第3章 鞍馬へ―天狗はここにも
彼は宙に舞った―艱難辛苦を乗り越え遂に掴み取った栄光―
よく晴れた冬の寒空の下、太陽を反射した鏡のように、合格発表の掲示が光り輝いている。そして、人群れの中から、一人の青年が宙を舞った。在学生たちによる合格者の胴上げである。
不合格の悔しさに涙し嗚咽する受験生たちとは対照的に、空を舞う青年の笑顔が群衆の中に眩しいばかりに輝く。
この光景を、あの瞬間私は図らずも美しいと感じたのであった。美は即ち醜であり、醜は即ち美であった。不即不離のこれらが、今目の前に立ち現れている。私は、奇跡に際会して感じたのであった。そしてまた、私も奇跡の立役者の一人となった。
それから幾年か後、東大生のあり方に疑問を抱き始めた私は、あの景色を思い返してみた。
そこには、美など存在しなかった。合格者だけでなく不合格となった受験生も含め、彼らは―私も含め―皆醜悪であった。
私は京阪電車に乗り、終点の出町柳駅に向かう中、通路を隔てた斜向かいに座る学生風の青年を横目で見ていた。清潔感の漂う短めの髪、すっとした鼻梁の線。彼の細い黒縁の眼鏡の奥に見える精悍な眼は、私の欲する何かを宿していた。
私の乗る電車は終点まで各駅停車であった。多くの学生や観光客は特急列車を利用するからか、車内には人はまばらにしかいなかった。電車は地下を走るため、窓の外に見えるのは、暗闇の中を走り去る蛍光灯の細く白い線だけであった。
やがて、かの学生は終点の一つ手前の駅で降りて行った。ホームを歩き陰に隠れて見えなくなるまで、私はもう一度彼を見た。そして彼の姿をしかと目に焼き付けた。車内には私一人だけとなった。
―電車がガタゴトと音を立てながら、私の立つホームに颯爽と入ってくる。私の目に映るのは、普段は線路脇から眺めることによってしか目にすることのなかった電車という異世界の乗り物である。電車が停車しドアが開く。ホームは慌ただしく移動する人々で一時的に騒然となる。しかし私の目は電車をしか捉えなかった。魔法の乗り物だけが目に映った―
幼い頃、私はそんな風に電車を見たものであった。しかし、今では電車は移動するための単なる箱であった。何が私の目を変えてしまったのだろうか。年齢や経験の積み重ねのせいなのだろうか。私はもうかつてのような目で電車を見ることはできないのだろうか。先の学生の眼は、力強い光を宿していた。眼の力強さは、純粋な心の現れであった。彼は、あるいはまだ、ちょうど幼かった頃の私がしたように今も電車を見ることができるのかもしれなかった。
終点の出町柳駅に到着した私は、地上の叡山電車に乗り換え、更にその終点の鞍馬駅まで向かった。ちょうど30分ほど乗った叡山電車は、京阪電車とは打って変わって景色を存分に楽しめるものであった。これでもかと言わんばかりの大きなガラス張りの車体は、沿線の風景を車内に取り込むかのようであった。
さて、私は車内から見える風景を満喫し、終点鞍馬駅に降り立った。山の中だけあって、少しばかり涼しい印象を受けた。
鞍馬といえば、言わずと知れた天狗の里である。駅を出るや否や、大きな天狗が顔の覗かせた。天狗は、東大のみならず、ここ鞍馬にもいたのである。
駅を出て標識に従って進むと、程なく階段が見えてきた。階段の麓まで懐かしい雰囲気の漂う年季の入った土産物屋が並んでいた。
鞍馬寺といえば、やはりこの階段である。階段の麓に立つと、開け放たれた門から、神聖な空気が流れて出て参拝者に吹き付けるようである。私は眼前のこの絵を刮目した。そして、神風に逆らいながら階段を登って行った。鞍馬寺本殿はここをずっと登ったところにあった。
私は汗みずくになりながら、九十九折りになった山道を歩いていった。日光があたらないとはいえ、これだけの傾斜を登るのには難儀した。
私のすぐ前方には、アメリカかカナダからの旅行客であろう、英語を話す、夫婦と二人の小さな子どもが杖を突き突き登っていた。子どものうち姉の方が疲れた疲れた、と駄々をこねた。父親はもうすぐだから頑張るんだと励ます。本当は大して疲れていないのだろう、女の子は、タッタッと歩を進める。まるで絵に描いたような家族に、私はアメリカのホームドラマを見ている気になった。
私は、彼らをまだ見たかったために、追い抜くことなくゆっくりゆっくりと登って行った。
山道の途中にちょっとした溝があった。距離も深さも10センチほどの、大人であれば気づきもしないような溝であった。駄々をこねていた女の子は、両足を揃えてそれをぴょんと飛び越えた。
それを見た父親が杖を他方の手に持ち替え、空いた手で頭を撫でながら、"You did a good job!"と褒めたのであった。女の子は、飛び越えに成功したことと父親に褒められこととに満悦し、ふと後ろに振り返った。"I did it!"と繰り返しながら喜ぶその女の子に、私は、少し添えるようにして笑顔を返した。