嫌な奴は嫌な奴
学校に行きたくなかった本当の理由は、春休み中にクラブを辞めてしまったのと、その後クラブの友達から連絡がなく、無視され続けたからだ。
新学期が始まり、二年二組の教室で感じた孤独感。寂しくも悲しくもなく、学校へ来るバカバカしさだけが拡大していった。
なにが楽しくて学校なんか来なくてはいけないのか――。クラブに行かず下校し、次の日から学校へも行かなくなった。
一週間ぶりの学校。
途中で引き返すとでも思ったのか、最後までコマチも着いてきた。
生徒がたくさん通る校門は避け、山沿いを通って校舎の裏側から学校の敷地内へと入った。都心から離れたこの辺りでは、学校の敷地はフェンスなどで囲まれていない。どこから誰でも侵入できてしまうほどセキュリティーは低い。
校舎裏には焼却炉と大きな倉庫がいくつもあり、体育祭やイベントがなければほとんど用務員さえ近づかない。焼却炉も煙を出している日の方が少ない。最近では環境に配慮して燃やさずにゴミ回収車がやってくる。燃えるゴミの日は九時頃だ。
「倉庫か焼却炉の横にでも隠れていろよ。もうここまで来たんだから僕は逃げも隠れもしない」
「分ったわ」
そう答えて銀色の全身タイツのチャックを一番上まで上げ、顔まですべて覆い隠すのだが……なんか、アルミホイルのクシャクシャ感が、焚き火の中に放り込んで作る焼き芋とそっくりだ。「鉄ちゃんの仮想大賞」で予選落ちしそうな焼き芋そっくりだ。
「顔を隠してどうすんだよ、ていうか、それじゃ前が見えないだろ!」
「大丈夫大丈夫、なんとなく見えるから」
絶対に見えていないはずだ。アルミホイルは透けたりなんかしない。
「くれぐれも焼却炉に入って焼き芋になるんじゃないぞ」
「それどういう意味よ!」
「声大きいって!」
「芋だなんて、失礼しちゃうわ!」
フラフラとした足取りで歩いて行き、焼却炉の横にしゃがむと、コマチは……本当に不燃ゴミのように見えてしまう。
驚いたことに、遠くから見ればそれが人だとは、絶対に分からないだろう。
「ゴミ回収車にも気を付けるんだぞ」
放り込まれたらシャレにもならない。グチャグチャにされてしまう。
「わたしのことは大丈夫だから、さっさと授業に行きなさいよ。遅刻しちゃうわよ」
「はいはい」
まったく……、いったい誰が誰のために学校なんて行かなければいけないのか、今はそれがさっぱり分からなくなっていた。
「おはよー」
「おはよー」
下駄箱で靴を内履きに履き替えていると、そんな声が他のクラスの下駄箱から聞こえてくる。僕に声を掛けてくる友達なんか……いない。
一年の時から友達なんかいなかった。今まではクラブの仲間が友達だと思っていたが、そんなこともなかったのだ。
二年になればクラスの雰囲気も変わり、本当の友達ができるかと思っていたが、春休中にクラブを辞めてしまったせいで、少し近付き難いヤツだと周りから思われているのかもしれない。
「よお、久しぶりの登校じゃねーか」
意外にもクラブの同級生が声を掛けてきた。男子バレー部の佐原淳。友達というほど仲は良くない。向こうもそれをしっている。
「……ああ」
クラブを辞めてしまった後、いったいなにを話せばいいのか分からなかった。
「もうバレー部には来ないのかよ」
……何度も言わせるなと言いたい。
「……ああ。キャプテンにも「お前なんか二度と来るな」って言われたからな」
「だったら退部届ぐらいしっかり出せよ」
なんでそれを佐原に言われなきゃいけないんだよと言ってやりたくなる。やっぱり嫌な奴だ。
佐原は練習中に、なにかにかけて嫌がらせをしてきた。一年の中では一番偉そうにしている。背も高くなく、レギュラーにだってなれないはずなのに、キャプテンや先輩に可愛がられている。いつも先輩にはペコペコし続けているからだろう。
佐原が嫌いだからバレー部を辞めて違うクラブに移った入もいる。
話したくもないから、さっさと靴を履いて教室への階段を上がったのだが、後ろからぴったり着いて来る。コマチと違い、近くにいるだけで凄く嫌な気分になる。負のオーラ―がプンプン出ている。
「それと、学校には来いよな」
「……え?」
意外な一言だった。だが、その言葉の意味は意外性の無いものだった……。
「お前のせいでバレー部全員が顧問と担任から呼び出しをくらったんだからな。キャプテンにも先輩にもちゃんと謝れよ」
それだけ言うと、佐原は先に階段を上がっていった。
佐原は……僕が学校に来たことを決して喜んでなどいない。一瞬たりとも笑っていなかった。だがバレー部全員が呼び出しをくらったというのは、恐らく事実なのだろう。
僕のせい……なのか?
……一週間も無断で学校を休んだら、学校側としては何らかの措置を取らざるをえないってことか……? 僕の知らないところで先生と母が連絡のやりとりをしていたのかもしれない。その矛先がバレー部に向くのは……当然なのか。
知らないうちに教室へ入る僕の足取りは鉛のように重たくなっていた。
教室に入ると、白い目がいくつも僕に向けられ、誰も話しかけてきたりはしなかった。女子達はヒソヒソ話を続け、男子達はクスクス笑っている。
机に落書きがされていたり、物がなくなっていたり、そんな虐めのようなことは何一つされていないのに、まるで僕だけを見えないバリアーがカッチカチに囲っているような雰囲気に息苦しかった。
たった一週間……たった一週間学校に来なかっただけなのに……いったい、なぜこんなにも周りは変わってしまうんだ――。
帰ろう――今すぐ。
もうここに僕の居場所なんかはない。僕は僕の意思で学校に行かないと思っていた。だが、今の僕は学校にとって、みんなにとって、
要らない人間になってしまったんだ――。
――早く帰りたい。……だが、帰ってどうする? また、ゲームやパソコンばかりの日々を繰り返すのか? コマチへの支払いが増えるばかりじゃないのか?
――そんなの、今はどうだっていい――!
一限目が始まる前に鞄を持ち、直ぐさま下駄箱へと走った。教室全体がクスクス笑っているように感じて、学校の怪談なんて悠長な怪談話よりも、もっとリアルな怪談が教室に実在することを体験した。
教室が……僕を笑っている――。
「うんうん、よちよち。よく頑張ったわ」
「……」
……なぜだろう。コマチにそう言われると……今度は無性に教室へと戻りたくなってしまう。
一限目が始まった下駄箱には、生徒も先生もいない。
「だからって――、銀色の全身タイツでこんなところまで来ているのを誰かに見られたら、滅茶苦茶怪しまれるだろうが!」
焼却炉の横で待っていると言っておいて、玄関近くまで接近してるんじゃねーよと怒鳴ってやりたい。
「怪しまれたっていいじゃない。別にわたしは見られたって構わないわ」
「僕は構うんだよ!」
「なんで?」
「え? ……なんでって、そりゃあ……妙なコスプレ衣装の女子と一緒にいたと噂されたり、馬鹿にされたりするじゃないか。それに、コマチだって馬鹿にされるだろ……」
「わたしのことを心配してくれるの?」
「……」
コマチはゆっくりと目を閉じた。
「ありがとう。鷹人は優しいね」
「……」
なにも言えなかった。僕は優しくなんかない。
「優しいからたくさんのことで悩んだり傷ついてしまったりするのよ」
「うるさいなあ……」
コマチのくせに。
「だから、今日はもう帰ろ。鷹人は十分頑張ったわ」
ゆっくり差し出される銀色全身タイツの手。
それは先ほどガードレールを乗り越える時に差し出された手とはまったく正反対の手だった。
この手は、簡単に握ってはいけない手なんだ――。
「……コマチ。やっぱり、教室へ戻ってみるよ」
「うん。でも、無理しないでね」
笑顔で頷いてくれると、僕はコマチの優しさを知った。コマチがいったい幾らでMP0団体に雇われているか知らないが、僕のためだけにこんなに必死になってくれているんだ。恥じらいなく勇気を持って……。だったら、僕だってほんの少しくらい頑張らないといけない。
せめて一限目だけ……。
せめて一日だけ……。
せめて退部届を書くだけ。そしてそれを担任に渡すだけ……。
いきなり学校へ行って彼女を作るなんてハードルは高すぎる。でも、だったらハードルを下げればいいじゃないか。
僕は僕のためじゃなく、コマチのために学校で頑張ってもいいじゃないか……。
授業中の教室に入るのは、少し勇気がいった。だが、先生もみんなもそれを拒んだりはしなかった。温かく受け入れてくれる訳ではないが、決して拒んだりもしない。それが学校の教室という空間なのだ。
自分の机に座ると、鞄からノートを取り出し、下敷きで綺麗に一枚だけを千切りとった。
『退部届』と書くと、授業の内容はそっちのけで、ひたすら僕がクラブに行かなくなった理由を書き始めた。