ダブル・フェイント
「ん? どしたの? 機獣?」
ナギサが能天気に尋ねると、彩葉は苦笑しながら
「まあそんな感じ。というわけだから私は行くね? 柊里ちゃん、二人をよろしく。すぐ戻るから!」
「おいちょっと待て」
わたしは、椅子から立ち上がって今にも駆け出しそうな彩葉の左手を掴んで引き止めた。
「なあに?」
「怪我は大丈夫なのか?」
顔を覗き込むと、彩葉はスッと目を逸らした。……わかりやすいやつだ。
わたしは素早く彩葉の履いているルーズソックスの右足に手をかけて、勢いよくソックスを引き下ろした。
「きゃっ!?」
おい、変な声出すな。
案の定、彩葉の右足にはソックスの下に黒いテープでぐるぐると固くテーピングがされており、まだコンディションが万全ではないことが伺えた。当たり前だが戦闘は身体に負荷をかけることになる。下手なことをして怪我が悪化したら本末転倒だ。
「怪我してるやつに行かせるわけにはいかない。わたしが行く」
「駄目だって、柊里ちゃんの機装はメンテ中なんでしょ? 事務所に取りに行ってる時間はないよ?」
そんなことはわかっている。わたしは彩葉の右手首を指さした。
「彩葉の機装で変身する」
「駄目だよ! 適合していない機装で変身なんて、そんなことしたら柊里ちゃんの体が壊れちゃうよ!」
「まあ少しくらいはもつと思う。怪我してる奴を行かせるよりはマシ」
「バカにしないで! 私も天使なんだよ。自分がどこまでやれるかなんて私が一番よくわかってる。……そして、敵は今度こそスカイツリーを壊しにくる。近くにいる私が守らないと!」
わたしをみつめながら訴える彩葉の瞳には力強いものが宿っていた。こうなってしまってはこいつを説得するのは無理だ。
「ひまりちゃん。彩葉に行かせてあげて」
「彩葉ってばすごく強いからきっと大丈夫だよ!」
ナギサとカエデの援護もあり、わたしは渋々折れることにした。
「……必ず帰って来い。今日は散々おもちゃにしやがって、今度はわたしに付き合ってもらわないと割に合わない」
「うん、約束する!」
彩葉はわたしの右手の小指に無理やり自分の右手の小指を絡めてきた。指切りのつもりか。そういうのはフラグだからやめておいた方がいいのに。
「頑張ってね、私達のヒーロー!」
「立華の誇り!」
「……いってきまーす!」
仲間のギャル二人にはやし立てられながら、彩葉は店から飛び出してスカイツリーの方角へ走っていった。と同時に街中に配置された防災無線のスピーカーから機獣警報のサイレンが鳴り響く。
人々は「またかぁ」といった様子で、しかしテキパキと、決められた場所にある地下シェルターへ避難を開始したようだ。
「……あれ、おかしいな」
避難場所を調べるためか、携帯端末を弄っていたナギサが声を上げた。
「どしたの?」
「機獣警報によると、機獣が上陸したのは東京港。そこからスカイツリーまでは意外と距離がある。天使たちも続々と東京港に集まっているのに、どうして彩葉はスカイツリーに?」
「言われてみればそうだね」
ナギサとカエデは首を傾げている。
「……ナギサ、『天使マップ』を開け」
「もう開いてるよ」
ナギサが携帯端末の画面を見せてくれる。そこには、関東地方の地図と、その地図の上を移動する色とりどりの丸が表示されていた。
――『天使マップ』
ブレスレット型の機装の内部に取り付けられた発信機の情報をもとに、事務所に天使登録されている各天使の現在位置を確かめられるアプリケーションだ。
天使は、所属事務所ごとに色分けされた丸で表示されていて、丸をタップすると機装名や天使名も分かる。住民たちはこれを見て、避難が遅れた時に最寄りの天使に助けを求めたり、推しの天使の位置を把握して視聴の準備をしたり、天使の集まり具合から機獣の位置をだいたい推測したりできる、スグレモノだ。
東京の地図のうち沿岸部の赤く塗られたエリア。これが機獣警報の発令地域。そして東京港に群がり、続々と集まってくる赤い丸――STの天使。青い丸――89の天使、黄色い丸――アイルの天使。これら三大事務所の天使たちに加えて、弱小事務所の天使たちも駆けつけているようだ。
それほどまでに敵の規模が大きいということ。
そして、紫の丸が一つ、スカイツリーのそばにいる。あれが彩葉だろう。
「カエデ、作戦の配信映せるか?」
「今やってる!」
続けてカエデが携帯端末で見せてくれたのは、今の東京港の様子。
そこかしこにピンク色の舞台が展開され、おびただしい数の機獣や天使が所狭しと戦っている。
『うひゃー、なにこれ。とりあえず、『機装変身』!』
驚きの声を上げながらも、オレンジのブレスレットを掲げて変身する女。光に包まれて、もう一度姿を現すと……見覚えがある。このオレンジの衣装の露出度の高いチアガールはアイルの秋茜華帆だ。なんでカエデにこんなやつの配信を見せられているのか、今は聞かないでおいてやる。とりあえず大手事務所のエースで視聴数が多かったから検索で引っかかったのだろう。
STの配信を選ばなかっただけマシか。
『機装名『ラスティー・ネール』秋茜華帆、交戦開始!』
華帆はそう叫びながら手近な機獣の群れに飛び込んでいく。
「あっ、やられた!」
自分の携帯端末で別の天使の配信を見ていたナギサが声を上げた。
「やられた? 未確認でもいるのか?」
いくら機獣の大軍相手とはいえ、第二世代の天使であればそうそう簡単にやられたりはしない。
「うん、でも見た事ないよこんなの……」
ナギサの見せてくれた映像を見てわたしは目を疑った。舞台の一角で暴れているのは、身長3メートルくらいはある紫の装甲をまとった巨人。巨大な戦斧を振るって、挑んでくる天使たちを薙ぎ倒している。大きさからしてミノタウロス級機獣のようでもあるが、あんな強いのはミノタウロス級なわけがないし、紫の装甲から考えても『未確認』のうちの一体である可能性が高いだろう。
恐れていたことが起こった。奴らは味方を連れて戻ってきたのだ。
巨人の足元には既に何人かの天使が倒れて動かなくなっている。あれは確かに〝やられて〟いる。
「クソッ……STは……『トライブライト』は何をしている……?」
「他にも何体か未確認がいるみたいで、うかがみちゃんたちはそっちに釘付けになってるよ!」
「あっでも、『∑CROSS』が何とかしてくれそう」
ナギサとカエデは端末を操作しながら口々に呟く。
「ナギサ、カエデ、お前たち……」
「……なに?」
「……うちの整備員やらないか?」
わたしの欲しい情報を的確に教えてくれるところからしても、うちのヘタレ友坂なんかよりもよほど頼りになりそうだ。
「え……っ?」
「……冗談だ。とにかく、港の方はなんとかなりそうなんだな?」
「多分。東京の事務所に所属してる天使のほとんどが参加してるからね。これで負けちゃったら日本終わりだよ」
……なにか引っかかる。こんな総力戦をしに敵が攻撃を仕掛けてきたのだろうか? いや、わたしならどうする? あくまで目的はスカイツリーの破壊だとしたら……。
「ナギサ、カエデ、よく聞け。……これは陽動だ」
「……!?」
二人はあからさまに驚いた表情になった。
「東京港で派手に暴れて天使を引き付け、がら空きになったスカイツリーを叩く。わたしならそうする。正面から戦っても第三世代機装には勝てないって前回の戦いで学んだんだろう」
「でもどうやって……」
「隅田川だ。隅田川を上るとスカイツリーの真下にたどり着ける。アホな機獣ならまず思いつかない作戦だが、未確認は〝人間〟だった。少なくともわたしたちと同じくらいか、それ以上に頭が切れるだろうな」
「ってことは彩葉ちゃんは?」
「八雲Pはこれを読んでいて、彩葉にスカイツリーへ行くように指示を出したんだろう。だが、他の天使どもは敵の思い通りに釣られている。……彩葉が危ない」
ナギサとカエデは目に見えて動揺していた。……やはり整備員は難しいかな。少なくともジャーマネの友坂は作戦中はいつも冷静で慌てたりはしない。
「わたしは彩葉の元へ行く。お前たちは避難しながらコメントを書き込んで天使どもにこれが陽動だと知らせろ。STはやめておいて、89かアイルの奴らの動画に書き込め」
「どうしてSTはダメなの?」
ナギサは首を傾げた。
「……やつらは前回みたいに〝分かっていて知らんぷりをしている〟可能性が高いからだ。書いても無視されるに決まってる」
「……わかった。やってみる」
カエデがぐっと拳を握って答えた。
わたしは頷くと、席を立った。
「気をつけてひまりちゃん!」
「彩葉をよろしくね!」
「お前らも死ぬなよ」
すっかり仲良くなってしまった二人のギャルに見送られて、わたしはスカイツリーの方角へと走り出した。