湖岸道路
中学へは歩いて二十分くらい掛かる。
都心から離れた田舎だから、朝の通勤時間帯も車はほとんど通らない。日本で五本の指に入る大きな湖の湖岸道路を歩くと、朝の日差しが湖に照り返されて眩しい。湖には小さいながら波もある。
静かな湖沿いの通学路を毎日歩くのは嫌いじゃなかった。
「うわー、海って広いのね」
「……湖だけどな」
後ろから聞こえてくる驚きの声に、振り向かずに答える。
朝靄で向こう岸が見えないから、初めて見る人は海と勘違いすることが多々ある。僕も小学校低学年の頃まで海と勘違いしていた。
「え、これって湖なの?」
「ああ。嘘だと思うなら舐めてみたら分かるはずだ」
「なるほど、その手があったわ」
――!
思わず振り向くと、ガードレールをまたいで湖のそばまでコマチが降りている。
「おいおい、水はそんなに綺麗じゃないんだから、本気にして舐めるなよ」
コマチにクスクス笑わたのが、歯痒かった。
少しくらい遅刻しても構わないか……。仕方なくガードレールを越えて道を降りた。湖沿いは僅かながら砂浜があり、歩くと靴が砂にとられて歩きにくい。
「あ、湖の中に鳥居が立ってる!」
「ああ。言っとくけどここは宮島じゃないぜ」
湖の中にポツンと立つ鳥居。広島県の宮島にある鳥居と比べれば、数十分の一の大きさだ。観光客どころか、お参りをする人すらいない。
「なんかの御利益があるのかしら」
「ああ。石を投げたりして鳥居の間を通過するといいことがあるのさ」
「ふーん」
試しに薄っぺらい石を投げる。
水面を一、二、三回跳ね、僕の投げた石は鳥居の左柱にコーンと大きな音を立てて当たった。
「うわ、失敗。今日は悪いことがありそうだ」
「鷹人って、ノーコンね」
……ノーコンティニュー? 意味が分からん。
コマチも石を手に握ると、同じように投げたのだが……、鳥居まで届きもせずにドボンと水しぶきを上げた。僕よりも運動音痴なのだけはよく分かった。かなりのものだ。
「今のは嘘よ!」
「嘘ってなんだよ」
投石の上手下手に嘘と本当はないだろう……。
カタンカタン、カタンカタン……。
遠くを走る列車の音が聞こえた。この辺りの列車は一時間に一本しか走っていない。もう八時を過ぎた頃なのだ。
「道草くっていると遅刻になるから、先に行くぞ」
「ああ、ちょっと待ってよ」
先に道路へ上がってガードレールを越えると、コマチは越えようとせず右手を差し出してきた。
「……?」
「「……?」じゃなくて、引っ張ってよ。手を」
「いや、さっきはコマチ一人で越えたじゃないか」
手を引っ張らなくても越えられるだろ。ガードレールぐらい。
ずっと見ていても、コマチは手を下げない。ガードレールも越えようとしない。僕が引っ張るまで動こうともしない。
「……しょうがないなあ……」
「そうよ、しょうがないのよ。だから引っ張って」
渋々コマチの手を握り軽く引っ張ってやる。するとコマチはガードレールに足を掛けて、ようやく越えた。
「女の子には優しくできないと駄目なんだからね。手を繋げて嬉しかった?」
「あのなあ……」
指先まであるコマチの銀色全身タイツ。手を握ってもドキッとしなかった。
でも、温もりはあった。銀色だから冷たいとばかり思っていたが、そうではなかった。
「ほら、さっさと歩かないと遅刻しちゃうぞ」
「……」
ああ、銀色全身タイツ姿じゃなければなあ……、思わず舌打ちしたくなりそうな僕の気持ちは間違っているのだろうか。女子と二人で学校に登下校するのって、こんなふうに楽しいのだろう。
田舎は嫌いだ。一緒に学校へ行く友達もいないし、一緒に帰る友達もいない。僕には兄弟もいない。
無い物ねだりではないが、心のどこかではコマチのような妹が欲しかったのかもしれない。
妹好き……シスコーンなんだろうか?