契約満了
次の日、校門のところで檜に声を掛けられた。視線を合わせることなんてできなかった。赤い目をしているのを知られたくなかったから。
「おはよう鷹人君」
「……おはよう。昨日は……ごめん」
そうとしか言えなかった。謝ることしかできなかった。
「ううん」
そっと白くて綺麗な手が僕の指先に触れ、手を繋いでくれると、泣きそうな自分に気が付いた。
手を繋ぐような資格なんてないのに……。それなのに、檜の指からも温かさを感じてしまい、咄嗟に上を向いた。
「……あ、あのさあ檜。言いにくいんだけど、小遣いが尽きてしまって、もうこれ以上、千円が払えないから……。彼女のフリは、今日からいいよ……ごめん」
利用するだけ利用する……自分が本当に嫌いだった。本当は今日、学校に来るのも辛くて仕方がなかった。
僕は情けない。情けなさ過ぎて――。
「うん分かった。じゃあ今日から彼女のフリはお仕舞いね。千円は要らないわ。でも、もうわたし達は付き合ってるんだから、勝手に別れるなんて言わせないんだから」
「――え?」
思わず檜の顔を見た時、僕の瞳から涙が一筋零れたのが分かった。あわてて制服の袖で横に拭く。
「実はね……。鷹人君に初めて告白される前の日、わたし宛に一通の手紙が届いていたのよ」
「手紙だって?」
「うん。『近いうちに必ず運命の人が告白してくるから、その人の手を取ることであなたの人生がバラ色に開花することでしょう!』ですって」
――! バラ色に開花って……。
「わざわざ手紙なんかが届いたものだから、最初はてっきり悪戯だと思っていたんだけど、それが……鷹人だったのよねー。驚いちゃった」
いや、僕じゃない。僕の仕業じゃない……。檜は楽しそうに話を続ける。僕の悲しい気持ちを、一生懸命明るくしようとしてくれている。
「――だって、「一日千円で」って、運命の人がそんなこと言ってくるなんて考える? もう胸がドキドキし過ぎて頭がどうにかなりそうだったわ」
クスクス笑う。
「その手紙! 差出人は……なんて書いてあった――!」
両肩を握ってしまい、ちょっと強引に僕の方を向ける。
「差出人は「コマチ」とだけ書いてあったわ。……未来のわたし達の子供なのかしら。子供じゃなくて子孫っていうのかな、ひひひひひ孫って書いてあったわ」
「ひひひひひ……?」
クスクス笑っている。僕はひひひひひと……笑っている?
コマチの隠密行動って、このことだったのか――。
「くだらない悪戯だな~って思っていたのよ。鷹人の仕業だと思っていたんだけど、ぜんぜんそんな素振りみせないし。本当に違ったのね」
「……」
「でも、まさか、そんな悪戯が本当になっちゃうなんて」
「本当に……?」
「うん。だって、それがコマチさんの最後の願いだったんでしょ」
最後の願い……。
菜穂に見つめられると、また涙が溢れ出て恥ずかしかった。
コマチは……僕の知らないところでも、僕のためだけに一生懸命だったんだ……。
もし僕が結婚したら、子供にコマチと名付けよう。そして、この話を語り継いでいくんだ。二三四五年の未来まで――。
ひょっとしたら、また巡り合えるかもしれない……。姿や形、言葉を超えて……。
檜の瞳からも涙が零れていた。