能あるギャルはキバを隠す
*
――憂鬱だ
こんな時にツイスターなんて見るもんじゃないな。
動画やチャンネルの宣伝をしようと開設したSNS、ツイスターのアカウント。先程の作戦の後、わたしのアカウントのフォロワー数は急増していた。
それもそのはず、デビューしたての天使は嫌でも注目される。が、それ以上にわたしが初戦で犯した失敗。強制解除の影響は大きかった。
民衆というのは自分で機獣と戦う力を持たない癖に、天使の失敗には獲物を見つけたハイエナのように群がって、寄ってたかって攻撃する。それはわたしに対しても同じだったようだ。
機獣のせいで自由に生活ができないし、海には行けない、魚も食べられない、オマケにシールドの外では航空機の安全すら確保されていない。そんな中で民衆にフラストレーションが溜まっているのもわかる。わかるが……。
「わたしはこんな奴らを守らないといけないのか……」
――辞めようか
わたしはツイスターに届いた「未熟者、養成所からやり直してこい」というコメントに対して「うるさい、お前が代わりに戦ってくれるのか?」とコメントし返すと、一人ため息をついた。
売り言葉には買い言葉だ。わたしが言い返せば言い返すほど、さらにその倍は誹謗中傷がやってくる。対象が騒げば騒ぐほどエスカレートする。……いじめっ子の心理だ。
「やってられるかこんなの!」
わたしは携帯端末をリフレッシュルームの隅に投げつけると、右腕のブレスレットを乱暴に外して、シャチョーの机の上に叩きつけるべく事務所の階段を降りた。
「――申し訳ありません。なにぶん新人なものですから」
階下からシャチョーの声がする。事務所にも苦情の電話が来るらしい。これ以上事務所に迷惑をかけられない。やはりわたしは辞めた方が……。
「しかし、彼女は私どもの大切な天使なんです。今彼女がいなくなってしまったら、青海プロダクションはやっていけません! なのでなにとぞ……」
シャチョー……柄にもなくペコペコしやがって……わたしのためにそんなことしないでくれ。……いや
――わたしのためなのか?
わたしがいなくなると、この事務所は戦える天使がいないということになってしまう。彩葉は怪我してるし、友坂は変身できない。
そうなると当然STの衛洲からの依頼は続行できなくなって事務所は潰れる。
民衆のためじゃなくて、事務所のためだと思って戦えば……?
それにわたしにはもう一つ、追いかけたいものがあった。
朧げな記憶だが、うんと小さい頃、逃げ遅れたわたしを庇って機獣と戦ってくれた天使の後ろ姿。それに憧れて自分も天使になろうと決めたのだ。幸い適性はあったようで養成所には入れたのだが、なかなか頭角を現すことができず、スカウトしてくれる事務所はなかった。
そんな中、唯一わたしを拾ってくれたのが青海プロダクションのシャチョーだ。
『君の目には光が宿っている。その光は必ず人類を助ける力になる。君の力『青海プロダクション』で使わせてくれないか?』
シャチョーは見習いとしてわたしを事務所に置いてくれながら、こつこつと動画配信のコツや、チャンネル登録者数の稼ぎ方を教えてくれて、気づいたらわたしも立派な天使だ。
そんなシャチョーの期待にも背くわけにはいかない。まだ辞める気がなくなった訳では無いが、少なくとも今言い出せる雰囲気ではなかった。
わたしは、はぁっと息を吐くと、リフレッシュルームへと引き返そうとした。が、目の前に人影がいたために、階段の途中でフリーズしてしまう。
その人物は、腰に手を当てて仁王立ちしていた。暗くてよく見えなかったが、消去法で彩葉だろう。彩葉はいつも通り、ギャルっぽく着崩した高校の制服を着用しており、スカートをウエストのところで巻き込んで短くしているので(何がいいのかわたしには分からない)、この階段の高低差だと、中が見えてしまいそうだ。
まあそもそも暗くてよく見えないんだが。
が、今の彩葉は明らかに普段と様子が違う。いつものふわふわした雰囲気は影を潜め、謎の威圧感をまとっている。薄暗くて顔の表情がよく分からないのがまた恐怖心を掻き立てる。
「柊里ちゃん」
彩葉はいつもより半オクターブくらい低い声色で話しかけてきた。わたしは思わず二、三歩後ずさった。
「な、なんだ?」
「まさかとは思うけど、天使辞めようとしてないよね?」
いつものギャルらしからぬ丁寧な敬語口調ではなく、ただただ感情の籠っていない冷たい口調。……もしかしてこいつ、めちゃくちゃ怒ってる……?
よく見ると、彩葉の視線はわたしが左手に握った赤いブレスレットへ向いている。目ざといやつだ。
「ま、まさか。整備だ整備。……強制解除したからジャーマネに見てもらおうと思って」
「マネージャーさんなら下にいるよ? なんで引き返そうとしたの?」
「……」
困った。これじゃあ誤魔化してることがバレバレじゃないか。
「……嘘、ついてるよね?」
「ごめんなさい。本当は辞めようと思ってた」
「みんなに色んなこと言われたせい?」
大人しく認めたのに、彩葉は解放してくれそうになかった。かと言って強い口調で責め立てることもしない。ただ淡々と質問を投げてくる。
「それもあるし……皆に迷惑をかけてるんじゃないかと……」
「ごめんね。柊里ちゃん……あのね……」
彩葉は少し逡巡していたが、わたしの目を真っ直ぐに見つめると、意を決したようにこう言った。
「……バッカじゃないの!?」
「……!?」
おおよそわたしがこの事務所に来てから今までに彩葉が吐いたことのないセリフだった。頬を思いっきり張られたような衝撃を受けた。
「私だって負傷した時に散々叩かれたよ! だから気持ちはわかる。やってらんないって思うのもわかるけど、でもね……」
彩葉はそこでしばらく沈黙した。何か考えているようだ。わたしは静かに続きを待った。
「辞めたら〝負け〟なんだよね。結局」
「……」
口を挟めない。なにか言えるような雰囲気ではない。
「自分よりも力のない人達の声に負けた。機獣に負けた。他の天使に負けた。ってことになるよ?……霜月柊里はその程度なの?」
「……でも」
「ゲーム好きなんでしょ? 負けるのは嫌じゃない? 追いかけたい背中があるんでしょ? ここで諦めるの? 静内社長が見込んだ……私の大事な後輩の霜月柊里はそんなに弱いの?」
「……嫌だ。負けたくない」
勢いに押されるようにして、気づいたらそう答えていた。でもそれが本心だ。負けるのは嫌だ。死ぬほど嫌だ。なんとしても勝つ。腕を磨いてリベンジする。それがゲーマーの性だ。
彩葉は満足げに頷いた。そして、まだ足が思うように動かないのか、一歩一歩ゆっくりとわたしに近づいて、優しく抱きしめた。
柔らかい感触……そして香水だろうか、それとも彩葉の大好きなスイーツの匂いだろうか、甘い匂い。機獣の襲撃で両親を失ってから久しく味わっていない不思議な感覚だ。否……襲撃の後、助けてくれた天使がこうしてくれたような気がしないでもない。
「ありがとうございます。残ってくれて」
彩葉の口調はすっかりいつも通りだ。なんか少し残念な気もする。
「やめてくれ彩葉。さっきみたいに友達に話しかけるように話してくれ。わたしもそうしてるわけだし」
彩葉が息を飲んだ。そしてわたしを抱きしめたまま、ふっと笑った。
「わかったよ、柊里ちゃん」
わたしの頭がくしゃくしゃと撫でられる。どうやら撫でやすい位置にあるらしい。他の人間にもそうされることが多い。
「辛い時は気分転換だよ柊里ちゃん! ちょっとやりたいことがあるんだけど、付き合ってくれない?」
彼女はもう完全にわたしのことを友達扱いするらしい。
友達……か。今までわたしにそう呼べる間柄の人間は存在しなかった。しかもわたしはオタク、彩葉はギャル。陰キャと陽キャ。負と正。闇と光。
普通なら交わるはずのないものだ。でも天使という役割が、『青海プロダクション』が二人を結びつけた。これが運命というやつなのかもしれない。
「いいけど、何だ?」
わたしは一抹の不安を抱きながらも、期待いっぱいの眼差しを彩葉に向けて答えた。