第5章 哲学の道―別世界へ
今回は少し趣を変え、夜に散歩することにした。やや涼しくなったとはいえ、残暑の厳しい京都を真っ昼間に歩くのは流石に体に応えると考えたのだった。
午後7時、私は出町柳駅を出て、「哲学の道」という名所を目指して行くこととした。
「哲学の道」という名は、偉大なる哲学者西田幾太郎がよく散歩をしたことに由来する。この道は、琵琶湖疎水に沿って設けられた小道で、そこには石畳が敷かれている。それも単なる散歩道ではない。春には桜が咲き誇り、梅雨時にはホタルが乱舞するという知る人ぞ知る名所である。
「哲学の道」は、銀閣で有名な慈照寺の麓から始まり、南へ約2キロほど下ってゆく。終点は南禅寺の近辺になるようである。
慈照寺へは、出町柳駅から今出川通りを真っ直ぐ東に進めばよかった。途中、今出川通りを挟んで左右に京都大学のキャンパスが広がっていた。夏休み期間中であり、夜の7時ともなるとひっそりとしていた。しかし、歩けど歩けど続く京都大学のキャンパスの建物は、歩道を歩く私に真っ黒で巨大な塊となって重々しく迫り来る。キャンパス周囲には都会の喧騒の中の東大とは異なった独特の雰囲気が漂っていた。すでに暗いことに加え、私がこの辺りの地理に詳しくないからでもあろうが、京大のキャンパスとは無関係の建物までもが京大のキャンパスから溢れ出す空気に呑まれ、京大色に染まっている。そのような印象を受けた。
ところで、私は一度も京大を訪れたことがなかった。京大生の友人はいるものの、彼らに誘われたことはなかった。また私から訪れようと思ったこともなかった。そして、今もまた訪れたいとは思わないのであった。それは、確たる動機もなく東大に進学した私にも「東大の血」は流れているからであった。この血は、また同様に京大の血を持つ京都大学という環境を拒絶するのであった。東大で過ごした3年余りは、私の血となり肉となっていた。日々の講義、友人との会話、さらにはキャンパス内の移動―これらのもの全てが幾重にも折り重なって今の私を形作っていた。もし私が京都大学を訪れたならば、異なる血の交わりに耐えられず、忽ち自我を失うに違いない―環境に左右されないという芯の強さは、かえって脆さを呼ぶ。外界に触れても変化しないように内面に備えられた力は、かえってその強さゆえに自身を滅ぼすのである。私は見る間に相対化の海に漂い、元いた地の土を踏むことは叶わなくなるであろう―その意味で私には京大という環境に耐える力が無かったのである。私はあまりに強すぎたのであった。
やがてキャンパスの建物は途切れ、コンビニや飲食店が建ち並ぶ緩やかな登り坂にさしかかっていた。また、この登り坂は緩やかに曲がっていた。ひっきりなしに往き来する自動車の黄色いライトは、緩やかなカーブの向こうから、反対車線の赤いライトはカーブの向こう側へ―これらの光は、見るともなく見る私の目に不快な眩しさを与えなかった。どこを走ろうとも変わりのないはずであるのに、この地の自動車の光は、東京のような大都会の中を行く没個性的な自動車のあの眼を射るような鋭く無内容な光ではなかった。まるで個性の欠如の反動が光らせているかのような傲慢な光ではなかった。丸みと柔らかさを帯びながら流れる自動車の光の集合は、京都という地が生んでいるのであろうか。それとも見る者の単なる感情の反映に過ぎないのであろうか。
大きな交差点にかかる横断歩道を渡ると、すぐ左手に木々に囲まれるようにして流れる疎水が現れた。私はこの疎水を左に見やりながらしばらく進んだ。その疎水脇には「哲学の道」との標識が立てられていた。確かに疎水沿いに散歩道がしかれていた。しかし、この小道は観光客のために整備されたものであった。同じように道路も付近の建物も整備されている。ここには作り出され、周囲に溶け込めず浮いてしまった「京都」が存在した―醜さをごまかすために施した化粧は、皮肉にも京都の地を醜悪なものにした。ここには私の求める京都は微塵も感じられなかった。この瞬間だけ、私は京都を醜いと感じたのであった。
さらに進むとようやく、慈照寺へ向かう道と疎水脇の小道、真の「哲学の道」の分岐点に至った。ここから先の「哲学の道」は、暗闇の中へ続いていた。自然環境と歴史を保全すべく意図的に整備されていないのであろうこの道の入り口からは、先程の観光地然とした地区と打って変わって荘厳な空気が漂ってきた。未知の空間へ歩もうとする者の勇気を押し潰すかのように、小道のぽっかりと空いた入り口は黒く塗りつぶされていた。まるでそこだけ重力が強くかかっているかのようであった。
私は木々と植え込みに囲まれた哲学の道の入り口を見やってしばらく佇んだ。これから先に歩を進めると、もう元の世界に引き返すことはできないように思われた。別世界へと続くこの道を、私はある種の恐怖心を抱いて見つめた。と同時に、この道を通り抜けた暁には、私は生まれ変わるという根拠のない希望を持って見つめた。立ちはだかる困難を前に立ちすくむか弱い少年が、それを乗り越えた後の勇ましい自分の姿を胸に思い描いて、恐怖と不安に支配されかけている自分自身を必死に鼓舞するようにして。