第4章 鴨川にて―画になった私
私は、向こう岸の建物をゆらゆらと川面に写す鴨川を右手に眺めながら、河川敷の散歩道を歩いて行った。
ズボンを膝まで捲り上げ、小麦色に日焼けした脚を川の水に出し入れする男たち、背中にテニスのラケットを掛け、歩行者を避けながら自転車を走らせる学生、散歩道の左手にぽつぽつと設置されるベンチに腰掛け、扇子で顔に風を送る買い物帰りの中年の女性。彼らはみな自由であった。何にも拘束されず、何にも邪魔されることなく、みなが思い思いの時を過ごしていた。他人が何を考え、何をしているのか。そんなことはお構いなしであった。
勝手にすればよいではないか―
私は彼らがそう語っているように思われた。否、彼らだけではない。青々とした桜の木、鬱蒼と茂る雪柳、道端の雑草、そこに放置されたプラスチックの青いバット、自転車のベルの蓋、川、向こう岸に見える取り壊し中のビル―すべてがそう語りかけてくる。彼らの語りによって、私は目に見えぬ柵から解放されるのであった。
「勝手にすればよい」
私はようやく、自分の中に一つの信条が生まれるのを感じた。
これまで、他人の目線、他人の評価が自分の意思を左右してきた。私は、小枝や葉の欠片をかき集めて巣を作る蓑虫のように、他人の世界観によって形作られてきた。
「東京大学です」
大学名を訊かれて、こう答えるや否や、相手の顔色が変化した。口や頬は痙攣し始め、眼はもはや居場所を失うのであった。私は、相手の人間が東大という概念と化学反応を起こし、別の生き物に様変わりする過程を見て楽しんだ。
さらに重症化した私は、道行く人とすれ違うだけで、彼らが化学反応を起こしたように感じるようになった。透き通る水に、色の付いた絵の具を垂らしたときのように、人々の中に私が入り込めば、世界はたちまち桃源郷へと変化した―
しかしこれは倒錯した発想であった。私が環境を変えたのではない。環境が求めるものを私が反射したに過ぎなかった。彼らが私に教養を求める。私は教養という名の華麗なマントを肩に掛け、颯爽と歩き出す。画にするのもはばかられる、何という滑稽な戯画であろうか。私は、路上の芸人が操る、木箱の舞台で踊る醜いからくり人形でしかなかった。
そうこう思惟に耽るうちに、私は四条大橋の見える地点までやってきた。さすがに歩き疲れた私は、腰掛けるベンチを探しそこで先ほどコンビニで買ったあんパンをかじることにした。
辺りは濃いオレンジに包み込まれ、西の空には、逆光のため黒く染まった細長い雲が縁を金色に染めている。東の空は夜の準備を始めた。私は体の正面をオレンジに染めながら、あんパンの袋を開けた。生暖かい空気が袋から漏れ、手にこぼれた。私は勢いよくあんパンにかじり付いた。茶色く光沢するあんパンが私の鼻の先に触れることはなかった。あんパンは、こんな味だったのだろうか。こんな食感だったのだろうか。私の前を、砂利の音をテンポよく響かせながら、ジョギングする一組の夫婦が走り去った。長く伸びた二本の影が私の足下を通り過ぎた。