RUSSIAN×ROULETTE
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住宅地の一角、小さな一軒家とはいえ、倉橋家は二階建てで間取りでいうと2LDKはあった。慎二郎の研究室を兼ねた寝室(わたしが寝台に乗せられた部屋だ)と愛留の部屋。わたしは二人のどちらかの部屋で寝ると何されるか分かったものでは無いので、仕方なくリビングで古びたソファの上で寝るのが習慣になっていた。
「うかがみちゃん、『天使狩り』って知ってますよね?」
そのリビングで愛留はわたしに突然話しかけてきた。
「唐突だなぁ……まあ知ってるよ」
それはここ数日、ネットを騒がせている噂だ。なんでも、大手事務所の89プロデュースやアイル・エンタープライズの二軍天使、さらには弱小事務所の天使までもがここのところ相次いで謎の死を遂げているらしい。が、天使がシールドの内側で機獣に襲われるなんてことは考えられない。そもそもシールド内に機獣が侵入したら大事になるし、絶対に誰かが気づく。
ということは天使たちは機獣に殺されたのではないということだ。正体不明のその犯人を皆は『天使狩り』と呼んで、捜索していた。各事務所の主力天使に被害がないのが不幸中の幸いだが、将来有望な天使が失われたことに変わりはない。
だが、事もあろうに89プロデュースやアイル・エンタープライズの奴らは、『天使狩り』の正体は、暴走した天使である伺見笑鈴……つまりわたしだと主張した。STの天使が被害を受けていないのがなによりの証拠だと。
大手二事務所の主張によって、世論もそちら側に流れた。いつしか天使狩り=うかがみちゃんの方程式が出来上がり、みんな血なまこになってわたしを探している。つまりわたしも追われる立場になってしまったということだ。おかげで変装しないと外に出ることもままならない。
「どう思います?」
「別に……くだらないと思う」
「あたしもです」
愛留はそう言って、この話は終わりになったようだ。
相変わらずこの子の言動の意図はよく分からない時がある。
「……で、これは何?」
今、そのリビングの中央にあるテーブルに『それ』は置かれていた。おなじみの愛留特製のおにぎりが5つ。ただし……
「よくぞ聞いてくれました! これはロシアンルーレットです!」
「はぁ……」
テーブルの前に立って嬉々とした表情でおにぎりを指し示す愛留に、隣にいたわたしは気の抜けた返事をした。全く、何を始めるかと思ったら。
「えへへっ、一回やってみたかったんですよね! ロシアンルーレット」
……やるのはいいけどわたしを巻き込まないで欲しい。
「ルールは簡単! この5つのおにぎりのうち4つには高級いくらが、残り一つには激辛わさびが大量に入っています! あたしとうかがみちゃん交互に1個ずつ食べて、わさびの入ったおにぎりを食べた方が負けです!」
「こ、高級いくら!?」
しまった。思わず反応してしまった。……美味しいものを食べたいと思うのは生理現象だから仕方ないよね。
すると愛留は、ふっふっふー♪ と意味深な笑みを浮かべた。まずい、愛留のペースに乗せられつつある。
「う、うかがみちゃんはやらないよっ!」
「食べたいですよねー? あたしが握ったおにぎり食べたいですよねー? 高級いくら食べたいですよねー?」
「……う、ぐぬぬ」
目を細めながら囁いてくる愛留。わたしは思わず後ずさった。
「べ、別に……」
――ぎゅるるっ
こら鳴るな! わたしのお腹!
「口ではそう言っても、体は正直みたいですよ?」
純粋無垢な小学生にこんな言い回しを教えたやつを今すぐここに引きずり出してひっぱたきたい。
「わ、わかったよやるよしょうがないなー!」
こんなの、握った愛留のほうが有利に決まってる。でもわたしは少なくともわさびおにぎりを食べるまでは、高級いくらを味わえるということだ。それはすごく……魅力的だ。
「じゃあどちらから行きます?」
「うかがみちゃんから行ってあげるっ!」
食欲を抑えきれずに、わたしはおにぎりを一つ手に取って頬張った。これがわさび入りだったらさすがに泣くけれど、幸いなことにおにぎりの中にはプチプチとした食感の高級いくらが入っていた。めちゃくちゃ美味しい。
「ん〜っ! おいひ〜♪」
「ふっふっふ、運のいい人ですねぇ……」
続いて愛留も迷わずにおにぎりを手に取ってもぐもぐと食べる。これもわさび入りではなかったらしい。
「さあ、次はうかがみちゃんの番ですよ?」
「分かってるよっ」
わたしはじっとお皿の上のおにぎりを見つめた。残るおにぎりは三つ、わさび入りの可能性は三分の一。
しかしわたしはとあることに気づいた。このおにぎり、一つだけ少し小さくない? これ怪しいよね? 愛留はあえて一つ小さく作ってそこにわさびを入れたのでは? ははーん、考えたな少女よ。けど少し甘かったな。わたしがそんなことに気づかないとでも?
「残念だったねっ」
わたしは小さいおにぎりを避けて、他のおにぎりを手に取って食べた。案の定これもいくらだ。美味しい、ざまあみろ。
いやちょっと待て……残りのおにぎりは二つ、愛留が一つ食べたらわさび入りがひとつ残るんじゃ……? 嵌められた!?
「何が残念なんですか?」
しかし愛留は次になんとわさび入りだと思われる小さなおにぎりを手に取った。そして美味しそうに食べる。……えっ、てことは?
「ほら、最後食べちゃってください」
「いや、でもさっきのがわさび入りじゃなかったってことは、これが明らかにわさび入りでしょう! 嫌だよ!」
「たーべーて♪ たーべーて♪」
「いやぁぁぁぁっ! ……むぐっ」
悲鳴を上げたわたしの口に愛留が、残りのおにぎりを押し込んできた。わたしは反射的にそれを咀嚼した。……うん、美味しい。……美味しい?
「……あれ?」
「あれ? あれれ? どうしちゃったんでしょうね? わさび入りのおにぎりはありませんでしたね?」
「こら愛留……騙したの?」
「そうなりますね。でも、真剣にわさび入りおにぎりを見極めようとしてるうかがみちゃんはとても面白かったですよ♪」
「……こーらー!」
にこにこ笑顔の愛留にわたしは掴みかかった。でも愛留はひょいと身軽にかわしてしまう。
「つまり、そういうことなんですよ」
「……なに?」
「『天使狩り』も、そういうことなんです。……実際には存在しないものに惑わされて、問題の本質を見失ってしまう」
愛留は途端に声のトーンを落として、真面目な口調になった。彼女のやる事は常になにかメッセージ性を伴っている。それはここ数日一緒に過ごしてわたしが彼女について理解できた唯一のことだった。
「みんなが想像してるような天使狩りのうかがみちゃんなんて存在しない。それはあたしが一番よく分かってます。なんてったって、あたしはうかがみちゃんを軟禁してますから」
「……軟禁って」
「今のみんなは、存在しないはずのわさびおにぎりを必死に探しているうかがみちゃんと同じくらいバカなんです」
「おいこらぁ!」
「……うかがみちゃん」
再び愛留に掴みかかろうとしたわたしの目を真っ直ぐに見据えて、愛留はゆっくりと告げる。
「天使狩りを捕まえませんか……?」
「えっ!?」
愛留の言葉にわたしは絶句した。
わたしが倉橋家にやって来てから早くも1週間が経とうとしていた。倉橋家の一日は謎に満ちている。まず、朝7時頃に皆起床して朝食を済ませ、愛留が学校に行く。彼女が通っているのは普通の小学校だが、普段は『中村愛』という偽名を使っている。有名人の孫だし、命を狙われているからだ。
同じ理由で、慎二郎も『中村健二』という偽名を使い、わたしも愛留の姉として『中村恵美』という偽名が与えられた。緑の髪は真っ黒に染めて天使だと悟られないようにして、変装しながら外を歩けば誰もわたしが伺見笑鈴だとは気づかなかった。
昼間は家で慎二郎に『エメラルド・スプリッツァー』の整備や改造をしてもらい(小さかったパイロットスーツも直してもらった)、足の機獣化の状態を診察してもらう。
夕方になるとポポを連れて愛留を迎えに行く。そして彼女を護衛しながら家まで帰る。初対面の時はあんなに吠えてきたポポもすっかりわたしに懐いてくれた。
にしても、さすがに天使狩りを探し歩くのはリスクが高いし、今のわたしに勝てるかも分からない。愛留や慎二郎に危険が及ぶ可能性もある。
――でも
「存在しないものに惑わされて問題の本質を見失う……かぁ」
確かにこのまま天使狩りを放置しておくのは天使として許し難い事だ。そして何故か、異様に頭の切れる愛留と機装整備の腕前はピカイチな慎二郎に手伝って貰えるなら上手くいきそうな気がした。
「愛留がそう言うならやるよっ」
「ふっふっふ、もうすっかりあたしなしじゃ生きていけない体になってしまいましたねっ」
だから誤解を招く言い方やめよ!?
「……愛留、あなたほんとに小学生……?」
「もちろん、あたしはどこにでもいる小学六年生ですよ?」
……嘘つけ。にこにこ笑う愛留の無邪気な笑顔を眺めながら、わたしは心の中でそう呟いたのだった。