お前は高くつく女
「はあ……どうせ母さんか先生に頼まれたんだろ? なにも教えてくれなかったけど」
家に帰り着くと、当然のように僕に続いて入ってくる。
母はまだ帰ってこないから見つかる心配はないが、本当にコマチは僕と二人っきりになることに抵抗はないのだろうか……。階段を上がり部屋まできっちり着いてくる。まるで家庭教師みたいだ。
「コマチはMP0団体か人材育成企業みたいなところから仕事で僕の家に来ているんだろ?」
「違うわ」
そりゃあ……そう答えるだろうな。
更正しようとしている本人から問い掛けられて「はいそうです」と答えられる筈がない。バレたらプロ失格なのかもしれない。だが僕には不安で不安でたまらないことがある。
「じゃあ、せめて料金だけでも教えてくれないか?」
「なんの値段? はっ――ひょっとして、わたしをお金で買おうなんて考えているの! 買春?」
「ば? ――違うバカ!」
顔が赤くなるし唾が飛んでしまう。
「コマチが誰に雇われてここにいるのか知らないけれど、たとえば成功すれば報酬がもらえるだとか、一日あたりで日当が支払われるだとか、そういった契約があるはずだろ。うちの家系は裕福じゃないんだから、心配でたまらないんだよ――」
「安心して、わたしは無料だから」
わたしは無料って……なんか、聞いててつくづく勘違いするようなことをサラリと言うな!
「だったらなんでだよ。タダより安い物はないっていうくらいだから、それなりの対価を取るつもりなんだろ?」
ご飯も一緒には食べないから食費はかからない。
僕が学校に行けるように対策を講じてくれた。
彼女ができるように応援もしてくれる……らしい。
裏がありそうで滅茶苦茶怖いじゃないか――! 悪徳商法か詐欺にドップリ引っ掛かっている感が拭いきれないんだよ――!
「だから、未来が変わるのよ」
「そこが一番怖いんだよ! それに、未来じゃなくて過去から来たんだろ?」
「え? ああ! そうだったわ」
今更口を抑えても遅いって……。それに、そのチグハグだらけのタイムスリップ説には無理があり過ぎる。あり過ぎるところなんかも絶妙に怖い。コマチが本当に何者かが分からない――。
「もし、百歩譲ってコマチが未来か過去から来ていたとしても、だったらなぜ僕のために一生懸命になるんだよ」
通学路を一緒に歩いたりだとか、学校の前で下校の時間まで待っていたりだとか、一日の大半を無駄にしている。
人って、なんの見返りもなく他人の為に無駄な時間を費やせないはずだろ。
「ふふーん」
「なんだその勝ち誇ったような笑みは……」
「人ってね、自分のことには一生懸命になれなくても、他の人のためには一生懸命になれる生き物なのよ」
得意気なコマチの表情に、一瞬だけあっけにとられてしまった……。
「かー」
天井の照明を仰ぎ見る。
僕が考えていたことの正に正反対。偽善者が言いだしそうなことをよく平気でコマチは言えるものだ。
「とんだ上から目線だな、いったい誰の言葉だよ。少なくともお前の言葉じゃないだろ」
「げ、なんで分かったのよ」
「げって言うなよ。分かれいーでか!」
たび重なる矛盾発言やぶっ飛び発言。マニュアルに沿ったようで沿っていない言動の数々。失敗続き……。ひょっとするとコマチはまだMP0団体の新人なのかもしれない。研修生ってやつか? 僕と同じであまり賢くなさそうだ。ちょっと頬を赤くして真剣な顔をしているのが可笑しく、思わず笑ってしまう。
「あ、ひょっとして今、笑った?」
「ハハ、ちょっと今の言葉がツボにハマって、ハッハッハッ。コマチが言うにはいい言葉過ぎて笑っちゃうよ」
「わたしが言うにはいい言葉過ぎるってどういう意味よ~」
そのままの意味だ。いい言葉過ぎるのが可笑しいし、怒っているのがさらに可笑しい。まるで九九八十一だけを覚えている幼稚園児のようだ。
「クク、クク、プププ。いい言葉過ぎて可笑しくて」
笑うのを我慢するのすら面白い。上がった頬が下りてこないくらい可笑しい。
いい言葉っていうのは、それなりの人に言われないと笑いの種にしかならないな。
「ただいま」
――ヤバい、下の階から母の声が聞こえた!
古家だから部屋からの声が外まで聞こえていたかもしれない――。窓の外はいつの間にか真っ暗になっていた。
自分が浅はかだったと後悔する――。
階段を一段一段上がてくる音がすると、コマチは慌てて押入れに隠れた。中は冬物の布団で一杯なのだが、無理やり狭い空間へと潜り込んでいく。
ピシャリと押入れを閉めて勉強机に慌てて座ると、適当に参考書のページをめくる。と同時に部屋の襖が開いた。
「鷹人、今日は学校に行ったの?」
「え、あ、ああ」
ダラダラ冷や汗が流れる。もしコマチが見つかったら……どう言い訳をしたらいいのか……。
……泥棒扱いしたら、ひょっとすると窮地を逃れられるかもしれない。あながち嘘はついていないから……。
僕は……鬼か? それともゲスか?
「ふーん」
母は部屋の中をやたらジロジロと見渡す。これが女の勘というやつなのだろうか。鋭すぎてヒヤッとする。
「お弁当食べたのなら出しておきなさい。洗うから」
「あ、ああ」
鞄から昼食の弁当箱を出して手渡すと、他には何も言わずに部屋から出て行った。
学校に行ったことを……少しくらいは褒めてくれると思っていた。ヒバリゴンが言っていた「どうせ五月病ですから」の言葉が思い出され、少しの苛立ちと歯がゆさがあり、母の背中を睨みつけていた。