1 お断りします。
「[かくまって]ください……!」
高校生になって初めての夏休み。期待を高ぶらせ意気揚々と帰宅して「夏休みの計画でも立てようか」などと愉快に考えていた矢先、玄関扉からノックが響き渡った。
俺は知っている。この手のノックは信用ならないと。
チャイムを鳴らしてこないのは何かしらの意図があるのだろう。
悪質な宗教の勧誘か、それとも民報か。どちらにしても親が居ないから何も出来ないぞと、心の底から警戒しながらゆっくりと扉を開いた。
そこには少女がいた。
自分より年下か同じぐらいの子だ。
その少女が言った言葉こそが『匿ってください』だった。
まるでどこかの王族かのように不自然な格好をした少女は、悲しげな目つきで俺の右手をぎゅっと握る。両手で……。
目元は潤みを帯びていたせいで心配になる。こんな子が自分の知り合いに居ただろうか……。余裕のない頭脳を目一杯使って彼女と一致する人を探してみるけれど、当然当てはまる人は居ない。
まず自分のおよそ16年の人生でここまで目立つ水色の髪の少女に遭遇したことは無いのだから、断言できる。見たところ地毛みたいだし。
では目の前に居るこの少女は一体何者だろうか。匿えと突然言われても何のことやらだ。
日本という風土に全く相応しくないその赤く目立つドレスは、どこか西洋の風を感じる。それだけでなく腰にかかる程に長い水色の髪もまた余計に目立つ。胸は小ぶりだが、日本人と比べるならば十分に思えるし、なんなら俺は好きだ。もっと言うなら、顔も可愛い部類なのではないか。
って、そんなこと俺が評論するべきことじゃないけど――。
「わは、じっくり見られてる……」
なんじゃこの人……。
いつ俺の手を解放したのやら、彼女は口に両手を当てて恥ずかしそうに身体をくねらせている。初めて会う人をここまでじっくりと見た自分にも非はあるが、まさか照れられるとは思っていなかったので心の底で何かが湧き出てきそうになる。
好意を持った相手からであれば堪らない仕草であろう。ただ、相手は初対面だ。理性という名のリミッターがガッチリと働く。
「……見てないから」
「舐め回すように見てましたよね? 私にはお見通しです」
「舐め回すって……」
言葉の汚さもあって少しだけ冷静さを取り戻せた気がする。いや、良いことなんだけど……。
ただ冷めたところで対女性スキルが少ない自分なので、何だか気恥ずかしくなって顔を背けてしまう。それでも彼女の顔が見えることには変わりないし、気休めでしかないのだけれど――。
――顔を逸らす自分を見ながら、彼女は胸を……強調している。
誘惑をしている訳では……ないだろう。多分。前にネットの記事で見たけど、これはあくまで女の子が行うコミュニケーションに過ぎないらしい。
そのはずだ。というかそうであってくれ。
「顔真っ赤ですね。やっぱり見てるじゃないですか」
「…………」
落ち着け俺。
話を軌道に戻せ。
そして冷静に答えるんだ流音……!
「……君、名前は?」
「私は『レイル』です。詳しいことはいずれお話ししますので、今は是非受け入れを……」
「うーん、そう言われても、女の子を入れる訳には……」
俺は同人やアニメに良く居る、頭のネジが飛んだド変態ではない。
だから一時の感情で女の子を家に入れたりしたくない。日本男児としては珍しく、性教育は割と柔軟に受けているのだ。
先ほど名前を聞いておいてなんだが、ここでお引き取り願った方がいい。それがお互いのためにもなるだろうから。
「悪いけど、ウチには泊められな」
「――!! ていっ!」
「あっ……」
……押し倒された。何故?
何のために?
思考は追いつかない。
響くだけ。
無慈悲に閉まる扉の音と、自分の背中が床に当たる音だけが。
「……ごめんなさいね。追っ手に見られていた気がしたので」
「追っ手って……」
背中がじわりと痛む。彼女の申し訳なさそうな顔が映る。表情とシチュエーションもあって、何だか色っぽい。
押し倒した彼女と、押し倒された自分。ネットで見たことのあるショットが今、目の前にある。
仮にこのレイルという少女が「彼女」という存在であったならば、俺は自身の制御なんてしなかっただろう。ただ、相手は単なる他人だ。
それを常に念頭に置かなくては……。ここまで自分で築き上げてきたバリアを簡単に破る訳にはいかないんだ。
そういえばレイル、先ほど押し倒す時に一瞬周囲を見渡していたな。その『追っ手』に見られていることを危惧していたのだろうか。そうだとすれば、彼女は相当焦っているってことか。
再び彼女の顔を見てみると、先ほどから打って変わって色っぽさよりも真剣さが表に出ている。ギャップが凄まじいなおい……。
……ただこの状況、不審者に追われているのならば緊急事態と呼べる。ならば彼女が言ったように匿う必要があるだろう。
そして不服にも彼女がこの家に入ってしまった以上、自分自身も被害に遭う可能性が出てきてしまった。なら話を聞かない訳にはいかないじゃないか。
その……つまりこの受け入れは仕方がないことなのだ。
「わ、わかった。話なら聞くよ。リビングに来て」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
レイルはこれまでに無いほどパーッと笑う。眩しい程に、そしてまたも自分の中で何かがぐらつく気がする程の素敵が彼女にあった。
ただ、居候って意味での匿いを決めた訳ではないんだけどな……。それでも彼女からすれば、話を聞いてくれるだけでもありがたい事なのかもしれないけど……。
それでも気持ちは切り替えていこう。
ここまで来たら腹を括れ。
抵抗は抜きにしてさっさと足を動かせルオン。
「……あの、ルオンさん。リビングって何ですか?」
「リビング知らないか……まあ良いよ、付いてくれば」
……今の彼女の台詞、何か引っかからないか。
何だ? 何かがおかしい。
リビングが何処なのかを知らないのはまあ分かる。言った言葉を良く分析しろ――。
『あの、ルオンさん。リビングって何ですか?』
『ルオンさん。リビングって』
『ルオンさん』
『ルオンさ——』
『ルオン——』
「お——」
「ルオンさん?」
「――お前何で俺の名前知ってるの!?」
「あー口が滑ってしまいました」
「だだ滑りだよ! そして君への評価もだだ下がり!!」
「おー踏みますねー。韻を」
「意図してねえよ!! 韻を知ってて何でリビング知らないんだよ、どんな世間知らずでもそのぐらいの知識はあるだろ怖いわ!!」
え? ってことは逃げるために緊急でこの家を選んだ訳じゃなくて、単に俺狙いだってことだよね!?
それに清楚な感じは何処へいった。しかも会話で妙な倒置法を使うなよ短時間でここまで異性に冷めたの初めてだよ……。
なんてことをしてくれたんだ。軽度のストーカーじゃん。
「まあまあ、それを含めてお話ししますから、座って座って」
「おーれーのーいーえ!!」
声を張り過ぎて少しだけクラクラする。周囲が少しだけ見えづらい……貧血だろうか。
焦っている内にリビングを過ぎてキッチンのテーブルまで来ていた。我を忘れるとろくなことが無いな俺……。
こうなってはもう全ての理由を聞かせて貰わないことには納得出来ない。何がどうして自分の名前を知って、自分に近づいたのか。それを全て教えて貰おうじゃないか。
キッチンの椅子に対面して座り、呼吸を整える。肩から下の緊張を取るために脱力して、肩を回す。
「……落ち着きましたか?」
「ああ……というか大体お前のせいなんだけど」
「ふふっ」
お上品に鼻で笑われた。微妙な苛立ちを感じた。わざわざ言わないけど。
「んで、どうして俺の名前を知ってるの?」
「いえ、申し訳ないですが先に私の事を話させてください。色々順序立てて話さないと多分混乱します」
一瞬自分のことを馬鹿にしているのかと思ったが、表情は思った以上に真剣なので冗談では無さそうだ。
「じゃあ、話したい順番にどうぞ」
「分かりました。では……」
彼女はスゥっと息を吸うと、ゆっくりと吐き出して、呼吸を整える。
ここまで驚かされてきたのだから、いっそのこともっと驚くようなことを言って欲しいと思う。常識では考えられないような――。
「私は、とある星の王女様です」
――そう来たか。
度が過ぎた妄想癖か、あるいは……。
……明らかに俺は今、何かとんでもないことに巻き込まれようとしている。
物語で言う冒頭の部分は、確かこんな感じだったと思う。
踏み入れたくはないし、巻き込まれたくはない。
けれど日記の大見出しになるようなことを期待していなかった訳ではないし、これはこれで有りなのかもしれない。
……一日だけなら。
……第三者で居られるなら。