義父は優しいが
「ただいま」
「おかえりなさい」
下の階から聞こえるその声に、ゾクリと鳥肌が立った。夕方に義父が単身赴任先の大阪から帰ってきた。
「鷹人、お義父さんが帰ってきたから御飯にしましょ。下りてきなさい」
「……わかった」
普段は一人で御飯を食べているが、義父が帰ってきた時は仕方なく一緒に食べる。食べなければ三人の見えないバランスが崩れてしまいそうな強迫観念があるからだ。
「じゃあ、食べてくるよ」
「ごゆっくり」
コマチは寝転がって何か考え事をしていた。……上唇と鼻の間に「消せるボールペン」を挟んでメモ紙と睨めっこをしている。
「なにしてるの?」
「え? ううん、ちょっと考えごと」
いかにも考え事をしている表情なのだが、
「どうでもいいけど、僕の消せるボールペンに鼻水とか付けるなよ」
「付けないわよ!」
慌ててそう言うと、消せるボールペンは上唇からポロッと畳に落ちた。
「ただいま鷹人。また大きくなったな」
鷹人と呼び捨てにされるのも嫌だった。鷹人という名は本当の父が付けてくれた名前だと母から聞いていたからだ。それに、それほど身長だって伸びていない。義父より僕の方が背が高いのが、……なぜか申し訳なく感じる。
「……おかえりなさい」
リビングのテーブルには普段見ることがないような御馳走が並んでいる。サザエの刺身や焼いた鯖、タラの芽の天ぷらやウドの三杯酢……。どれも義父の好物ばかりだ。
「あと、親子丼もあるからね」
「おお豪勢だなあ、ハハハ」
僕が好きなものといえば親子丼くらいだ。あとはそれほど美味しいとは思わない。マクナルドのハンバーガーの方がよっぽど美味しい。
瓶ビールの栓が抜かれて母が義父のコップに注ぎ晩酌が始まった。それをつまらなさそうに見ながら親子丼を食べていると、
「鷹人も少し飲むか?」
義父の持つビール瓶が僕の方を向く。
「駄目よ、まだ未成年なんだから」
「そんなの構うもんか。俺が中学の時はコップに半分くらいは飲んでいたぞ」
「いらねーよ」
僕がそう断ると、ビール瓶はゆっくりと置かれた。
「そうか。無理強いはしないさ」
会話が途切れ、沈黙が続いた……。
親子丼を味わうことなく口に流し込む。
「……ご馳走様」
先に席を立った時だった。
「鷹人、父さんからゴールデンウィークのお小遣いだ」
義父はテーブルにお札を一枚置いた。
――一万円札! これだけあれば……十日間、檜と話をしても支払える!
義父の顔を見るとニコニコと笑顔を見せる。
今、僕が何が一番欲しいのかを知っているような錯覚に恐怖すら感じてしまう――。
「あ……ありがとう」
小さくそう言いながら置かれた一万円札を手に取る。
「あら羨ましい。お母さんも欲しいわ」
「ハハハそうだよな、後で渡すよ。それよりも鷹人、しばらく見ないうちに男前になったが、彼女でもできたか?」
「「――え!」」
僕と母の声が重なった。
「ハッハッハ、冗談だよ冗談。それと、これからはちゃんと母さんと一緒に晩御飯を食べなさい」
「なんでだよ」
なんでそんなことまでいちいち指図されないといけないんだよ。
「じゃあ、さっき渡したお小遣いを返しなさい」
――そうくるか! それは……厳しい。
やり方が汚い! 大人はいっつもいっつも……。
「……分ったよ」
悔しいが負けた……。
「お、素直だな。ハハハ、もっと親には反抗していいんだぞ。長い人生の中で今のうちしか反抗できる期間なんかないんだからな、ハッハッハ」
「……」
僕のことなんてなにも分かっていないくせに……。
義父はゴールデンウィーク中、ずっと家にいるのだろうか……。だとすると、義父の部屋にあるパソコンはその間ずっと使えない。
隣に義父がいればコマチとだって普通に喋れない。下手をすれば見つかってしまう――。
小遣いを貰えたことは素直に嬉しいが、長い連休に頭を悩まさなくてはいけないとは……。
早く学校が始まって欲しいと思う日がくるなんて……。