにぼーっとした様子で、今にも二度寝を始めそうだ。
「むにゃむにゃ……あとご……500分……すやぁ」
『――どーなってんのよ! クスリの分量間違えたんじゃないの?』
『いや、ちゃんと鈴音ちゃんの体重から割出した適量を与えてるぜ? 体質的にクスリが効きやすいのかもな』
念話でホークアイに苦言を呈すると、彼は悪びれた様子もなくそう答えた。あたしは、はぁぁとため息をつくと、手に持っていた白いブレスレットを鈴音の右手首にはめる。そしてもう一度パシンと彼女の頬を張って意識を引き戻すと、こう告げた。
「変身しなさいリオン」
「はぁい、おかあさん……機装変身」
鈴音の体が光に包まれて、また例の白いスクール水着姿になる。と、幾分か意識が保てるようで、「んーっ」と唸りながらも彼女は周囲の状況把握に努めているようだった。
「あぁ……私捕まって……ぐっ」
彼女はなんとか拘束具から逃れようと身をよじったりしていたが、そんなことで逃れられるようなものではないし、武器を使おうにも、武器が装備されている腰まで手が届かない。
いつ諦めるかしらと思って見ていると、しばらくして鈴音は再び項垂れ、大人しくなった。が、今度はしっかりと意識を保っている。
「お話していいかしら、本多鈴音ちゃん?」
「お話することなんてありません。私は――あなた達なんかに屈しません」
あたしの言葉に鈴音は静かに――しかし確固たる意志を持って応えた。……なるほど、これは予想以上にやりやすそうね。あたしをまだ『天使狩り』だと思い込んでいる。――言われたことを疑いもせずに純粋に信じる子のようだ。
鈴音の傍らに近づきしゃがみこんで、項垂れた彼女と視線を合わせる。
「あたしの強さは見たわよね?」
「『天使狩り』なんかとお話しません」
ぷいっとそっぽを向いてしまう鈴音。でもちゃんと答えてくれるじゃない? 可愛い子ね。
あたしはズボンのポケットに手を入れて、その中で小さなスイッチを押した。
――ビシッ!!
という音ともに電撃によって鈴音の体が大きく跳ねた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「痛いのは嫌でしょ? あたしも可愛い子を虐める趣味はないから出来ればあまりやりたくないんだけど?」
鈴音は目尻に涙を浮かべながらあたしを睨みつける。が、その肩は大きく上下しているし、体は小刻みに震えている。――もう一押し。
「話を聞いてくれたら、もう痛いことはしない。すぐに大好きなみんなの元に帰してあげるわよ? ――好きなんでしょ? スターダスト☆シューターのみんなとこういうことをしたりとか――」
言いながら立ち上がり、鈴音の額に軽く唇を押し当ててみる。ほんの挨拶程度、高校生以上の女子天使ユニットではもっと過激なことが日常的に行われているのだが、純粋でウブな中学生の鈴音にはそれだけで効果てきめんだった。
彼女は顔を真っ赤にしながら目を伏せる。その視線が図らずも(あたしは計算していたのだが)あたしの少しはだけられた胸元に落ち――さらに慌てて顔を横に逸らす彼女を見て、あたしはほくそ笑んだ。
――堕ちたな天使
「お話――聞いてくれるかしら?」
あたしが再度問いかけると、堕天使と化した鈴音は横を向いたまま、こくりと頷いた。――その鼻から一筋の赤い液体が滴り落ちる。
チョロい。スターダスト☆シューターのションベン臭いお子様としかイチャコラしてこなかった彼女にとって、大人の魅力というのは刺激が強かったらしい。あとは、保険で飲ませておいたクスリの効果もあるかな? やはりこの子にはこのアプローチで間違いなかったようだ。
――あとは簡単
あたしは鈴音に、「機獣は神の遣いであり、逆らうのは愚かなことだ」という教団の理念を根拠をしっかりと示して丁寧に説明してあげた。
最初の方こそ驚いたような様子の彼女だったが、次第に話の内容に興味を示すようになり、時折質問を挟みながら熱心に聞いてくれた。あたしもその質問にできるだけ丁寧に分かりやすく答えた。
「そう……だったんですね」
「ええ、だからリオンちゃんはずっと嘘を教えこまれていたのよ」
「でもなんのために?」
「それは……STやアイルなんかの天使事務所が、機神様に逆らう組織だからに決まってるじゃない。――でもリオンちゃんは真実に気づいた。救われたのよ」
鈴音は少し何かを考えるような表情をしてから、あたしの顔を見つめ、またあたしの胸元に視線を落とそうとして慌てて逸らした。可愛い。
「別に見てもいいのよ? 減るもんじゃないしね、リオンちゃん?」
しきりに名前を呼んであげる。これもこの子をあたしに従わせる手段のひとつ。まあペットと同じようなものだ。名前を呼ぶほど彼女はあたしを無意識に主人だと思い込む。機神様に従ってくれなくても、あたしにさえ従ってくれればなんとでもなる。
「リオン……って呼んでください。――あの、お姉さんのお名前は……?」
「結衣香。青葉 結衣香よ。リオン」
「ユイカ……お姉さん」
鈴音は頬を赤らめながら噛み締めるように呟いた。もうこの子は完全にあたしのものだ。あとは彼女に救済をもたらす。教団員として最も名誉のある行為を行うだけ――それは機獣との――
「リオン、あたしみたいに強くなりたいわよね?」
「強く……はい。強くなりたいです! そしてスターダスト☆シューターのみんなを悪い事務所から救い出さないと!」
「そう……だったら――」
あたしは監視カメラに向かって手を上げて合図する。
程なくして、真っ黒いスーツケースを引っ張って、同じくらい黒いスーツを身につけた長身の男が部屋に入ってきた。
「あ、大丈夫。仲間だから」
ひっ!? という声を上げて警戒するリオンを安心させると、あたしは黒服の男に声をかけた。
「ありがとホークアイ」
「まさかこんなにもスムーズにいくとはな。さすが結衣香ちゃんだぜ」
男――ホークアイはヘヘッと下品な笑いを浮かべると、スーツケースをガシャンと開く。中には茶色く遮光加工された小瓶が何十本も入っていた。市販されている栄養ドリンクのようにも見えるが、ラベルは一切貼られていない。
「さあリオン。これが何かわかるでしょ?」
「――エリクサー、のように見えますけど」
目を細めて小瓶を観察する鈴音。あたしはその頭を撫でた。
「正解! さっすがリオン! ――さあ、このエリクサーを飲むのよ」
「――何本ですか?」
首を傾げる鈴音に、あたしは微笑みながら告げた。
「――もちろん
――全部よ」